ニコッとタウン(以下ニコタ)ではきせかえアイテムのガチャがある。そのガチャの新作入荷時にはリンク画像が表示されるのだけど、その画像についての最近感じたことについて。
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父はもうだいぶ前に亡くなったのだけど、今でも思い出すたびに悲しくなって大泣きしたくなることがある。
それは父の亡骸というか身体というか死んでしまったことそのものなのだが。
看取っている最中はあまり感情が動かなかったのだけど、亡くなり、葬式の当日。
式の最中にわたしは棺桶に入っているであろう父の亡骸がなにかものすごく哀れに思えて滂沱の涙を禁じえなかった。周りは多分変に思うだろうと気にしてても、あとからあとから悲しみというのであろうか?そういうものが次々とあふれ出すようでずっと消えず、通夜の席もそこそこにずっと泣いていた。
その泣きたくなるようなことが、一体なんなのか、ずっとわからずにいた。
父が死んだことそのものなのか?
とも思ったし、もっと別のことかもしれないとも考えた。
葬式の最中思い出すことは、父の病のことだった。
中皮腫で亡くなった父は大工だったのでアスベスト労災の認定を受ける。
父の身体には長年吸い込んだであろうアスベストのほこりがたくさんあって、父の体はずっとそれと戦ってきたけど、とうとう武運尽きて発症してしまったのだろうな。
父自身はただ、働きづめだっただけだけど、長年働いていた父の身体がなんか哀れに思えてきて、そしてすごく悲しくなったのだった。
そこで終わればよいのだけど、そのあとも父が亡くなったという事実よりはその病気にむしばまれた父の体、というところを思い出すとやたら悲しくなる。
思いついてそこから先、葬式の後のことをずっとたどってみた。
亡骸が運ばれ火葬場でお別れするまで私はセンチメンタルなのだけど、火葬後出てきた父の骨はもはや父ではあるけど、なにか悲しみがいなくなってただの物体になってしまったようだった。お骨を拾って、骨壺に収めたけど、もはやその骨壺をずっと手元に置いておきたいという気持ちはあまりなく、むしろ父が生前使っていた遺品を手放すときのほうが悲しかったり、いろんな思い出が去来するものだなあと思った。
お骨はすぐ墓に収められ、父の肉体の片鱗は家から消えてしまった。
父を偲ぶものは父の使っていたものにうつされ、そしてそれらの品々も年々少なくなっていく。
こうしてわたしたちは徐々にお別れにつきものの悲しみを手放していくのかもしれない。
自分の持っているB41のボトル、エルドラドという名前だが上層がゴールド、下層もゴールドのこのボトルが妙に色が抜けてることに気が付く。
比べてみると上層がイエローのB4のボトルにそっくりな色になっている。
そして、キャップもひびがあって、自分なりに、これ使ったほうがいいのかなあと思って、現在使っている。
ボトルの色が抜けたり変色することをオーラソーマでは「アルケミー」と呼んでいる。持ち主、環境などの影響で色が変わることをそう言っている。
一般に太陽の光が当たると退色しやすいけど、私はこのボトルをしまいこんでいたので光はあまり当たってない。
いわゆるスピリチュアルと言われるような考え方からボトルの色抜けをオーラソーマでは「その人や場所が色抜けした色を必要としている」ということを聞いたことがあったから、じゃあ、自分は今ゴールドを必要としているのかな、と思った。
このボトルのキーワードのひとつに「叡知を分かちあう」という言葉がある。*1
ゴールドは自分自身が本来持っている智慧そのものと繋がる色なのである。
また、ゴールドやイエローは太陽神経叢などと関係していて、消化器系の働きとも関係すると言われていて、自分自身今少し消化器系に不調をきたしているからそのことも考えた。
世相が世相だし、今の自分にはゴールドが大切なのだろうと感じてる。
新しいB41を購入して、3本一緒に並べてみる。
最初に掲げた画像の通り。今使っているB41のボトルは新しいB41よりもB4の方によく似ている。
B4の名前は「サンライトボトル」
内なる知識と内なる智慧というキーワードがある。レスキューボトルにもなっていて恐れや混乱に明晰をもたらし、自分にくつろぐのを助けるというボトル。
ちなみにB41は困難な中に成長をもたらす助けとなるボトルである。
オーラソーマイクイリアムボトルに『大天使ミカエル』という名のものがある。番号はB94
このボトルの色は上層がペールブルーで下層がペールイエローである。
オーラソーマ イクイリブリアム B094 大天使 ミカエル<オーラソーマ総合情報サイト>
私はこのボトルに関したアークエンジェロイミカエルというプロダクツが大好きだ。
オーラソーマ アークエンジェロイ 各ボトルの紹介<オーラソーマ総合情報サイト>
わたしがこのボトルの画像をブログにのせようと思ったのはこの色の組み合わせをぜひ見てもらいたかったからであった。
もう、なぜ気が付かなかったんだ!
