bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

西洋占星術におけるノード軸と過去生。決め手は関わる天体にあり?

おことわり:自分は職業占術家ではありませんので、以下の内容は当該リンク先の記事をもとに想像(妄想)してみた、仮説のようなものです<(_ _)>

 

↓前置き↓

前世とか過去生という概念は昔からあったけど、それはそういうものを思い出す人がいて、今回の人生だけでは説明がつかないとか、輪廻転生の概念を実際には心理的な説明で考えたりとか、まあこれ自体がどこか観念的な説明に終始してしまう性質である。

ただ、「輪廻転生は証明できない」けれども「反証もできない」から否定するわけにはいかない、とカールセーガンがどこかの本でダライ・ラマ14世の言葉を書いていたように思う。

 

というわけで、最近わたしは、星占いにおける出生図に過去生のなごりがあるけど、それを見つける方法を書いているサイトを見ていて考えたことを書く。

そのサイトさんは以下のところである。

 

K's Fortune Labo 宿曜占星術×西洋占星術: ドラゴンヘッドを読む(6)実占補足 月とドラゴンヘッド、読み方の違い

(以下「K’sさん」と略す)

ヘッドはカルマ原因となった過去世。テイルはカルマ解消のために今世で行うべきこと。ネイタルホロスコープには、ヘッド&テイルで債務原因と支払い方法がセットで表されているということになります。

 

参考本↓

 

ドラゴンヘッド・ドラゴンテイル | 結婚相手の選び方

(以下「結婚さん」と略す)

占星術では、ドラゴンテイルは前世(と今世の初期)、ドラゴンヘッドは前世を反映した今世の生き方、という解釈が一般的で、観念的とはいえ矛盾の少ない解釈です。従って当サイトでもその解釈に沿って説明します。

 

上記のリンク先はドラゴンヘッドテイルに関する記事の一部分であり、詳しくはリンク先に示されてるほかの記事と合わせて読んでいただきたい。(これから書く記事もそちらからの情報からの感想文も入るため)

 

↑という前提で話を進める。

 

これらの情報をもとに、自分の出生図を見ながら参考本を読んでみた。

K’sさんの情報ではヘッドの方が今生に対応する過去生ということであった。よって参考本は「ヘッド」と「テイル」入れ替えて読むとよい、言うことである。参考本のややこしいのは、ヘッドそれぞれの項目に「前世の姿」が書かれていて、そのあとに今の自分の傾向が書かれている。そのヘッドの「前世の姿」は確かに自分じゃない感じがして、一方自分のテイルに当たる項目の「ヘッド」の「前世の姿」では「確かに自分こんな感じだ」と思う部分があった。

ゆえに、この後の今の自分の傾向を読むと、確かに自分はこんな風に過ごしてきたと感じるから、アドバイスもなるほど、と読める。

本来の自分の「ヘッド」の項目を読むと、「前世の姿」はあまり自分らしくないなあと感じる。そして今の自分の傾向なのだが…実はすごい腹の立つ言葉があったりして、「図星されると人は腹を立てる」という言葉を思い起こさせた。無意識にある癖なのかもしれない。だからこそ、ヘッドは過去生から持ち越している自分の未解決な部分であり、という考えになるのかもしれない。

 

結婚さんのほうでは一般的にヘッドを今世へのアドバイスとして書いてあるのだが、こちらは自分の職業的な興味とかがいまいち違う感じがする。しかし、なんというか自分の危惧している自分のことについてのアドバイスが書いてあるので、これもまたうーんと考えた。(この指摘は自分はそうすることができればきっと先へ進めると感じさせてくれる話だった)

で、結婚さんのほうではアスペクトとシナストリーも掲載しているので、こちらも読んでみて、ここから自分の考えたことになる。(前置き長くてすいません…)

 

アスペクトではドラゴンヘッドと合、ドラゴンテイルと合、ノード軸とのスクエアという3種類の説明がある。

自分の出生図ではスクエアがあり、この天体はノード軸の対極にあるそれぞれのサインのうち、スキップされたものがあるという。それを統合することが解決の道となってる。そして、解決の仕方であるが、天体から見て、ヘッド側を通って解決する方法と、テイル側を通って解決する方法があって、自分の場合はテイル側を通って解決する方法だった。

となると、テイル側で(結婚さんの情報における、過去生でやり残したことや忘れ去られたこと)を見つけて統合することで解決するらしく、これはK’sさんの情報よりだなあと感じた。

 

思うに過去生の記憶がある人は、そのこと自体がすでに過去生のなんらかを自分の中に統合する必要があるから、テイル側のほうがしっくりくるのではなかろうかと考えた。

もっというと、結婚さんのアスペクトで書かれているテイルと合についてはその天体の意味するものをテイル側が持っていてそれを今世で解決することで、ヘッド側の要求するものや目的を達成できるという意味合いがある。

