bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

ある思い出。

少し前、まだ自分が植物鉢植え、そういうものに夢中になって育てていたころの話なんだけど、あるとき図書館へ行った。カウンターに鉢植えの花がおかれていて、何気なく見ると、土がからからで、花も私の目からみると水不足でしおれているのに近い状態だった。

 

カウンターの職員さんは特に忙しそうにも見えず、二人で雑談をしているようだったので、わたしは職員さんに「お花の水をあげたほうがいいのではないでしょうか」と声をかけて、職員さんが一応返事をしてくれたのだけど、なにげなくチェックしたとき、水をあげてる様子はなかった。

 

わたしが帰ったあとにあげていればいいのだけど、後日、行ったときその鉢植えはなかったので、なんだか気になってしまった。わたしの見るところでは水やりを適切に行っていれば、わたしの行った日時の間隔では枯れていない感じがしたのだけど、と、こんな風に少し気になった。

 

こんな風に、ほかのよくそのことについて知ってる人が見て、あれをやればいいのに、と思うことはきっとあるのだろうと思う。けれども、わたしは図書館の職員ではないからその鉢植えを持って行って水をやるわけにはいかなかったのと同様、、声をかけても、相手がそれを受け入れて相手が実践しないことにはどうしようもないことが結構ある。どうぞお願いします、と言ってくれればわたしはすぐにでも水やりをしただろうけど、それはなかった。

 

 

どこまで他人のことに介入できるか。

これは人によって距離感が異なるため、一概には言えない。

わたしはそう思っても、もしかしたら、たまたま水筒を持っていた誰かは、職員さんに声をかけて、この鉢植えにお水をあげていいですか?と即座に実行できる体勢だったら、もしかしたら職員さんはお願いします、といったかもしれない。

けど、やっぱり距離感のことで、大丈夫です、わかりました、と答えるだけかもしれない。

子供が親に関して抱くある種のイメージ

わたしはスピリチュアルなことをやっている世界にやってきてから、そこの人々が、意外にたくさんある種のイメージを子供のころに持っていたことに正直驚いたことがある。

それは

「うちの親は本当の親ではなく、本当の親はどこか別のところにいる」

という感覚。

こういう感覚は若いころ読んだ心理学の本で書かれていて、はっきりいうと自分にはピンとこなかった。心理学の本といえば、悩み多き人々のことばかりなので、そういう感覚がその人たちの悩みにつながっているんだろうな、とは思ったけど、一般的なところではそんなことはないだろうと思っていた。

 

ところが、スピなことやっている人々にはこういう人が結構いることいること。まあ悩みがあって、そういう世界に入ってくるから多い、といえることはいえるのだろうけど、それにしてもだ、自分と感覚が違いすぎたので、さすがに考えてしまうことが多くなった。

 

自分が子供のころにもっていた親への関係性のイメージ。

それは、

うちの親はまるで寄宿舎のおじさんおばさんみたいなところがある。うちによってきたので、一生懸命お世話します。けれどもそれは親という役割を一生懸命果たす、という感じのイメージ。

 

断っておくが、うちの親は冷血とか虐待とかそんなことはない。むしろ世間的には立派な親であり、だからこそなのかな?

「親業」

ということを無意識にやっていたのではないかと、今気が付いた。

 

では、私自身、いわゆる「本当の親」というものについてどう考えていたのかというと、実は、「本当の親」という概念というかイメージを持っていない。

変な話だけど、拾われた子でもなく、まぎれもなくわたしはここに住んでいるのだが、それは本当の親と離れたとか、捨てられたとか、そういう話ではなく、わたしは私自身であって、親、というものを知らない、という感覚が非常に大きかったと思う。

 

よく、精神疾患の人で、「自分の家族がインベーダーや宇宙人に変わってしまい、同じ姿だけど、実は違う」

と訴える人がいるけど、あれとも違って、親はまぎれもなく親であるのだが、でも、親という概念、ではなくやっぱりうちの親は「親業」ということをやっているためにわたしを子供として育ててる、という感じがずっとしていた。

 

妹なんかは「血のつながった家族と友達は違う」と明確に思っているらしく、その話を最初聞いたとき、自分はとても奇妙な感覚になった。

このあたりは、今だ言葉にするのが難しいが、そのあと妹の親に対する接し方とかきっと無意識に観察するようになったかもしれない。

その結果、妹は家族と友達の関係性をなんか別のものとしてとらえているらしい感じがした。その文脈でいくと、わたしはどんな人間関係も、なにか一つの価値観の中で距離感をもっていて、その中では血のつながりという要素はあまり重要な位置を占めていなかったことに気が付いた。

 

気が付いた当時は妹の価値観を古いなあと思っていたけど、自分が精神疾患になり、ずっと親がかりな生活を続けていくうちに、血のつながりの強さ、というのをうちの親や妹はすごく重要視しているということがわかってきた。

