bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

むかしわたしはいじわるだった

心理学などでアダルトチルドレンとかインナーチャイルドとか言われるものの癒しの中で、たぶん悪者になってるであろう母親像がある。

私の場合、それは母親でなく自分自身だった。

自分は気まぐれで忍耐があまりなく、機嫌がよくて気力もあれば、人との関わりに十分な気力をもってしてできるはずなのに、なぜか気分がいらいらして非常に投げやりになることがある。

これは単に疲れているとかそういう問題ではなく、自分では十分な体力があって、ひとりで体を動かす分にはあまり気にならないのだが、ほかの人と関わるような時間があるととてもつらいことがある。自分では疲れているわけではないと思っているので、なんだかどうしてこんなにイライラするんだろう、こんなところから離れて一人になりたい、と思うのはそんなところだ。

子供時代は妹が一緒にいたから、たぶん遊ぶときは妹がそういう自分のいらいらの餌食になっていただろうな、という想像はつく。

とある心理系の講座で母親に精神的虐待を受けた人の話を読んで、その母親がまるで自分のようだと思った。その母親も生まれたときにはいろいろと扱いでいい思いをしたことがなかったらしいので、その人自身は母への理解は一定にあったけど、やはり人の不機嫌の犠牲になるというのはあまり心地よくないものだ。そういうことを感じたけど、講師には言えなかった。なんか言えばなんとなく嫌なことを言われそうだなと感じて。だから以前別のワークショップでなんだか自分はその人たちが苦労した相手の性格を持ってるような感じがしていて、わたしは仇敵かよ、みたいな思いがそのときの心理系講座では浮上してきた。

こういう自分は子供時代別になにか異常があるとかそんなことは言われたことはない。身体検査で虚弱の傾向はあると言われたけど、精神とか知的な面で問題を抱えているという指摘は受けてない。

とはいえ、中学時代になると、自分はどこか変なような気がしていた。それはうまく言えなかったけど、やっぱり呪われてる、という感覚が一番その頃はぴったりだったように思う。

そして睡眠薬を求めて、薬局で聞き、家の人とかに相談とか病院とかそんなことを勧められたように記憶している。

そのうちわたしはなんだかまわりからいい人のように思われていくようになっていた。

高校時代、受験を控えた時期にまわりとぎくしゃくして、仲が良いと自分で思っていた人がこちらを無視する様になったりして、もう、これからは卒業したらひとりで生きていこうと思った。

そして宗教に入り、自分の苦しさをその宗教で修行することによって自分は自分を救済していたように思う。

大学ではあまり人間関係のいざこざは起こらなかった。起こりそうな前に自分から身を引いたり、ひとりでもいいと怒って、相手に文句をぶつけていたりした。

幸い、そのことは自分にはあまり悪い方向にはむかわなかったようだが、今思えばどうだったのだろう?まあ、その集団の中で自分がいずらくなるということはなかったから、4年間という限定された時間の中ではよかったことだと思う。

そういうことが就職先でもあった。自分が至らなくてやってことだったが、自分にとって理不尽な言い方と感じて、上司に訴えたりした。けど、そのときはよかったが、その会社には3年もいなかった。

次のところは一生懸命頑張って忍耐してスキルをつけて仕事自体はできるようになったけど、すごく疲弊して3年ももたず退職した。そのあと就職したところは1か月しかもたなかった。対人関係での忍耐のようなものが切れてしまったらしく、以後就職しなければと思いつつできなかった。

母にはそれを責められていて、最悪だったと思う。それから3年から4年ほどして自分は精神病のようになり、病院に入院した。

 

 

スピリチュアルなことをやっているところにきて、自分は最初ほとんど気が付かなかった。

そういうことに興味をもつ人の大半は自分がないがしろにされたりいじめられたり虐待された子供時代を送っていて、話を聞けば、なんかかつての意地悪な自分のような人たちによって虐待されたということを。

その話で行けば、むしろわたしより妹のほうがスピリチュアルな人たちとの境遇に似ている。

自分は自分のことをあまり覚えておらず、覚えているのはそういう意地悪なことだけ、そして遊び友達の中では別にリーダーシップを発揮していたわけでもなく、少し臆病な子だった。

ただ、母親の機嫌をもしかして始終うかがっていたかもしれない。少し前に母に関する詩を書いたとき、そんなことを書いて、それで初めて自分は無意識に行っていたかもしれないという、その可能性に気が付いたのだった。