いや、本当に。今、この時期。
一つ、自分の持っているオーラソーマの本からこのボトルのメッセージを載せておく。
強烈な真実が意識の変化に応じて明かされる。
【3月4日追記】
無知ですいません。なんかすごいことになっていたようです。
なにかこのブログを閉鎖したくなって、一度非公開にして、記事を整理していた。そうしたら、5年ほど前こんな記事を書いているのを見つける。
そして、最後の方に自分がやりたいことを書いているんだけど、それがなんであるのか実は覚えていない。スピリチュアルなことなのだと思うのだが、具体的な何かを忘れている。
自分は何を実践的に学びたかったのだろう?
2017.4.9 16:10:22に投稿した記事より
今朝、夢をみた。
昔勤めていたと思しき事務所に出社するのだけど、自分の席だと思っていたところに、別の人の荷物が置いてあって、戸惑う。
それで、私は別の人の席が自分の席だったかな?と思ってその人のデスクへ行くんだが、そこにはやはりその別の人の荷物があって、私はどこに席があるのだろうと戸惑う。
取りあえず、上司に聞いてみようと思ったのだが、困ったことに上司の名前を思い出せないでいる。部長、という肩書だったことは覚えていて、その部長の席にはネット上で見かける心理関係の記事を書いてる人らしき雰囲気の男性がいた。きっとあの人が部長だろうと思って、私の席を聞いてみると、紙を渡されて、
「7階に行ってもらうから」
という。
その場所には、書道の先生だと思われる人が二人いて、私を含めると3人になる部屋だ。
そういうことで、事務所を出ようと歩き出すと、向こうから昔の会社の同僚がやってきて、ああ、私の席だと思ったのは、彼の席だったんだ、と思った。
7A というのが、私の行く部屋である。さびれた場所にエスカレータがあってそれを使うと、一瞬崩れたように感じた。けれども、エスカレータは動いて、上の階へ登ることができた。ついたところに、ロープが渡してあり、壁も雰囲気も廃墟のようで、実はこのエスカレータは使用禁止だったのだろうか、と感じたのだが、とにかく廊下を右に向かって歩き出す。
この廃墟のような建物は、大学の建物を思い起こさせた。この建物は、大学の古い校舎かもしれず、今、残っているのだろうか、と思う。
そう思いながら、歩いていくと、椅子やテーブルが置いてある休憩コーナーに差し掛かり、学生たちが何人かそこで談話していた。
その奥に、暗く階段があって、そこを登っていくと、7Aという部屋へ行けるのだろうと、わかった…
起きてから、まるで時間を遡行しているようだな、と感じた。会社の事務所は新卒で入社した会社である。
ならば、7Aとは幼少期までさかのぼる、ということなのかもしれない。
ところで、大学の建物が、半ば廃墟のようになっていたことに、少々戸惑った。
私はそれほど偏差値の高くない地方の私立大学に通っていたが、その大学は今はたくさんあるが、当時はまだ珍しかった学部があって、その学部へ入学したのだった。
私はその学問を勉強できることを大変うれしく感じていて、5月病などというものは全くなかった。
もちろん、画像はイメージです(^^ゞ
が、学年が進み、就職が視野に入ってくる3年生ごろから、私は自分の今いるところに現実感を持てないような感覚がでてきた。「離人症的」といってしまえばそうなのだけど、どこかに相談してもそれは収まらず、1年くらい経過して、4年生になって、卒論や就職活動に忙しく過ごしていくうちにそれらはいつしか忘れ去られていた…
