bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

山田風太郎とわたし。(note記事転載です)

noteで山田風太郎について、自分とのかかわりを書いた。

ホロスコープがらみなので、読みにくいかもしれないが、こちらに転載しておきます。

 


 

要注意小惑星の変容と視点の変化

日常生活において出会う人と、苦しい関係になってしまったとき、ホロスコープで要注意惑星(ネガティブな意味があるもの)が絡んでいると、そこが苦しみの原因だったんだなあと思って、自分を責めることだけはとりあえず、やめることができる。これは私にとって素敵な方法だった。

世の中にはプライベートな関りとは別に、大勢の人の前に発表した作品を通じて、たくさんの人の心に訴えかけることを生業としている方がいる。
その人たちの人生も、必ずしも平穏とは言えず、むしろ市井の人たちよりはもっと波乱万丈なことが多い。

そういう自分からは遠い世界に住んでいるが、作品はこちらに届く、そういう関係の人たちについて、ホロスコープで自分との関係を見る。

山田風太郎はなぜだか、note記事に何回か登場していただいている。そのネイタルチャートを読むことではなくて、あくまでも私自身との関連性において登場していただいている。

自分とのシナストリーで、これはプライベートで人間関係として関わった場合、きっとうまくいかないだろうなあ、という配置をわたしは山田さんとの間に持っている。

太陽がわたしの小惑星ネメシスと合
山風のネメシスが、自分の太陽に合。山風のネッススが自分のアセンダントに1度違いの合。山風のリリス(平均)が自分の金星に合。

同上

お互いの太陽にお互いのネメシスがタイトな合で、まるでお互いの太陽を監視しているかのようである。そして、ネッススとリリスがわたしのアセンダントや金星にからんでいるという。

山田風太郎の小説を読みだしたのは40を過ぎてからだった。それまでは名前は知っていても読もうという気もしなかったが、ネットで時代小説を読む方に影響されて、そのうち山田風太郎も読むようになり、ほかの時代小説家と違うその伝奇的な発想に夢中になって、出版されていたほとんどを読んだ。その後、スピリチュアルの世界でいろんなことを知りだしてから、
「もういいかな」
と思って、山風の本のいくつかを手放した。半分くらいかな?もっと多かったかな?

山田風太郎の世界は、日本人の怨念の世界と、それを超越する視点で滅びていく姿を描いている。わたしは幕末とか明治維新とか嫌いでそこらへんの情報とか読めなかったのだが、山田風太郎の明治小説における、伝奇的な組み立て方で、嫌悪感がだいぶ減り、この時代を毛嫌いしなくなった。

私が読んだ限り、彼の基本は、徴兵検査の時に病気になり、兵役にとられなかったことによる「列外」という疎外感と、中学時代に母を亡くしたことによる一種の「窒息するような」哀しみから発している。
彼と同時代の若者たちはほとんどが兵役に行き、「死にどき」という言い方もしていた。
その彼が、戦後、すぐにミステリー小説で生計を立て始め、世間を風靡するような作品を次々と発表した。
その原動力は、「敵、アメリカに負けた」彼らの世代の怨念が、戦後の経済戦争としての「兵士」としてリベンジしているかのごとく、彼もその怨念を「忍法帖」シリーズに託していたと、どこかでそういう評論を読んだ。

作品と、著者の個性を一緒くたにして、見ることは相手を誤解することにつながるけど、いつだか、いきものがかりの水野さんというミュージシャンが
「自分の音楽を好きな人が、自分の考え方と違って、自分を受け入れられないとしても、音楽というツールがそれをつないでくれる。」
と、そういう一種の理想というか、そんなことを述べていた。
(出典は新聞だけど、だいぶ前なので忘れた。間違っていたらごめんなさい。)

同じように、太陽とネメシスがお互いを監視するような星の配置の作家さんの作品は面白く興味深く読めても、必ずしも相手の考え方に同調できるかと言うと、そうではないなあ。それは山風の日記を読むとそう思う。

だからこそ、山風が亡くなった後の21世紀、自分も「不惑」を過ぎてからの読書体験なのかもしれない。

そして、チャート上で、極めて特異で縁のある星まわりがあるけど、本人とは直接関係ない場合、作品を作る人との間だったら、人間同士で苦しい体験をするようなことをあえて身をもってする必要はないけど、そのことをどこかの感覚では知っておきたい、と言う場合、こういう風なことがあるのかもしれない。