 

昔、私自身はこの家族の中で異端者だと感じていたことがあったけど、それはこういう価値観の違いからきていたのかもしれない。

 

妹は、あとでわたしのことを

「突然、ふっといなくなってしまうような、そんな怖さがあった」

と伝えてきた。

自分の言葉のサラダ。

統合失調症界隈では、言葉のサラダ、という言い方がある。

気になる人は検索してみて下さい。

なんか自分のことを考えたときに、この表現は結構うまいなあ、なんて感じていて、でもきっとこれを吹聴しまくっているうちに調子が悪くなりそうなので、ほどほどにしておく。

 

そんな中、少しだけ、また人がどう読むか考えずにただ書いた文章を記録した。

18禁に指定してある。検索からも除外してある。

変なものに興味がある方はどうぞ。

 

 

死を受け入れることへのいろんな課題が突然変異

↓ ↓ ↓ ↓

https://novel18.syosetu.com/n2203ir/

お上りさん^^

お上りさんしてきた。

東京へ来るときはだいたい適当にビジネスホテルなのだが、今回は品川プリンスホテルの高層階に泊まるというパッケージツアーを利用。観光が目的でなく、少し快適な部屋に泊まりたかったので、贅沢した。

 

以下、写真。

着いた当日。部屋は34階ツインでございます。夜景だなあ

次の日の朝。昨日は気がつかなかったが、富士山が見える方向だった。

高層ビルというものをあまり利用しないので、丸二日間こんな高い空間を見ながら過ごしていると、なんとなく気分も高揚してくる感じがする。いつもこういう階層で暮らしている方々というのはどんな感じで過ごしてるのかな、などということもちらっと思い浮かぶ。この時、実際に生活した時の具体的なことなどは全く念頭にない。折しもその時部屋でつけていたテレビでは災害に関しての番組だったというのに。それほどまでに、高層階ほぼ初体験の自分はドリームの様な意識状態だったかもしれない。

 

おまけ。

羽田空港ロイヤルホストの窓から。向こうは国際線ターミナルでしょ?

お上りさんゆえ、京急線で羽田のターミナル駅が二つあることが変な風に感じていたが、この光景をみて、ああ、そうだよね。こんな感じなら駅違うよね。

とか、食事しながらぼんやり考えてた。

そういえば、お食事の写真撮ってなかったわ。なんとなく外の景色のほうばかり見ていて。

わたしの愛するクリエイターとクリエイトされたものと。

よく、ファンが相手のことを愛するあまり、感情的なトラブルを引き起こすことがある。

そのことを自分は恐れていて、彼彼女たちの作品は大好きだけど、お近づきになって感情的にもめたら嫌だな、と離れてみていることが多かった。

 

それが、46歳を境に変わってきた。

直接作品を見て、その人に興味をもったわけでなく、ただ、相談業をやっていたので、そこに行ったのが始まりだった。

そこでわたしは衝撃的な体験をして、その人に執着することとなった。

後でその人がクリエイトしていて、いくらかの作品を世に出していることを知ったのと、その人がヒーリングの技術を教えていて、その技術は私も興味があったので、習ったのと、そうやって、その人と少し近づけるかな、とか感じていた。

 

あるとき、私はその人自身が好きなのか、その人の教えている技術が好きなのかわからなくなった。無意識ではあるが、同じ技術を教えている別の人のところで、習いなおすということを3回繰り返した。

結果、わたしはその人自身が教えていた技術のより基本的なところまで習って、その人が教えていたのがアレンジされたものだったとわかるのだが、にもかかわらず、その人に対する気持ちがそれほど変化しなかったので、わたしはその人自身に興味があるのだと感じた。

 

が、また時は過ぎて、面白そうな作品、素敵な作品を作る新しい人を見かけ、しかも接触可能な職業にあるものだから、そこに行っては相手との距離を感じ、一生懸命相手と調和しようとしていたのだが、最近力尽きた。

それでも、その人のつくる作品は素敵だと思うし、できれば手に入れたいと感じる。

けど、相手とたぶん調和していくのは今の自分には難しい。

 

そんな体験をしたあとで、クリエイトとは関係ない部分で、ちょっとだけ、心理的な距離を感じて悲しくなった出来事があった。その人はとあるコミュニティで知り合って少し交流していたが、その人のやっている趣味的なコレクションには実はそれほど興味を持たなかった。

しかし、距離感を感じたせいなのかどうなのか、同じ趣味コレクションを発表していていつも見に行っているサイトを見ているうちに、そういえばあの人の趣味コレクションサイトではもう少し緻密に集めていたなあ、と思い出して、見に行った。

