bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

告解いたします。と教会に駆け込みたくなったこと。

今日私は、長蛇の列になっていたレジで前の人が籠に入れ忘れた品物を取りに行ったとき、戻ってこず、列が動き出したため、前の人のカートをそのままに、前に移動し始めました。その時、後ろから私の後ろに並んでいた人が、前の人のカートを前に移動させようとしたので、移動を止めたところ、まもなく前の人が戻ってきて、かごに品物を入れました。横にならんだ状態のわたしに、恐縮して前に行くように譲ってくれましたが、私はレジのところに書いてあるものを読みたかったので、といって、断りました。最後におばさんは「忘れ物もできないねえ」といって前に移動していきましたが、私は少し罪悪感を感じつつも、そもそもレジ列から離れたら後ろにまわらないと、という考えもあって、ちょっとだけもやっとしました。

興味深いことに、カートを移動したうしろの人たちは私の後ろで、別の人に横入りされそうになったのか、「ここは並んでますよ」と言っていました。

 

確かにわたしは品物を取りに行った前の人が戻るまで待っていた方がよかったのかもしれない。それがその場所では一番安全な態度だと思う。

もしかするとその安全な態度を少し変化させてみたかったのかもしれない。

そうはいってももやもやするなあ。自分が買い忘れたものを取りにいくときには並びなおしを覚悟するので、ああいう態度を自分はどこかでずうずうしいと感じるのであります。

実はこの店に入って、入り口でカートをとるとき、前に人がいて(年配の女性)、私がすいません、といったのに、聞こえなかったのかずっとその場に立ってよけようとしないので、、少々不機嫌になり、心の中で罵倒しながら、買い物を始めたいきさつがあります。レジの前の人とは別人ですが、なんとなく、今日は年配の女性にもやっとしてしまったことが連続したような気がします。

 

 


帰ってきてから母に「その上着はみっともない」と言われ、逆切れして「別にお母さんと一緒に歩いているわけじゃないんだから人が何着ようと勝手です」と憤慨してしまった半日でございました。

 

もう少し心の広い、寛容な人でありたいのですが、どうしても短気になってしまうわたくしをお許しください……

 

 

 

思考とはかくも愛すべき臆病さんなのか

蛭子さんじゃないけど、わたしは人がおよそ笑わないであろう場面で急に笑いがこみあげて笑ってしまうことがある。

今日、なにげなく更新された記事を読んでいた↓(下記の記事です)

 

medicine-works.hatenablog.com

 

失敗とは、感情とは、とか読み進めていって、なるほどなあ、と思いつつ、話は思考についてに移った。

そこで、

「何かを失ってしまったら?」:おしまいだ
「何かを奪われてしまったら?」:おしまいだ

この少しほかの部分から行を開けて打ち込まれたこの2行に、わたしは思わず大笑いしてしまった。

このとき、私が即座に受け取ったイメージとは

普段スマートに思われている男性が、何かで失敗した時のことを急に思い出して

「おしまいだ、おしまいだ…」

と頭を抱えてその言葉をずっとリフレインしている、

というもので、

これの何が可笑しい、と言われたら、自分でも説明に困るのだが、とにかくそれがすごく可笑しい場面に見えて笑ってしまったのだった。

 

あとで、タイトルの「思考とはかくも愛すべき臆病さんなのか」ということが関係しているのかな、とぼんやりきっと思ったから、こういうタイトルをつけたのだが、このタイトルだって、別にきっちり考えたわけではない。

 

人間の意識部分は、自分も自覚していないいろんなことがあるようだ、と結論はそこだけになる。

 

意識の流れ

意識の流れというものを文学にしているところがあって、ヴァージニアウルフとかジェームズジョイスとか一時期読んでいたことがあった。

もし、今自分が意識の流れを再現するとしたら、こんな風になるのではないかと思う。

ネットで考えながら検索先のサイトを読み、自分の書きたいことを書いてる、というシチュエーション。

 

(引用部分の黒が自分の考えていたり、読みながら書いている文。それですら、自分は読みながら自分でまとめているので、全部が自分の考えではないし、一方、自分の潜在意識から浮かんできた事柄もあるので、全部が自分の考えていることではない。

また、わかりやすくするため、検索先のサイトから引用してきた文は緑色にしてあるが、潜在意識では同じような色で全部入ってくる感じもする。となると、自分の気分とはいったいどれがどれなのかわからなくなるのではないか)