ヘッド側に合のある天体はすでにテイル側において解決して素質として出来上がったものを発揮する準備ができているから、迷わずヘッドに向けて動くことができる。

そういう意味ではヘッド側に天体が合のある人は過去生についてはもう興味もなく、思い出しもしないだろうから、K’sさんのサイトを見ることもないだろうと考える。よって集まってくる情報もテイル側にポイントのある人々が反応している感じがする。

 

ちなみに、個人情報なので詳しく書かないが、K’sさん自身はスクエアとテイルに天体があるので、やっぱりそうなんだろうなあ、という感じを受けた。

 

わたしとしては、ヘッド側に合を持つ人がこういう解説文を読んで、どんな印象を受けるのかぜひとも知りたいところである。

 

 

 

 

トロイア戦争に関する話(妄想ですw

最近準惑星エリスについて検索することが多かった。その中で面白いなあと思った文章が先日の自分の記事に転記したものである。

136199 Eris 西洋占星術からみた、とある文章。 - bluerose’s diary

さて、エリスについて改めて紹介しよう。

エリスはギリシャ神話で不和と争いの女神とされる。軍神アーレスの妹とも言われる。

wikipedeiaによれば、トロイア戦争のきっかけとなるある出来事の重要な神の一人である。

『キュプリア』

散逸した叙事詩キュプリア』によると、エリスは女神テティスペーレウスの結婚式に招かれなかった腹いせに、「最も美しい女神に」と記した黄金の林檎を宴の場に投げ入れ、ヘーラーアテーナーアプロディーテー3女神の争いを引き起た。その結果、3人の女神はトロイアの王子パリスによる裁定(パリスの審判)を仰ぐことになり、トロイア戦争の遠因を作った。

エリス (ギリシア神話) - Wikipedia

このトロイア戦争なのだけど、もともとはゼウスが人間の人口を減らしたい、ということで、計画的に仕組まれたものらしいのだが、そのゼウスが裁定者に選んだパリスとはいかなる人物かというと。

アレクサンドロス(後のパリス)を産むとき、ヘカベーは、自分が燃える木を生み出し、それが燃え広がってイーリオスが焼け落ちるという夢を見た[1]。ヘカベーが夢占い師にこの夢のことを告げると、彼は「この子は災厄の種になる」として、殺すことを勧めた[1]。そこで、プリアモスは家来に、アレクサンドロスを連行して殺すように命じた。家来はアレクサンドロスを殺すにしのびず、イーデー山に捨てた。捨てられた子は、羊飼いに拾われて、彼からパリスと命名されて育てられた

パリス - Wikipedia

ということで、不吉な予言をされてしまったために、親から疎まれて殺されそうになったところを、殺されずにすみ、羊飼いに拾われて育てられたという出自。別に悪いことしたわけでもないのに、母親がパリスを生むときに変な夢を見て、夢占い師に聞いたら、「禍の種になるから殺せ」とか言われちゃって。理不尽な感じ。

こういう人物を裁定者としてゼウスは指名したわけだ。

 

わたしはこう想像した。

先日の記事

の中で触れられていたように、知恵はパラスアテナ、組織(権力)はヘラに象徴されるとして、快楽としてアフロディーテが示されている。

このことを考えると、知恵で生き延びてきたわけでもなく、組織からは殺されそうになった人間が選ぶのはやっぱり快楽のような気がするのだが。ここにゼウスの意図があるとするならば。

パリスは追いやられた人間である。

追いやられた人間が求めるものはなんだろうか?

アフロディーテは美と愛の女神でもある。

エリスは不和の女神というけれども、光のあたらない部分をみんなに知らしめた結果が不和になるんだ、ということなのかもしれない。

人間は大抵、自分の受け付けないようなものは隠したり追い出したり、見ないようにしているから。

 

ここまで書いて、自分は少し感慨深くなった……

 

しかし、アフロディーテもエリスに劣らずなかなかにえぐいことすると思ったのはたぶんわたしが人間だからであろう(苦笑

こう考えると、どの女神が勝ち取っても、なんかえぐい報酬の様な気がして、どのみち戦争になったんだろうなあ。とは思った。人間の愚かさなのかもしれないが。

 

むかしわたしはいじわるだった

心理学などでアダルトチルドレンとかインナーチャイルドとか言われるものの癒しの中で、たぶん悪者になってるであろう母親像がある。

私の場合、それは母親でなく自分自身だった。

自分は気まぐれで忍耐があまりなく、機嫌がよくて気力もあれば、人との関わりに十分な気力をもってしてできるはずなのに、なぜか気分がいらいらして非常に投げやりになることがある。

