わたしはスピリチュアルなことをやっている世界にやってきてから、そこの人々が、意外にたくさんある種のイメージを子供のころに持っていたことに正直驚いたことがある。
それは
「うちの親は本当の親ではなく、本当の親はどこか別のところにいる」
という感覚。
こういう感覚は若いころ読んだ心理学の本で書かれていて、はっきりいうと自分にはピンとこなかった。心理学の本といえば、悩み多き人々のことばかりなので、そういう感覚がその人たちの悩みにつながっているんだろうな、とは思ったけど、一般的なところではそんなことはないだろうと思っていた。
ところが、スピなことやっている人々にはこういう人が結構いることいること。まあ悩みがあって、そういう世界に入ってくるから多い、といえることはいえるのだろうけど、それにしてもだ、自分と感覚が違いすぎたので、さすがに考えてしまうことが多くなった。
自分が子供のころにもっていた親への関係性のイメージ。
それは、
うちの親はまるで寄宿舎のおじさんおばさんみたいなところがある。うちによってきたので、一生懸命お世話します。けれどもそれは親という役割を一生懸命果たす、という感じのイメージ。
断っておくが、うちの親は冷血とか虐待とかそんなことはない。むしろ世間的には立派な親であり、だからこそなのかな?
「親業」
ということを無意識にやっていたのではないかと、今気が付いた。
では、私自身、いわゆる「本当の親」というものについてどう考えていたのかというと、実は、「本当の親」という概念というかイメージを持っていない。
変な話だけど、拾われた子でもなく、まぎれもなくわたしはここに住んでいるのだが、それは本当の親と離れたとか、捨てられたとか、そういう話ではなく、わたしは私自身であって、親、というものを知らない、という感覚が非常に大きかったと思う。
よく、精神疾患の人で、「自分の家族がインベーダーや宇宙人に変わってしまい、同じ姿だけど、実は違う」
と訴える人がいるけど、あれとも違って、親はまぎれもなく親であるのだが、でも、親という概念、ではなくやっぱりうちの親は「親業」ということをやっているためにわたしを子供として育ててる、という感じがずっとしていた。
妹なんかは「血のつながった家族と友達は違う」と明確に思っているらしく、その話を最初聞いたとき、自分はとても奇妙な感覚になった。
このあたりは、今だ言葉にするのが難しいが、そのあと妹の親に対する接し方とかきっと無意識に観察するようになったかもしれない。
その結果、妹は家族と友達の関係性をなんか別のものとしてとらえているらしい感じがした。その文脈でいくと、わたしはどんな人間関係も、なにか一つの価値観の中で距離感をもっていて、その中では血のつながりという要素はあまり重要な位置を占めていなかったことに気が付いた。
気が付いた当時は妹の価値観を古いなあと思っていたけど、自分が精神疾患になり、ずっと親がかりな生活を続けていくうちに、血のつながりの強さ、というのをうちの親や妹はすごく重要視しているということがわかってきた。
昔、私自身はこの家族の中で異端者だと感じていたことがあったけど、それはこういう価値観の違いからきていたのかもしれない。
妹は、あとでわたしのことを
「突然、ふっといなくなってしまうような、そんな怖さがあった」
と伝えてきた。