だから、以前、自分のプライベートで、こんな山田風太郎的配置を持っていた人を好きになった自分は、もしかすると、どこかで人間の苦しみの様なことをカルマとして持っていて、それがわからず、相手と関わったのかもしれない。それはまず自分が「身をもって」体験することが必要だったから、ということになるのかもしれない。

そのうえでの、40過ぎの山田風太郎読書体験があると、身をもって知ると知らないとではおそらく読書体験の深みも違っていただろうと感じる。

まあ、しかし、夢中になるアーティストは、きっと自分のチャートと深く結びつくような配置があるんだろうね。

そして、体験、というものは、必ずしも日常生活、3次元だけがすべてなのではなく、別の目に見えない世界を自分自身が知るためのツールとして芸術作品があるのかもしれない。

これを書く前に、AIに聞いたんだけど、さすがに美しくまとめてくるので、要注意惑星について、自分が感じていることを考え直すきっかけになった。
今朝の新聞では、AIによって考え方を変える人が、実験では3割に上ったという。
いよいよ、こころしてAIと付き合う時代がやってきたようである。

 

note.com

わたしの変性意識(病理ではあるが)の体験

ameblo.jp

寝ようとしても脳が冴えて眠れないのです。
目をつぶっても冴えて冴えて、いつもの何十倍くらいの冴え方で、脳内に浮かぶことが全ておもしろいんですよね。

なんでもわかってしまうというか、解けてしまうような感じでした。

そしたらグラスかなんかが頭に浮かんで、そのグラスに意識がフォーカスされて行きました。

するとあまりにフォーカスされるもんで、突如粒子レベルまで拡大されて行くんですよ。

こちらの記事は去年の6月に書かれたのであるが、こちらの方のブログ一応記録は全部読んだつもりだったけど、ここの記事覚えてなかった。

どこかで飛ばしてしまったのかもしれない。

 

とにかく、私自身も精神疾患で入院する前にメンタルが非常にヤバいことになっていて、とにかく、最初ノートにいろんなことを書いてたり考えていたりするうちに、頭というかなにかが爆発して、0ポイントと自分で名付けた、なにもなくでもすべてがあるような、なにもかもわかってしまうようなそんな意識状態に陥ったことがあった。

 

その後、徐々にいろんなイメージがでるというか戻ってくる言うか、そんな感じになるんだけど、それが妄想とか幻覚とかになってきて、やがて恐怖を伴うイメージになっていくので、とても恐ろしかった。

 

たぶん、精神世界で、いろんなチャネリングとか、幽体離脱とか、イメージングとかそういうの恐ろしくでできないのはこのトラウマのせいかもしれないから無理しないどこ、と思った。

(一度、少人数で瞑想した時、言葉でイメージを提示されたんだけど、イメージの通りに行かず、宇宙みたいなところにイメージがぶっ飛んだ体験もあったし。)

 

世の中にアスペクトができないものなどない。

一見、なんの関係もなさそうな、ふたつの惑星の角度も、ネットで調べるとたくさんのマイナーアスペクトがある。

たとえば、105度なんていう角度にアスペクトが存在するとは思わなかったけど、ホロスコープを24分割して、15度づつにしたグループがあり、そこでは105度も15×7という数字に意味のあるアスペクトを見出すこともあるらしい。

だから、全く意味がないわけでもないらしい。

文学みたいに言って書いてしまおうかとか思うんだけど、いざ投稿場面に行くと、やっぱりなんか違うと感じて、結局そのままだ。

これが今現在関わっている人との話ならともかく、昔の人のことだから、世間ではいつもの、あんな感じの話に冗談、でも文学とか言ってるとき、自分も冗談扱いしているのではないだろうか?と考えると、またループだなあ。

たそがれマイラブにぼろぼろ涙が出る。運命とかいてさだめ。自分はいつまでも成長しない子供みたいに。

なんかもう、どうでもよくなってきている。このことが出てきたから、どうもここから先がなんともいえない。あの時のように、自分はただ無意識の世界にある、求めあいのそんな世界からどうしたらいいのかわからない。現実の相手の気持ちなどわからないままなのに。

 

www.youtube.com

ホワイトムーンセレナという占星術の感受点について

最近、占星術を少しやってる。

素人で、あまり知識もなく、なにかを貪欲に知りたいというわけでもなく、行きがかり上、気になってることが浮上して、それのために調べているという状況。

したがって、なにか新事実とか、自分のアイデアというわけでもなく、なんとなく使いこなせないアイテムが出てきて、

「こんなの使えな~~い」

と愚痴を言うだけのことですので、ごめんなさい。

 

