bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

わたしの愛するクリエイターとクリエイトされたものと。

よく、ファンが相手のことを愛するあまり、感情的なトラブルを引き起こすことがある。

そのことを自分は恐れていて、彼彼女たちの作品は大好きだけど、お近づきになって感情的にもめたら嫌だな、と離れてみていることが多かった。

 

それが、46歳を境に変わってきた。

直接作品を見て、その人に興味をもったわけでなく、ただ、相談業をやっていたので、そこに行ったのが始まりだった。

そこでわたしは衝撃的な体験をして、その人に執着することとなった。

後でその人がクリエイトしていて、いくらかの作品を世に出していることを知ったのと、その人がヒーリングの技術を教えていて、その技術は私も興味があったので、習ったのと、そうやって、その人と少し近づけるかな、とか感じていた。

 

あるとき、私はその人自身が好きなのか、その人の教えている技術が好きなのかわからなくなった。無意識ではあるが、同じ技術を教えている別の人のところで、習いなおすということを3回繰り返した。

結果、わたしはその人自身が教えていた技術のより基本的なところまで習って、その人が教えていたのがアレンジされたものだったとわかるのだが、にもかかわらず、その人に対する気持ちがそれほど変化しなかったので、わたしはその人自身に興味があるのだと感じた。

 

が、また時は過ぎて、面白そうな作品、素敵な作品を作る新しい人を見かけ、しかも接触可能な職業にあるものだから、そこに行っては相手との距離を感じ、一生懸命相手と調和しようとしていたのだが、最近力尽きた。

それでも、その人のつくる作品は素敵だと思うし、できれば手に入れたいと感じる。

けど、相手とたぶん調和していくのは今の自分には難しい。

 

そんな体験をしたあとで、クリエイトとは関係ない部分で、ちょっとだけ、心理的な距離を感じて悲しくなった出来事があった。その人はとあるコミュニティで知り合って少し交流していたが、その人のやっている趣味的なコレクションには実はそれほど興味を持たなかった。

しかし、距離感を感じたせいなのかどうなのか、同じ趣味コレクションを発表していていつも見に行っているサイトを見ているうちに、そういえばあの人の趣味コレクションサイトではもう少し緻密に集めていたなあ、と思い出して、見に行った。

そして、この人すごいなあ、なんて改めて感じて、今までブクマしたことなかったのに、ブクマした。

心理的感情的距離が、もしかしてクリエイトされたものに対して少し冷静に見ることができたのかもしれないし、寂しさが、それをよくできたものに見せたのか、わからないけど、けど、こういうこともありなのかもしれないと感じた。

 

少し前、いきものがかりの水野さんが、新聞連載でこのクリエイトされたものと、作者とファンの関係性についてすごくいいこと言っていた。正確な文章は忘れてしまったので、今自分がここで覚えていることを書いて、曲解されても困るんだけど、自分が水野さんのその文章で、理解したことは

結局、作者とファンとの間で感情的ないさかいを感じていたとしても、クリエイトされたものはそれを超えて人々を結んでいる、

 

ということなのである。

そして、こういう考え方が背後にあって、わたしはわたしの愛するクリエイトされたものと、作者との関係性について、悲しみとともに、そういうこともあるなあ、なんて思い出したのだった。

 

ところで。

前に書いた相談業の人だが、最近その人の作品に改めて接してみて、一部とても惹かれる部分に遭遇した。その人のオリジナリティというか本質というか、そういう感じがする部分。

そして、もしかしたら、わたしは知らないところで、この作品に惹かれていて、それを作者と重ね合わせているのかな、とかまたそんな疑惑が芽生えてきている、今日このごろ(笑)