就職先は学部と関係あるようなないような感じのところ。文系だったので大学の知識を活かそうと思えばなんらかの形で生かせる、という程度の関連性。
その後の人生は、まあ、このブログの過去記事に書いた覚えがあるかもしれないので、省略する。
今朝の夢をぼんやり反芻していた。
7Aのことはともかく、大学の建物が廃墟みたいになっていたこと。
実をいえば、専攻したものが、本当に勉強したい分野と若干ずれていたのだけど、自分はそれが世間的なものだろうと思って講義やゼミに出ていたのであった。
もしかしたら、夢はそのときの違和感を伝えてきているのかもしれない。
少し前に、私は「もし、自分がなにをやってもいい人生を送るとしたら」という仮定の質問に対して、「おしゃれしていろんなことを学びたい」みたいな感じのイメージを考えた。で、なにを学びたいのか?と具体的なことを考えるのだが、どうも今一つしっくりこないのであった。
そんなときに、今朝の夢。
私はやっぱり、10代のころ、知りたい、と思った勉強を今でもしてみたい、と思う。
それは年老いて、死に向かう、今だからこそ深く学べそうな、そんな学問。けれども大人になって世間の様子を見ると、それは宗教や迷信にも似ていて、いま、ここに書こうとすることも、ためらいがあるようなこと。
私は、知識としてそれを勉強したいのではない。体験できる形での勉強をしたい。
4月なので、なんとなく春の陽気に誘われて、そんな夢を見たのかも。
時間を経ると、具体的に書かなかったことを忘れてしまうことはよくある。
忘れてしまうことだからもう今の自分にはあまり関与しなくてもいいことなのかもしれない。
きっと、そんなことを感じたからブログの閉鎖を考えたのだろうけど、実際に整理し始めると、削除したのはほとんど断薬中止後の記事であり、それ以前の記事はなんか却って懐かしく感じて削除するのがもったいなくなった。
ちなみにこの記事はやめていた薬を飲んで少し気落ちしている時期だったと思うが、とりあえず頑張ろうという意識もあった。
昔のアルバムを懐かしく読むような感じ。
はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問」
ブログ名
自然界では本来青いバラは存在しなかったため、昔は「不可能」などというイメージの花言葉だった。しかし、近年遺伝子組み換えにより青いバラが登場したため「夢かなう」という花言葉に変わったことに深い感銘を覚えた。それにあやかって。
参考:
ハンドルネーム
調子っぱずれ。意味はいかようにもお取りください。
退屈していたので、どこかに自分の考えてることや感じたことを書いてみたくて。
先日の分類記事、というのは冗談です。
1つ挙げるとしたら。
今読んで、「ああ自分そうなんだ」と思った。多分、また何かの機会に読んだとききっと自分はまた「ああ自分そうなんだ」と思うに違いない記事。
新しい発見をしたとき。もやっと気分がしているとき。
現在もこれからも下書きに保存する記事はないだろうと思う。
ほとんどない。
いつもありがとう!
2011年11月くらいですか?…すごい本読んでた。山田風太郎ばっかり。この次の年、自分は聴覚を半分失うことなどこのときは知る由もなく…
自分の肉体についてとても深くアクセスした10年だった。星占いのお話で恐縮ですが、この10年はほぼ、自分が社会とどうかかわるか、ということについての再定義を行うような時期だったそうです。先日とある本を読んで初めて知りました。
いや、天体と人間存在のシンクロ。昔の人はすごいこと発見してるなあ。