これは単に疲れているとかそういう問題ではなく、自分では十分な体力があって、ひとりで体を動かす分にはあまり気にならないのだが、ほかの人と関わるような時間があるととてもつらいことがある。自分では疲れているわけではないと思っているので、なんだかどうしてこんなにイライラするんだろう、こんなところから離れて一人になりたい、と思うのはそんなところだ。

子供時代は妹が一緒にいたから、たぶん遊ぶときは妹がそういう自分のいらいらの餌食になっていただろうな、という想像はつく。

とある心理系の講座で母親に精神的虐待を受けた人の話を読んで、その母親がまるで自分のようだと思った。その母親も生まれたときにはいろいろと扱いでいい思いをしたことがなかったらしいので、その人自身は母への理解は一定にあったけど、やはり人の不機嫌の犠牲になるというのはあまり心地よくないものだ。そういうことを感じたけど、講師には言えなかった。なんか言えばなんとなく嫌なことを言われそうだなと感じて。だから以前別のワークショップでなんだか自分はその人たちが苦労した相手の性格を持ってるような感じがしていて、わたしは仇敵かよ、みたいな思いがそのときの心理系講座では浮上してきた。

こういう自分は子供時代別になにか異常があるとかそんなことは言われたことはない。身体検査で虚弱の傾向はあると言われたけど、精神とか知的な面で問題を抱えているという指摘は受けてない。

とはいえ、中学時代になると、自分はどこか変なような気がしていた。それはうまく言えなかったけど、やっぱり呪われてる、という感覚が一番その頃はぴったりだったように思う。

そして睡眠薬を求めて、薬局で聞き、家の人とかに相談とか病院とかそんなことを勧められたように記憶している。

そのうちわたしはなんだかまわりからいい人のように思われていくようになっていた。

高校時代、受験を控えた時期にまわりとぎくしゃくして、仲が良いと自分で思っていた人がこちらを無視する様になったりして、もう、これからは卒業したらひとりで生きていこうと思った。

そして宗教に入り、自分の苦しさをその宗教で修行することによって自分は自分を救済していたように思う。

大学ではあまり人間関係のいざこざは起こらなかった。起こりそうな前に自分から身を引いたり、ひとりでもいいと怒って、相手に文句をぶつけていたりした。

幸い、そのことは自分にはあまり悪い方向にはむかわなかったようだが、今思えばどうだったのだろう?まあ、その集団の中で自分がいずらくなるということはなかったから、4年間という限定された時間の中ではよかったことだと思う。

そういうことが就職先でもあった。自分が至らなくてやってことだったが、自分にとって理不尽な言い方と感じて、上司に訴えたりした。けど、そのときはよかったが、その会社には3年もいなかった。

次のところは一生懸命頑張って忍耐してスキルをつけて仕事自体はできるようになったけど、すごく疲弊して3年ももたず退職した。そのあと就職したところは1か月しかもたなかった。対人関係での忍耐のようなものが切れてしまったらしく、以後就職しなければと思いつつできなかった。

母にはそれを責められていて、最悪だったと思う。それから3年から4年ほどして自分は精神病のようになり、病院に入院した。

 

 

スピリチュアルなことをやっているところにきて、自分は最初ほとんど気が付かなかった。

そういうことに興味をもつ人の大半は自分がないがしろにされたりいじめられたり虐待された子供時代を送っていて、話を聞けば、なんかかつての意地悪な自分のような人たちによって虐待されたということを。

その話で行けば、むしろわたしより妹のほうがスピリチュアルな人たちとの境遇に似ている。

自分は自分のことをあまり覚えておらず、覚えているのはそういう意地悪なことだけ、そして遊び友達の中では別にリーダーシップを発揮していたわけでもなく、少し臆病な子だった。

ただ、母親の機嫌をもしかして始終うかがっていたかもしれない。少し前に母に関する詩を書いたとき、そんなことを書いて、それで初めて自分は無意識に行っていたかもしれないという、その可能性に気が付いたのだった。

拡大鏡。

これはスピリチュアルな事柄だというところで読んだり聞いたりした話なんだけど。

ある人が悩んでいたり、苦しんでいたりしたとき、それを聞いた人は相手にどう接するとよいのだろう、と考えたりすることは多いと思う。

一つには相手の気持ちに寄り添って共感して、ただ傾聴していくこと。

これは昔相手によかれと思っていろんなアドバイスをするのがいいと思っていた時にそんなアドバイスは聞きたくない、ただ自分の気持ちを表現したい、という人が出てきて、それで最近傾聴、共感、そういう接し方もまた良い、むしろこちらの方がよい、と思う人がたくさん出てきているような気がする。

