bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

光と影

野田佳彦元首相の、安倍晋三元首相への追悼演説でこんな一節がある。*1

「…あなたの放った強烈な光も、その先に伸びた影も…(中略)…言葉を尽くして問い続けたい…」

自分は精神疾患で妄想などを伴う言葉やイメージに悩んだから、光の先に伸びた影、という言葉に心が動いた。

いわゆるスピリチュアルと呼ばれてる世界では一般社会では陰謀論とか言われるものを含め少しトリッキーなものの言い方がされてることが多いなあという感じを受けていた。病気の世界では妄想と言われるようなものによく似たものがアチラの世界では素晴らしい存在からのメッセージだったり実は隠された真実だったりと言われると、私のような精神疾患を持ってるものでなくてもかなり心が揺らぐのではないかと思ったりするんだけど、そういう中で実際にそういう言葉やイメージでものを見てみることで自分なりの人生を取り戻したりした人も結構いることを見てきたし自分も少しそういう体験をしたために、ふざけた言い方になってしまうかもしれないが、まさに精神疾患と言われる変性意識は「強烈な光とその先に伸びる影」だなあなんて思ったのである。

 

ルービックキューブというおもちゃがある。

6面が9つのパーツに分かれていて、6面がそれぞれ違う色のシールが貼られている。

9つのパーツの色をバラバラにしたルービックキューブを6面全部同じ色のパーツに揃えて遊ぶ。

遊んでいる中で揃っている1面だけが「強烈な光」で見えるとしよう。

そしてあとの5面は「その先に伸びる影」で見えない。

光の部分は揃っているけど、見えない影の部分は果たして全部揃っているかバラバラなのか通常では見えないために確認が難しい。「真のスピリチュアリティ」と「妄想」はどこかこの「見えない部分もそろっているもの」と「見えない部分はバラバラ」という違いに例えられそうな気がする。

ただ、その「強烈な光」は人間の世界では決して普遍的なものではなく「宗教」「科学」「哲学」…など分野が違うとなぜか想定が変わって見えるという不思議。なのでスピリチュアルな世界に住んでる人たちは一般社会で信任の厚い「科学」や「哲学」との共通点を見つけようと努力してきた感じがする。

そして、得てして誠実なものの言い方をしようと試みるのだがこんな風に自分が最初に指摘した「トリッキー」な言い回しになってしまって、「影」を払いのけることは不可能に近い。

 

「光の先に伸びた影」ということを考えたときに、文学作品なんかも思い出すんだけど、本当にこれを言葉にして問い続けることは大変なことだろうなと感じる。

それでもいつの間にか1面しかそろってないものに心酔してしまう自分もどっかにいるだろうし、人間難しい。

 

*1:北海道新聞2022.12.25