そして、この人すごいなあ、なんて改めて感じて、今までブクマしたことなかったのに、ブクマした。

心理的感情的距離が、もしかしてクリエイトされたものに対して少し冷静に見ることができたのかもしれないし、寂しさが、それをよくできたものに見せたのか、わからないけど、けど、こういうこともありなのかもしれないと感じた。

 

少し前、いきものがかりの水野さんが、新聞連載でこのクリエイトされたものと、作者とファンの関係性についてすごくいいこと言っていた。正確な文章は忘れてしまったので、今自分がここで覚えていることを書いて、曲解されても困るんだけど、自分が水野さんのその文章で、理解したことは

結局、作者とファンとの間で感情的ないさかいを感じていたとしても、クリエイトされたものはそれを超えて人々を結んでいる、

 

ということなのである。

そして、こういう考え方が背後にあって、わたしはわたしの愛するクリエイトされたものと、作者との関係性について、悲しみとともに、そういうこともあるなあ、なんて思い出したのだった。

 

ところで。

前に書いた相談業の人だが、最近その人の作品に改めて接してみて、一部とても惹かれる部分に遭遇した。その人のオリジナリティというか本質というか、そういう感じがする部分。

そして、もしかしたら、わたしは知らないところで、この作品に惹かれていて、それを作者と重ね合わせているのかな、とかまたそんな疑惑が芽生えてきている、今日このごろ(笑)

体重乱高下

新年を迎え、今年もよろしくお願いいたします。

 

さて、わたくしは、去年の11月ころより、体調を崩して、体重が一気に減ってしまった。年末には、2か月で4キロ減った換算になるけど、2022年の年末から比べると7キロ減った。そして、成人してから過去最少体重となってしまったのである。正直ここまで減った経験がないので、体を見ると、肋骨が浮き出てて、方から腕にかけて骨がごつごつして、下手したら摂食障害の様相を呈しているくらいヤバい状況になった。

もちろん、摂食障害ではないのだが、食べると胃が痛くなり、下痢をするので、結果としてそうなり、それでも、自転車で5キロ先の施設へ行ってくるという暴挙に出たため、後で家族から

「あの時すごい顔色悪かったよ」

と言われて、絶句した。

 

実は2020年のころだが、体重がものすごい増えたことがあった。22年年末より、5キロ太っていて、それがまた過去最高体重と同じになっていたので、さすがにヤバいと思って、なんとなく食べるものとか制限していたんだな。

すると、翌年には4キロくらい減って、それから22年まで似たような感じの体重で推移していた。体調的には悪くはなく、雪かきとか喘息を考慮しながらも結構たくさんこなしていた。

 

2023年はオステオパシーを受け始めた。受け始めると一か月で1キロくらいのペースで体重が落ちていったので、

「もしかすると、まだ太っていたのかな?」

と思ったのだが、施術を受け始めて妙に頭がすっきりしたせいなのか、いろんなスピリチュアル精神世界の新情報に触れて、そこからなんか体調が変になってきた。それが7月ころ。

で、その頃から、今まで気が付かなかった目の下のくまとか、風呂に入って、膝頭が黒くなっているのを見つけて驚いていると、昔痩せてたきょうだいが、

「痩せてるとひざ黒く見えるよ」

というのを聞いて、じゃあ、ずいぶん痩せたんだなあ、なんて思っていて、10月。

家族とのストレスフルな出来事があったあと、思いっきりお腹を壊した。そこから胃腸の調子が一気に崩れ、ものが食べられなくなった、という感じである。

 

病院でビオフェルミンなどの薬をもらって、さらに、年末には医者のすすめで胃カメラも初体験した。胃カメラは異常なし。

さらに、体のあちこちに赤く湿疹が出てきて、これは現在も格闘中である。

免疫系が少し弱っているのかもしれない。

 

 

実は、今回の最少体重に1キロしか違わないくらい、体重が落ちたことがあった。

2012年に突発性難聴になって、すぐインフルエンザになったとき。この時の下がり方はわからないが、2010年から歯周病対策のため甘いものをやめていた。それで体重が減っていたんだけど、コーヒーをやめて一週間後に突発性難聴になり、なんかすごい体にとってストレスだったのかなあ、と反省して、ココアを飲むようになってたりした。

 

この甘いものやめる前なんだけど、人生史上最高体重をずっと維持していた。当時は向精神薬を飲み続けていた時期なので、それのせいもあるかもしれないが、今思えば、三食の食事のほかに、おやつと称してケーキを食べ、夕食後に甘いものを食べ、そんな生活だった。自転車でかなり遠くまで出かけられた時期であったから、体力はあったようだ。喘息患っても、薬で普通に生活できるようになって、また自転車乗り再開していたから。これが重度の歯周病で一気に生活の見直しを図らなくてはならないことになった。