ということで、新しくホロスコープで知った感受点が、タイトルの

「ホワイトムーンセレナ」

という感受点。

詳しいことは検索していただきたい。

疲れているので。

まあブラックムーンリリスが闇なので、光の方もあるだろう?とかいう考えから編み出されたとかなんとかいうのをどこかで読んだ。間違っているかもしれない。

 

そんなわけで、一応出してみた。

そしたら、リリスと同じく、平均と真と二つあって、真のセレナのほうは自分の真のリリスの対極にあった。

これって単純に対極点なのかな?とか思ってもう一人出してみて、それもやっぱり対極にあった。

二人だけのサンプルで申し訳ない。しかしなんかやる気を失うような平均セレナの位置になっていたのである。

 

自分の平均セレナはなんと、真のセレナの対極星座にあった。

 

は?

 

どういうこと?

 

もう一人の方は隣の星座にあったから、なんかずいぶんひどい感受点なのでは?と思った。

 

だって、平均と真がほぼ対極星座にあるって、リリスですらそんなことなくてせいぜいが隣の星座なのに。

 

一体、どっちを読めというのだ?

平均セレナは真のリリスと平均リリスのだいたい真ん中あたりにある。

巷では、真のセレナの出し方はほとんどないけど、アストロシークさんでは出せるから、そこで出した。

 

horoscopes.astro-seek.com

 

わたしのセレナは二つに分裂してるとでも言うのでしょうか?

なんか疲れて、これ当分使えそうにない。

【どこが違うのだろう?】同じ生年月日の人を探したときの話

10年くらい前の話になる。

当時自分は、スピリチュアルなところで悶々とした生活を送っていた。

周りの人たちはどんどんと活躍をし始める。

けれども自分はうまくいかない。なんでなんだろう?

という気持ちが非常に大きかった。

 

占星術のことは若いころから興味があった。けれども、自分と比較対象する存在はみな、誕生日が違う。

「自分と同じ日に生まれた人はどんな生活を送っているのだろう?」

そんな疑問というか興味が出てきて、ネット社会の強みである、知らない人の誕生日などを探し始めた。

 

その結果、当時3人の方が見つかった。

当時はまだ比較的自分のサイトに生年月日を記している人も多かったから、このことが可能だったのかもしれない。

みな同じブログサービスで、商業用の宣伝とか、コミュニティに力を入れているところ。

 

3人の方はそれぞれこんな経歴を披露していた。

とある女性は、結婚したらしく、ブログ更新が止まっている。音楽関係かな?お店で演奏しているとかそんな記事があった記憶がある。

二人目の方は美容師。ヘナなどの自然派な技法を使うことをブログで記事にしていた。

そして、三人目の方が、スピリチュアルの仕事をしていた。この方は出生データが時間まであった。さらに、この方が仕事でこちらの地元にくるお知らせをしていて、その方にはお会いすることもできた。

 

狭い空間で数人の方と一緒にミニ講座を受けたあと、なんだか、この人に自分の苦しい胸の内をしゃべりたくなった。

次の日は大きなイベントに出店しているとのことだったので、そこに出かけて、お会いした。

会ってしゃべっているうち、ボロボロ涙が出てきて、しょうがなかった。どうして自分はこんな風なのだろう?自分はどんな前世だったんだろう?ってしきりにしゃべっていた。

 

前世の話は、それまでどこへ行っても、教えてもらえずにいた。準備ができないと情報をもらっても崩れるだけだと聞いてはいたけど、どこかで不満がさく裂していた。

 

その人は困ったのかな?あまりわからないけど、やさしく話を聞いてくれて、その人が見えたことを教えてくれた。わたしはその内容があるかどうかピンとこなかったけど、まるっきり変な内容でもなく、さらに、ちょっとしたエネルギーヒーリングもしてくれて、来てよかった、と思った。

 

ところが、わたしはどこか鬼みたいな部分があった。そのあと、ブログを見ても、なんだか嫉妬の様なそんな気持ちがわいてきて、妬みとかそんな感じだったのかな?それでその方のブログとか見ることがなくなった。

 

こういう自分の悩みを聞いてくれた人に対し、時間がたつと自分はどこか般若みたいに嫉妬とか妬みとか、そんなネガティブな気持ちがわいてくる。それはもう大学時代からそうであって、ずっとたぶん今でもそうだ。

 

さて、その方の出生データは知っているので、チャートを作ってみた。「同じ日に生まれたのに、なぜこんなに違う人生なのだろう?」という答えを探すために。

 