 

今週のお題「夢」

今朝はロシアがデフォルトを起こし、ほかの国が喝采をしている場面の夢を見る。

自分は昔の家の子供部屋に真ん中にベッドを置き、直角にうつぶせになっているところ、たぶん〇〇子だと思うが、女性がやってきてチーズを食べたかどうか言ってくる。そしてベッドの真ん中に仕切りをつけようとしているところ。部屋の中は暗い。

起きて、デフォルトとは債務不履行のことだと思ったが、実際国がデフォルトを起こすとどうなるのかあまり考えていなかったので、今、ネットで調べてみた。

読んでいるうちに、下のレバノンという言葉が「レバー(肝臓)ノン(NOの意味)脳とは思わなかったが、今入ってきたかもしれない肝臓がない、あるいは肝臓脳という組み合わせになりそうだ。

 

国がデフォルトを起こした直近の例として、2020年にレバノンで起こった、外貨建て国債に対する債務不履行があります。

レバノンの雲行きが怪しくなっていたのは2010年代のこと。シリア内戦や原油安などの影響を受け経済が失速し、その影響が2018年から顕著に見られるようになります。

元々レバノンは外貨建て国債に頼っていた背景があったのですが、2010年代の経済状況の悪化と2019年の自国通貨の急激な下落により、2020年に返済が滞る結果になってしまいました。

 

国の通貨に対する信頼が失われると大量にその国の通貨が売られ、国の通貨の価値が大幅に下落する。

すると、国内的には

 

国がデフォルトを起こすと、国が管理・提供しているインフラや行政サービスが資金不足によりストップしてしまいます。とはいえ、いきなりすべてのサービスが止まるわけではなく、予算が不足している部分から履行できなくなっていくイメージです。

状況がさらに悪化すると、最悪の場合銀行の預金が封鎖され、国債を返済するために個人の金融資産が没収されることとなります。

2020年にレバノンでデフォルトが起こった際には、発電に必要な燃料輸入が滞ることで停電が多発。街中では節電のために信号が消灯される事態も発生しました。また、水の供給や医療サービスにも影響が出る事態となり、銀行も一時的に閉鎖。さらには急激なインフレも起こり、国民は一気に貧困国の住民となってしまいました。

レバノンのケースを箇条書きにするとおおよそ下記のような流れになります

外貨建ての債務不履行が起こる

燃料が十分に輸入できなくなる

燃料が不可欠な分野(電力や国内生産業など)に強い影響が出る

行政サービスの悪化及び国内生産力の低下

生活環境の悪化

供給減及び生産コスト増加によるインフレの発生

ほかの国の場合を考える場合は、債務不履行の相手が誰か、債務不履行となることで起こる直接的な事象は何かを考えることで、そこから連鎖的に波及していく影響が推測できます。

仮に日本が同様に外貨建て国債債務不履行が生じた場合、日本も燃料を輸入に頼っているため、レバノンと同様ルートをたどる可能性も考えられます。

 

夕張が自治体としてデフォルトを起こしたことがあるのを忘れていた。(この参考サイトに書いてある。

https://ashitaba-mirai.jp/30042022/12076.html

 

その後、関係国からさらに影響が広がっていく。今の世界はお互い貿易をしながら成り立っている時代でそれは過去の比ではなく、くわしくはサイト先を参照してもらえればわかるけど、輸入を生業にしている産業は相手のインフレや産業へのダメージ、国内情勢の悪化で仕事がしにくくなり、最悪仕事ができなくなる恐れが出てくる。

 

ここまで、区別せずにリンク先の記事を引用して、全部同じ文字、同じ色で書いてみている。少し行を開けたりしているが、自分の話の整えのための行を開けるものと区別できるわけではない。

 

もし、幻聴に関して、会話やなにやら、となると、自分のは複数の声がしゃべっていたりするので、もう少し区別のありかがあるが、基本、聞き流しはこんな風に平板な感じである。どこでしゃべったものをしゃべっているのかは区別しにくい。

 

 

西洋占星術におけるノード軸と過去生。決め手は関わる天体にあり?