 

2012年に激やせして、そのあとで、エネルギー関係のヒーリング、いわゆるレイキと出会って、体調も戻ってきて、活発に出歩いていた時期から父が亡くなるまでの時期は、2022年年末より2~3キロやせた状態で、オステオパシーで減り始めた体重によく似ていた。

だから、父が亡くなったそのあとからまた太りだしていたんだなあ、って過去の記録をみて、改めてわかった。

 

さらに、過去にさかのぼると、実は1999年、精神科に入院した時、かなり衰弱していたと後から家族に聞かされた。精神科で点滴を受けてはいたけど、自分の体調の良し悪しの自覚は全然なくて、緊急の自分の精神状態の緊張状態だけしか自分はわからなかった。たぶん、このときもすごく激やせしていたのではないかと思う。

このときは、失恋の痛手から立ち直れてなかったり、体力が持たなくて仕事辞めたけど、次が見つけられなくて、(そのあと入ったところもメンタル的にきつくてすぐやめてそこから仕事探せなくなった)精神的に追い詰められていた時期の後で入院したから、もしかして

 

自分は精神的にストレスがすごくなると、激やせして病気になるのでは?

 

と考えた。

自分の望まない状況になると、自分はかなり自分にプレッシャーかけて問題解決を図ろうとするんだけど、それが身体的にかなりきついことをするので、(自分の身体は繊細で、子供時代は虚弱という診断を受けたことがある)それで倒れるのではないかと。

 

2020年に激太りしたのはなんでだか、記録から思い出せない。

 

そんなことをつらつら思い出しつつ、過去の記録を見つつ、養生中。

ちなみに、自宅でいつも作っているおせち料理が今年は今までになくおいしく感じた。

年末まであまりろくなもの食べてなかったので、

「すごいごちそう!」

って感じで食べた。

おもちは三が日で1こしか食べてないけど。あとは全部おせち。

 

 

人生のリセットはこれかららしい…

360年に一度~プログレスの太陽がアセンダントを通過するとき - 星読みジュエリスト 金子ゆき

ここで、「360年に1度の転機」「248年に1度の転機」という言葉があって、自分は該当しそうだな、と思ったので、調べてみた。

その結果、2028年から数年の間に、このことが起こるのだとわかった。

手作業で調べてるので、ブレがあるかもしれないけど、自分のホロスコープで一生懸命調べたよ!

Astrodienstホームページ - Astrodienst

 

まず、「360年に1度の転機」とは、

プログレスの太陽がアセンダントを通過するのです。

プログレスの太陽は1年に1度しか進みません。

私たちの寿命から考えると、こういうタイミングを迎えられる人って、そうそういないですよね。

出生図の太陽が12ハウス、11ハウス、頑張って10ハウスくらいにある人くらいかな。

12ハウスの太陽の人だと、割と若い30くらいまでに、アセンダントを通過するし、11ハウスだと酸いも甘いも噛み分けて、人生経験を積んだ時に訪れます。

この星回り、太陽がまた新しい人生のテーマを見つけて生き始めるのです。

生きているステージが変わっていく。

ということで、わたくしの場合、2028年4月1日にちょうどアセンダントプログレスの太陽が重なる。その前に12室にプログレスの太陽が通過しているときは人生の解体など癒しの時期らしいので、今までずっとそれだったのか、とか、ずいぶん大変な時期だった、というか今もまだ12室なので、引き続き解体作業はすすんでいるものと思われるが。

 

次に「248年に1度の転機」とは

冥王星が太陽に重なるのも、ほんの一握りの星座の方のみです。
なぜなら冥王星も248年でホロスコープを1周するから。

私たちは248年も生きていられないですよね?笑

2024年に冥王星みずがめ座に入るのだが、ま、そういうことで、やってきちゃうのですよ、冥王星様が。やっぱり人生のリセットと再生が起こるとされている。

時期は2029年3月2日ころ。

これでいくと、2024年ころからリセット再生が始まって、しばらく続く、って感じか。

なんか、プログレスの太陽12室で、解体作業と癒しがあって、それが終わったと思う頃に今度冥王星のリセット再生か…

 

ここまで書いて、リセット、素晴らしい、とか思えるといいんだろうけど、すでに、人生へろへろになっている私の場合、少し徒労感が…。

私の後半生、ずっと解体とリセットとっていう感じになるようだなあ。まあ冥王星の力は必ず再生へと向かっていくらしいので、といっても、再生する時期っていつよ?

 

ホロスコープというのは魂のブループリントだというけれど、こんな設定してきたわたしは、ずいぶんとリセットすることがあるようだなあ、と他人事みたいに書いてしまったが、たぶんそうなんだろうな。

 

というわけで、2023年も師走となりました。

みなさま、良いお年をお迎えください。