生まれた時間は七時間ほど違っている。

こちらで6ハウスにある天王星と冥王星はその方は10ハウスにあって、天王星がカルミネート。さらに10室には月もあり、仕事人生がその方の気持ちに調和している。

一方、4室には土星とキロン。それを現すようなことはその方のサイトで少し拝見した。

 

くわしくは調べなくても、ぱっと見こんな風な配置が見えたものだから、ああ、やっぱり違うんだなあ、と思った。

それでまた自分は自分のことに少し失望してしまうのだが。

 

ヒューマンデザインというのがある。それについても調べてみた。

同じ権威で同じプロジェクターなんだけど、プロファイルが違っていた。

その方は2/4で、わたしは2/5

わたしのプロファイルは少数派で、というのも、この組み合わせはあまり長いことできてないのだ。私もあと数時間早ければ2/4 あるいはもう数時間遅ければ3/5(こちらも多数派のプロファイル)というのになっていたけど、少数派2/5

 

同じ日に生まれたけど、生まれた時間が違うと明確に違うなにかがある。ほんの数時間の違いなのに、と思うけど、それが個性とか運命というものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

急に湧き上がるケーキ欲!食べ過ぎで体調不良# 寸前

先月7月17日より、普段は全然口にすることのなくなっていた、ショートケーキ、ロールケーキなどをスーパーコンビニなどで買い食いすることが出てきた。

買い食いです。一緒に買い物して家で食べるのでなく、散歩のときケーキだけ買ってその場の憩いの場などで食べる行為。

ものもと甘いものは嫌いじゃないけど、歯の関係があって、ここ15年以上、そういうケーキ類は口にしないようにしていた。たまにいただき物で食べるくらい。

 

それが、どういうわけか、自分としては「急に」そういうものが食べたくなり、しかも、銘菓の店やケーキ専門店のではなく、某パンメーカーのケーキとか、よくスーパーで見かけるメーカーのケーキとかそんなものばかりがやたら食べたくなって、最後の方になると

「ケーキを食べたいから」

散歩に出ようかな、とか考えるくらいヤバくなってきた。

 

どんな状況かというと。

  1. 7/17 ショコラトルケーキ2個入り 372円
  2. 7/19 チョコ手巻きロール4切れ入り 318円 
  3. 7/21 シフォンサンド4切れ入り 318円
  4. 7/23 和三盆ロール7~8センチくらいはあったかな? 645円
  5. 7/25 レモンケーキ2個入り 415円
  6. 7/29 コーヒーケーキ2個入り 459円
  7. 7/31 ワッフル(これはおやつ系の1個入り)192円
  8. 8/2 チョコ手巻きロール4切れ入り 397円
  9. (例外8/1コーヒーロール1切れ入り 125円は買い物した時に一緒に買った)

 

以上、例外のケーキを除くと、合計3116円を消費した。

8月1日は自分が食事の買い物に出かけた。帰ってきてから家族に

「珍しいね、お菓子買ってくるの」

とか言われたけど、その時にはすでに7回ほど、外で買い食い、しかも何人かで分けるようなパックのケーキをその時全部食べる、ということをやっていたのである…

 

昨日8月2日の夕方、ご飯食べたあとなのに、ケーキが食べたくなってそわそわしていた。そして、家族に「散歩してくる」

と言い残して、家を出た。散歩しながら、自分の欲求が収まるのを待っていたのだが、やっぱりなんともこの欲望は如何ともせず、とうとう近所のスーパーへ入って買い食いした。

家に戻ってから、なんとなく気持ち悪くなり、

「さすがにケーキ食べすぎてるなあ」

とようやく身体への影響に心を向ける。それまで全然「おいしいおいしい」で体には全然堪えなかったんだけど、昨日は、前日にも買い物で買ってきて食べたコーヒーロールがあって、一日開けずに連日で食べたせいもあるかもしれない

 

とりあえず、巷では、問題解決においてまずは現状把握のため

「書きだす、可視化する、明白にする」

というようなことが推奨されているので、書き出してみた。

 

 

余談。

今日のタイトルは先に記事書いてAIに考えてもらいました。

いくつか項目があって、SNS向けのタイトルが秀逸だったので、ブログ記事だけどこれを採用しました。最後の「寸前」はわたしが書き足しました。

 

 