おことわり:自分は職業占術家ではありませんので、以下の内容は当該リンク先の記事をもとに想像(妄想)してみた、仮説のようなものです<(_ _)>

 

↓前置き↓

前世とか過去生という概念は昔からあったけど、それはそういうものを思い出す人がいて、今回の人生だけでは説明がつかないとか、輪廻転生の概念を実際には心理的な説明で考えたりとか、まあこれ自体がどこか観念的な説明に終始してしまう性質である。

ただ、「輪廻転生は証明できない」けれども「反証もできない」から否定するわけにはいかない、とカールセーガンがどこかの本でダライ・ラマ14世の言葉を書いていたように思う。

 

というわけで、最近わたしは、星占いにおける出生図に過去生のなごりがあるけど、それを見つける方法を書いているサイトを見ていて考えたことを書く。

そのサイトさんは以下のところである。

 

K's Fortune Labo 宿曜占星術×西洋占星術: ドラゴンヘッドを読む(6)実占補足 月とドラゴンヘッド、読み方の違い

(以下「K’sさん」と略す)

ヘッドはカルマ原因となった過去世。テイルはカルマ解消のために今世で行うべきこと。ネイタルホロスコープには、ヘッド&テイルで債務原因と支払い方法がセットで表されているということになります。

 

参考本↓

 

ドラゴンヘッド・ドラゴンテイル | 結婚相手の選び方

(以下「結婚さん」と略す)

占星術では、ドラゴンテイルは前世(と今世の初期)、ドラゴンヘッドは前世を反映した今世の生き方、という解釈が一般的で、観念的とはいえ矛盾の少ない解釈です。従って当サイトでもその解釈に沿って説明します。

 

上記のリンク先はドラゴンヘッドテイルに関する記事の一部分であり、詳しくはリンク先に示されてるほかの記事と合わせて読んでいただきたい。(これから書く記事もそちらからの情報からの感想文も入るため)

 

↑という前提で話を進める。

 

これらの情報をもとに、自分の出生図を見ながら参考本を読んでみた。

K’sさんの情報ではヘッドの方が今生に対応する過去生ということであった。よって参考本は「ヘッド」と「テイル」入れ替えて読むとよい、言うことである。参考本のややこしいのは、ヘッドそれぞれの項目に「前世の姿」が書かれていて、そのあとに今の自分の傾向が書かれている。そのヘッドの「前世の姿」は確かに自分じゃない感じがして、一方自分のテイルに当たる項目の「ヘッド」の「前世の姿」では「確かに自分こんな感じだ」と思う部分があった。

ゆえに、この後の今の自分の傾向を読むと、確かに自分はこんな風に過ごしてきたと感じるから、アドバイスもなるほど、と読める。

本来の自分の「ヘッド」の項目を読むと、「前世の姿」はあまり自分らしくないなあと感じる。そして今の自分の傾向なのだが…実はすごい腹の立つ言葉があったりして、「図星されると人は腹を立てる」という言葉を思い起こさせた。無意識にある癖なのかもしれない。だからこそ、ヘッドは過去生から持ち越している自分の未解決な部分であり、という考えになるのかもしれない。

 

結婚さんのほうでは一般的にヘッドを今世へのアドバイスとして書いてあるのだが、こちらは自分の職業的な興味とかがいまいち違う感じがする。しかし、なんというか自分の危惧している自分のことについてのアドバイスが書いてあるので、これもまたうーんと考えた。(この指摘は自分はそうすることができればきっと先へ進めると感じさせてくれる話だった)

で、結婚さんのほうではアスペクトとシナストリーも掲載しているので、こちらも読んでみて、ここから自分の考えたことになる。(前置き長くてすいません…)

 

アスペクトではドラゴンヘッドと合、ドラゴンテイルと合、ノード軸とのスクエアという3種類の説明がある。

自分の出生図ではスクエアがあり、この天体はノード軸の対極にあるそれぞれのサインのうち、スキップされたものがあるという。それを統合することが解決の道となってる。そして、解決の仕方であるが、天体から見て、ヘッド側を通って解決する方法と、テイル側を通って解決する方法があって、自分の場合はテイル側を通って解決する方法だった。

となると、テイル側で(結婚さんの情報における、過去生でやり残したことや忘れ去られたこと)を見つけて統合することで解決するらしく、これはK’sさんの情報よりだなあと感じた。

 

思うに過去生の記憶がある人は、そのこと自体がすでに過去生のなんらかを自分の中に統合する必要があるから、テイル側のほうがしっくりくるのではなかろうかと考えた。

もっというと、結婚さんのアスペクトで書かれているテイルと合についてはその天体の意味するものをテイル側が持っていてそれを今世で解決することで、ヘッド側の要求するものや目的を達成できるという意味合いがある。

