深淵は覗き込むものと相場が決まっていて、下を見れば、いかに暗く、いかに深いか、そんなもので頭がいっぱいになってしまう。
ところが、大きな淵の向こうにまた世界がある。この場合は、おそらく
「深くて暗い川」などと男女のたとえで使われているようなそんなイメージが妥当なのだろう。
大抵は手前の深くて暗い淵に恐れをなして、わたるのをあきらめ、向こうの世界にいる人たちを眺めながら、
「あそこにいって仲間に入れたら」
って、思い焦がれることがあるのだ。
それでさ、どうもわたしはうかつな人間らしく、一応、向こうの世界の手前にそんなわたるのがとても難しい溝なり川なり、崖なりそんなものがあるのをわかっていても、
「ここ飛べるんじゃないか?」
とか、考えてしまうことがあるらしい。らしい、っていうのはあくまでもイメージの世界で、考えていることだから。
橋があると渡れる。けど近くに橋はない。橋をかけようとせず、飛んでわたる方法ばかり考えてしまっていたのかもしれない。
あるとき、こんなイメージを見た。
私は、自分の住む町の大きな建物の、吹き抜けが見えるところに、薄暗い茶色と黒の影が下に広がっていて、窓ガラスが見える。その外は町の風景で、ちゃんと同じ高さに地面があり、でも自分は吹き抜けの上でバルコニーから高い位置にいるはずなのに、って思っている。
窓ガラスの外は憧れの外の世界だ。
しかし、吹き抜けで直接いけるはずもない。
ここでふと考えた。この深淵を飛び越えようとして、落ちてしまった人がいるんじゃないかと。
なぜそんなことを考えたかというと、ずっと前に、自分の気道奥深くに誰か女性が落ち込んで詰まったイメージが見えた、
と、途端に自分はその時は全然なかった、急な呼吸困難、息ができなくなる苦しさに、思わず寝ていた体を起こして、一生懸命呼吸ができるように体を動かした、
そのことを思い出したから。
もう一つこれを書いていて思い出したのが、もしかしてその時わたしはどこかで
深淵を覗き込もうとしてそこに落ち込んでしまったのではないか、ということ。もしかしたら、間違って、ではなく、無知ゆえに、その深淵に飛び込んでしまった可能性もある、ってことではなかったか?*1
その落ち込んだ女性は、別の場面で、上っていくエスカレーターからまっすぐ階下へ飛び降りて、誰か別の人が彼女の名前を大声で叫んでいる、ということも思い出した。
ああ、そして最後に思い出した。
わたしが大きな川*2で行く先を阻まれたとき、川の向こうにはその女性によくにた人二人が向こう側にいて、
向こう側にわたるなんて、カンタンカンタン♪
って言いながら、ギターを弾き、歌を歌っていたのであった。