体感覚と自分の考えることについて

精神科には99年頃にお世話になっていて、そこからインターネットに触れるのが2004年頃。そのネット上で起きた人との関わりにおいての出来事。

2005年か2006年かちょっともう思い出せないのだけど、その頃私は当時はやりだしたSNSに招待してもらい、そこで人とのやりとりを楽しく行っていた。

ところが、とある出来事から、その中の一人と感情的なトラブルがあり、私はその人と付き合うのがつらくなったので、付き合いをやめる。

そういうことが起きているときの話。

トラブルの最中、感情的な行き違いゆえに、これは自分が悪いのか、ああいってくる相手が悪いのか、としきりに悩んでいた。

そこでいろんな考えが浮かんでくるのだが、あるとき自分ではばかげているとかそんな考えが浮かんできたときに、胸のあたりがふわっと緩んでくるのを感じて、改めて自分の考えに注目することになった。

そのときなにを考えていたのかもう思い出せないんだけど、覚えていることは普段のいつもの考え方のときに胸が締め付けられる感じがして、ばかばかしいと思って普段は相手にもしないようなことを考えたときふわっと胸が緩んだ、ということだけは記憶している。

だから、わたしはこのときに、自分が考えたことが身体の心地よさに影響を与えているんだなあ、と初めて実感したのである。

 

そんな体験から、歳月は過ぎて、ヒーリング関係のことをやり始めて、精神科のほうは通院しなくてもよくなってきたけど、もう一つの懸案事項である喘息があまり改善していない。私としてはこれもできれば改善したいんだけど、ケイシー療法と言われるところで知ったことを少しやってみても、全面的に薬がいらなくなる、というところまではいかなかった。

 

自分の考えが身体に影響を及ぼす、ということにこだわっていたころ、なかなか改善しなかったことが、外部からレイキとかケイシー療法とかで対応しているうちに、少し改善するのも実感したため、すっかり自分の考えのことなど忘れ、また好き勝手に自分の好きなことを考えていたのかもしれない。

 

ところが、ヒューマンデザインを知ってから、自分のそういう考えは自分じゃなくて、周りから条件付けされたものかもしれない、というのをチャートを見ながらリーディングを受けて、考えは自分の生活習慣にも及ぶことをあらためて自覚した。確かにそうだ。食べ物とか生活スタイルなんて、自分の信条に沿って形成されていくんだから。

 

そんなこともあって、数年前からまた自分が考えていることについて、少し考えるようになったんだけど、なんだかあまりうまくいってない感じがしていた。

やっぱり考えだけではだめで、考えなどとにかくほったらかしで自分の生活のスタイルを実践しなくては、と思っていたのである。

 

ところが、事態はまるで追い打ちをかけるように、今年歯の根元が腐って根管治療しなくてはだめなことになった。全然痛くもなかったのだが、たまたま定期的にとってるレントゲンで根元が腐っていることを発見されたのである。

 

で、前に別の歯で根管治療したことあるので、あまり深く考えなかったんだけど、いざ始まってみると、なんだか経過が思わしくなく、あまりにも痛みがひどくて、4回目から担当の歯科医が変わり、3か月治療やめて経過を見た。そしてCTを先日撮ってみて経過がかなりよろしくない、とのことだった。診断されてから5か月が経過していた。

とりあえず、昨日はCT見ながら先生が実際に治療しているところを見て少し中を治療して、また次回。というところにいるんだけど、この治療した歯が不思議な痛みを送ってきた。

 

今日になって、別段なにもしなければ痛みもない、食べるときに気を付けていればいいんだけど、ふと、昔付き合っていた人のこととか、父親のこととか、思い出して、そのあとそれらの人に関するなんらかの考えが一緒に浮かんできた(言語化が難しい)時。

ほぼ同時に、その治療した歯の中で虫歯がうずくような鋭くしみるような刺すようなあの歯特有の痛みが出て、びっくりした。それで考えるのをやめて、でも、無意識に部屋を移動しながら、なにげなく考えているところにまた彼らのことが浮かんでくると、無意識の考えと一緒のように歯の痛みがくるので、びっくりしてやめる。そういうことが数回あって、初めて

「なんかこれらの人について考えるのまずいのかな?」

と思い、また浮かんできたときに心の中で

「スルーだ」

とか思ったら、一層歯の痛みが大きくなって、びっくりしたので、スルーもだめなことがわかった。

幸い、それからあとは特に痛みがない。

 

なんか因果関係はわからないけど、体感覚の苦痛と自分で考えてることが自分にとっては苦痛な出来事に近いので、そういうものが一緒に出てくることってあるのかもしれないって思った。