ヘッド側に合のある天体はすでにテイル側において解決して素質として出来上がったものを発揮する準備ができているから、迷わずヘッドに向けて動くことができる。

そういう意味ではヘッド側に天体が合のある人は過去生についてはもう興味もなく、思い出しもしないだろうから、K’sさんのサイトを見ることもないだろうと考える。よって集まってくる情報もテイル側にポイントのある人々が反応している感じがする。

 

ちなみに、個人情報なので詳しく書かないが、K’sさん自身はスクエアとテイルに天体があるので、やっぱりそうなんだろうなあ、という感じを受けた。

 

わたしとしては、ヘッド側に合を持つ人がこういう解説文を読んで、どんな印象を受けるのかぜひとも知りたいところである。

 

 

 

 

トロイア戦争に関する話(妄想ですw

最近準惑星エリスについて検索することが多かった。その中で面白いなあと思った文章が先日の自分の記事に転記したものである。

136199 Eris 西洋占星術からみた、とある文章。 - bluerose’s diary

さて、エリスについて改めて紹介しよう。

エリスはギリシャ神話で不和と争いの女神とされる。軍神アーレスの妹とも言われる。

wikipedeiaによれば、トロイア戦争のきっかけとなるある出来事の重要な神の一人である。

『キュプリア』

散逸した叙事詩キュプリア』によると、エリスは女神テティスペーレウスの結婚式に招かれなかった腹いせに、「最も美しい女神に」と記した黄金の林檎を宴の場に投げ入れ、ヘーラーアテーナーアプロディーテー3女神の争いを引き起た。その結果、3人の女神はトロイアの王子パリスによる裁定(パリスの審判)を仰ぐことになり、トロイア戦争の遠因を作った。

エリス (ギリシア神話) - Wikipedia

このトロイア戦争なのだけど、もともとはゼウスが人間の人口を減らしたい、ということで、計画的に仕組まれたものらしいのだが、そのゼウスが裁定者に選んだパリスとはいかなる人物かというと。

アレクサンドロス(後のパリス)を産むとき、ヘカベーは、自分が燃える木を生み出し、それが燃え広がってイーリオスが焼け落ちるという夢を見た[1]。ヘカベーが夢占い師にこの夢のことを告げると、彼は「この子は災厄の種になる」として、殺すことを勧めた[1]。そこで、プリアモスは家来に、アレクサンドロスを連行して殺すように命じた。家来はアレクサンドロスを殺すにしのびず、イーデー山に捨てた。捨てられた子は、羊飼いに拾われて、彼からパリスと命名されて育てられた

パリス - Wikipedia

ということで、不吉な予言をされてしまったために、親から疎まれて殺されそうになったところを、殺されずにすみ、羊飼いに拾われて育てられたという出自。別に悪いことしたわけでもないのに、母親がパリスを生むときに変な夢を見て、夢占い師に聞いたら、「禍の種になるから殺せ」とか言われちゃって。理不尽な感じ。

こういう人物を裁定者としてゼウスは指名したわけだ。

 

わたしはこう想像した。

先日の記事

の中で触れられていたように、知恵はパラスアテナ、組織(権力)はヘラに象徴されるとして、快楽としてアフロディーテが示されている。

このことを考えると、知恵で生き延びてきたわけでもなく、組織からは殺されそうになった人間が選ぶのはやっぱり快楽のような気がするのだが。ここにゼウスの意図があるとするならば。

パリスは追いやられた人間である。

追いやられた人間が求めるものはなんだろうか?

アフロディーテは美と愛の女神でもある。

エリスは不和の女神というけれども、光のあたらない部分をみんなに知らしめた結果が不和になるんだ、ということなのかもしれない。

人間は大抵、自分の受け付けないようなものは隠したり追い出したり、見ないようにしているから。

 

ここまで書いて、自分は少し感慨深くなった……

 

しかし、アフロディーテもエリスに劣らずなかなかにえぐいことすると思ったのはたぶんわたしが人間だからであろう(苦笑

こう考えると、どの女神が勝ち取っても、なんかえぐい報酬の様な気がして、どのみち戦争になったんだろうなあ。とは思った。人間の愚かさなのかもしれないが。

 

