bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

重なり合いというには小さなことかもしれないけれども。

6月に東北周遊旅行へ行って、最終日、会津方面から松島にかけてバスで移動していた時のこと。

高速道路から見るともなく見ている外の風景はごく普通の住宅街だったが、ふと、既視感とは違う、なにかこうなじみのある感じの感覚がやってきて、「おやっ?」と不思議に思った。

その町並みは何の変哲もなくきっと日本中のどこかにある街並みと似ているのだろうが、どこかで見たような風景にそう感じたというのとは違う、なにかこうやさしい包まれるような身内のような感覚があって、なんだろうなと思った。

そう思っているとガイドさんが突然見えている街並みについて解説を始めた。

“このあたりは白石市で、白石藩のあった場所になります。白石藩は明治維新の後、現在の札幌市白石区に入植しました。”

 

わたしは現在の札幌市白石区で産声を上げた。すぐに引っ越したので1年もそこにいなかったかもしれない。けれども、ガイドさんの解説を聞いてすぐ思い出したのがこのことだったので、もしかすると自分の感じたなじみのあるやさしさと、白石藩の人々が入植した札幌市白石区のあたりのこととなにか関係あるのかもしれないと少し考えた。

 

先日とある動画で土地の波動も自分の誕生の際には影響を与える、ということを言っていたので、やっぱりそうなのかな、と思ってちょっと白石藩の入植について調べてみるとこういう記事に行き当たる。

branchdish.livedoor.blog

戊辰戦争の後、領地をすべて召し上げられてしまった白石藩は、なんとか士籍をはく奪されない方法はないものかと協議して、北海道移民政策のことを聞きつけ、北方の守りにあたりたいと願い出て了承される。

最初旧藩士たちは幌別郡(今の登別)を自費で支配するよう命じられたのだが、あまりの惨状に自費で切り開くことの困難さを訴え、石狩方面へと新たに移動し、ここでも艱難辛苦の果て、ようやく白石村を興したという。

 

この記事を読んで今また思い起こしたのは母のこと。

母の生まれた当時のことは話で聞いたことはない。除籍簿を見ると、母は釧路生まれだが、母の姉が2歳で、母のすぐ妹が生まれてまもなく亡くなっている。亡くなった場所が幌別郡とあって、戸籍上は釧路のままだが、ここにしばらく住んでいたらしい。母は生き延びて、数年後室蘭で生まれた母の妹(存命中の叔母さん)からようやく誰も幼少期に亡くならず成人している。(この後の弟妹は全員室蘭で生まれ祖父母は後年釧路から転籍している)

母自身は10代のころに単身札幌に出てきて20代で結婚するが、新居が札幌の白石であり、この地域の病院で私は生まれたのである。

この母から私に至る流れが幌別郡に入植して辛酸を極めた旧藩士たちの境遇になにか重なる感じがする。

私自身は当時住んでいた処にその後全く行っていない。行く用事もなかったし、現在同じ市内に住んでるけど、かえって近すぎるというのは行かないものである。行こうという気も全然起きなかった。両親にしても当時を懐かしんでその土地に行ったかどうかは不明。まあ二人で出かけたときにちょっと寄ってみることくらいはあったかもしれない。けれども父も母もこれからの生活のことで忙しく、振り返る余裕もなく、生きてきた。

 

つまり、母も私も白石藩と直接かかわりのある血筋とかそういうことではないのだけど、白石藩と縁のあった土地に私もまた縁あって生まれてきた、そういうだけの関係。

けれども、もしかしたら私はそういう旧藩士たちが苦労を重ねて開拓してきた街に生まれ、その影響を受けていて、たまたま旅行で彼らの故郷を通り過ぎたときに彼らの中の故郷へのなつかしさとかそういう感覚を一緒に感じたのかもしれない。

 

小さな感覚から思い描いた小さなお話。