bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

通常の社会生活がつらいぜw

去年の春から月一回で通っている趣味の教室があるのだが、それまで取り立ててつらいと思ったことはなかった。しかし、先日来からの自分自身の断捨離が一つのレベルを抜けて初めての教室で、私は自分がいかにとろくて気が利かなくて自分のことで精いっぱいであるか、ということをはっきり自覚したのである。

 

いや、ほんとうに、もうみなさんよくぞ辛抱強く相手してくださりました、とお礼とお詫びを述べたい気分だが、この感謝すらどういっていいのかわからないくらい自分の精神はそうとう退行していたのだった。

 

振り返って精神疾患についての知識を吸収していたころ、病み上がりに自殺が多いとか、統合失調症は疲れやすいとか、我慢がきかないとかそんなあたりのことを読んだのだけど、もしかすると疲れやすいとか我慢がきかない、というのは通常の人の目からみての基準であり、病み上がりに自殺が多い、というのは一定のレベルまで回復してそれまで麻痺してわからなかった自分の状況が見えたとき、絶望的になるのだ、ということがこういう感覚なのか、と体験した感じ。

 

私自身、このダメダメぶりをどう対処したらよいのかわからないもの。よく、ダメダメ人間そのままでいいんだよ、とか言ってるのがあるが、そのダメダメは全然ダメダメではないのではないか、精神疾患のレベルは想像できていないんだろう、そういうことを広める人は、みたいに思った。それでもそういうダメダメmaxの自分をまず認識しないと浮上できないのであるから、もうこれどうしたらよいのかという感じ。

 

こういう自覚がなくて社会生活に適応できず、しかも周りが一般人だと思うからよけいに頑張れがんばれとシリをたたくみたいな構造でつらい人って結構いそうだ。甘やかせとは言わないが、どこかが大幅に欠損していて、そこは本当に子供を育てるようにしていかないと、いつまでたってもよくならないのではあるまいか。とはいえ、仕事をもつ一般人がそこまで世話できるわけもなし、まあ、精神疾患体験で損なわれた社会性を取り戻すのはどうしたらよいものかね。まず社会性は訓練の問題だからルールを仕込むことからやる、という話も聞いた。だが、コミュニケーションのルールって自分わからなくなっている。コンビニのマニュアル接客がせいぜいなのでそこから先の会話ができない。いっそ開き直って変人でいくしかないのかも、とこれまた意気消沈しそうな案しか思い浮かばないのでございます。