むかしわたしはいじわるだった

心理学などでアダルトチルドレンとかインナーチャイルドとか言われるものの癒しの中で、たぶん悪者になってるであろう母親像がある。

私の場合、それは母親でなく自分自身だった。

自分は気まぐれで忍耐があまりなく、機嫌がよくて気力もあれば、人との関わりに十分な気力をもってしてできるはずなのに、なぜか気分がいらいらして非常に投げやりになることがある。

これは単に疲れているとかそういう問題ではなく、自分では十分な体力があって、ひとりで体を動かす分にはあまり気にならないのだが、ほかの人と関わるような時間があるととてもつらいことがある。自分では疲れているわけではないと思っているので、なんだかどうしてこんなにイライラするんだろう、こんなところから離れて一人になりたい、と思うのはそんなところだ。

子供時代は妹が一緒にいたから、たぶん遊ぶときは妹がそういう自分のいらいらの餌食になっていただろうな、という想像はつく。

とある心理系の講座で母親に精神的虐待を受けた人の話を読んで、その母親がまるで自分のようだと思った。その母親も生まれたときにはいろいろと扱いでいい思いをしたことがなかったらしいので、その人自身は母への理解は一定にあったけど、やはり人の不機嫌の犠牲になるというのはあまり心地よくないものだ。そういうことを感じたけど、講師には言えなかった。なんか言えばなんとなく嫌なことを言われそうだなと感じて。だから以前別のワークショップでなんだか自分はその人たちが苦労した相手の性格を持ってるような感じがしていて、わたしは仇敵かよ、みたいな思いがそのときの心理系講座では浮上してきた。

こういう自分は子供時代別になにか異常があるとかそんなことは言われたことはない。身体検査で虚弱の傾向はあると言われたけど、精神とか知的な面で問題を抱えているという指摘は受けてない。

とはいえ、中学時代になると、自分はどこか変なような気がしていた。それはうまく言えなかったけど、やっぱり呪われてる、という感覚が一番その頃はぴったりだったように思う。

そして睡眠薬を求めて、薬局で聞き、家の人とかに相談とか病院とかそんなことを勧められたように記憶している。

そのうちわたしはなんだかまわりからいい人のように思われていくようになっていた。

高校時代、受験を控えた時期にまわりとぎくしゃくして、仲が良いと自分で思っていた人がこちらを無視する様になったりして、もう、これからは卒業したらひとりで生きていこうと思った。

そして宗教に入り、自分の苦しさをその宗教で修行することによって自分は自分を救済していたように思う。

大学ではあまり人間関係のいざこざは起こらなかった。起こりそうな前に自分から身を引いたり、ひとりでもいいと怒って、相手に文句をぶつけていたりした。

幸い、そのことは自分にはあまり悪い方向にはむかわなかったようだが、今思えばどうだったのだろう?まあ、その集団の中で自分がいずらくなるということはなかったから、4年間という限定された時間の中ではよかったことだと思う。

そういうことが就職先でもあった。自分が至らなくてやってことだったが、自分にとって理不尽な言い方と感じて、上司に訴えたりした。けど、そのときはよかったが、その会社には3年もいなかった。

次のところは一生懸命頑張って忍耐してスキルをつけて仕事自体はできるようになったけど、すごく疲弊して3年ももたず退職した。そのあと就職したところは1か月しかもたなかった。対人関係での忍耐のようなものが切れてしまったらしく、以後就職しなければと思いつつできなかった。

母にはそれを責められていて、最悪だったと思う。それから3年から4年ほどして自分は精神病のようになり、病院に入院した。

 

 

スピリチュアルなことをやっているところにきて、自分は最初ほとんど気が付かなかった。

そういうことに興味をもつ人の大半は自分がないがしろにされたりいじめられたり虐待された子供時代を送っていて、話を聞けば、なんかかつての意地悪な自分のような人たちによって虐待されたということを。

その話で行けば、むしろわたしより妹のほうがスピリチュアルな人たちとの境遇に似ている。

自分は自分のことをあまり覚えておらず、覚えているのはそういう意地悪なことだけ、そして遊び友達の中では別にリーダーシップを発揮していたわけでもなく、少し臆病な子だった。

ただ、母親の機嫌をもしかして始終うかがっていたかもしれない。少し前に母に関する詩を書いたとき、そんなことを書いて、それで初めて自分は無意識に行っていたかもしれないという、その可能性に気が付いたのだった。