調べたわけじゃないからあくまでも自分の印象なんだけど。

 

 

 

 

ameblo.jp

ミルトン・エリクソンという精神科医のことを私はリンク先のブログで初めて知って、本を手に入れて読みだしたのだが、どうも自分に引っかかって読めない。なので放置中である。

しかし、誰かが本について解説や要約をしてくれることにより、ある程度中身を知ることができるというのはとてもありがたいことだ。

 

話がそれたが、リンク先では乾癬に悩む女性の話が解説されている。

ミルトン・エリクソンは独自のものの見方があって、ほかの人が真似するとたちまち相手との間が悪化したりこじれそうな危うさを秘めているように思うが、傾聴ではなく、自分がどのように見えるか相手に知らせる、という方法は相手に自分の状況を客観的な視点から考えることを思い出させるため、大切なことかもしれないなあと考えた。

 

自分はやっぱりこの女性のように指摘されたらすごく腹を立てるだろうし、果たして相手に感謝できるくらいまで気づきがあるか自信がない。

それでも、傾聴、共感は別の視点からすると、相手の承認欲求を満足させることにつながって、それが相手の気持ちを手放せる方向に向かえばいいけど、相手が少し苦しくてこじらせていた場合、その苦しみが相手の共感を得られるとなると、どこかでその苦しみを手放さなくなるかもしれないなあ、なんて考えた。

そこの塩梅は自分で考えてもしょうがないので、相手を見ながら自分の気持ちの動く方に接するとよいと思うのだけど、相手の気持ちばかり考えて自分の気持ちのことを忘れてしまうと、あまり良い方向にむかわないような気がするなあ、とこれもまた個人の感想だが、そう思った。

 

結局、どんなものにも聞くような万能薬は存在しなくて、しいて言えば、やっぱり自分の気持ちに正直であること、これが根底になければ、一時的には良くても、どんなテクニックも仇になって帰ってきそうな気がする。

今朝の夢~トイレに入ってこれからのことを考えた

今朝の夢はトイレに入って座って用を足しているのだが、白っぽいドアを見ながら、自分は何をしていたんだろう、ということを考えてる夢だった。

必然、目覚めるとこれから自分はどうしたいのだろう、ということが自然と浮かんでくる。

ネットでフォローしているブログを見る。

medicine-works.hatenablog.com

たとえばもうそういう生き方を変えたい、自分変わりたい、と思いながら変わらないのは、実は自分を守ってきた、と無意識に信じ込んでいるまさに「その考えや思い、ふるまい」を手放すことがこわいからなんですよね。

ざっくりこんな風な文章が飛び込んできて、自分変わらんなあ、とか考えながらも、別のブログを見に行くと

 

ameblo.jp

定着してしまった生き方が変わるときというのは、いつも大きな出来事(イベント)が引き金になります。しかし、それは、予期せぬ外部からのつらい出来事や災難であることが多いので、わたしたちは強制的にそれがはぎ取られるまで、定着した生き方につい、しがみついてしまうのです。

などという文章に出会って、どっきりし、

 

さらに

ameblo.jp

今の状況変えたい。

でも、なにをやったら、

どういうふうになったら、

ここから人生がよくなるのか、

よくわからない。

どうにかして、今の状況から出たい。つらい。

そういうときってあるものだと思います。

という文章にお目にかかって、

 

新生活、新しい生き方、変化するためには、そんなキーワードでくくれそうな内容の記事が自分のせまいフォローの中に3つもあって、ちょっと考え込んでしまった。

それぞれのブログ記事にそれぞれの答えが書いてあるんだけど、自分はその答えそのものより、この

 

変わりたい、変われよ、みたいな心境にこたえるかのような記事が連続して同じような日に書かれたことに感銘を受けた。

 

変わりたい、変わろう、変われよ~

みたいな心境はほかの人にもずいぶん浮かんできている時期なんだろうなあ

そう考えたくなった。

 

ほかの人はどう感じているんだろう?*1

 

 

*1:皆さんはどうですか?と問いかけのような文章を書く人がいるけど、シャイなのでこの辺りにこそっと入力しておきます…

1年前にこんなことを考えていた。

別のブログで去年の今頃、自分はこんなことを書いていた。

ameblo.jp

去年はあまり深く考えずに、戦争早く終わるといいね、とかちょっと他人事だったのだけど、遠くの戦争は徐々に世界中に影響を及ぼし始めていて、みんなにちょっとした不如意感や諦めや不安が浸透しているような今年。

去年の戦争はいまだ終わらず。

まあ、神様という存在から見ると、まだ季節は終わっておらず、できた種はどんどん飛ばされて…そんな感じなのかなあ。

自分もこの1年いろんなことがあった。