bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

“ありとあらゆる手段を使って自分を救済せよ”

向精神薬から離れてそろそろ2年半。
この間順調に回復しているかというと、必ずしもそういうことはなく、大きなところでは年末から年明けにかけて起こった頭痛幻聴とそれに伴う気分の悪化、そして、普段でも時に、何かしらん、落ち込んだり、不安になったり、緊張したりすることがある。

 

昔なら、こういう気分の変調のとき、薬を飲んでやり過ごしていたりしたのだけど、今そういう場合どうしているかというと、気分転換の方法、癒しの方法など、自分の知っているもの、学んだものなどをとにかく使い倒している。

 

これは一般的な人が行っていることだろう。

ところが、病気になる前のわたしときたら、こういう気分転換とか癒しというものについてどこか侮っているところがあって、こういう手段を使ったら、それにずっと頼らなくてはならなくなるから、つらくても我慢しよう、などというとんでもないドMだったのである。

 

もちろん、当時はそれが普通だと思っているからそんなことには気がつかず、今思えば、という話。

 

タイトルに書いた“ありとあらゆる手段を使って自分を救済せよ”というフレーズは去年だったか、一昨年だったか、ほとんどボランティア的なメールセッションを受けたときに、そのセラピストさんの文章を読んでいるうちに浮かんできた言葉だ。

 

メールの中身は「自分を大切にしてね」みたいな文章なのだが、そのためにできることはなんでもしよう、という感じのことが書かれていて、それを読んで自分は自分を大切にする、ということを、わがままではないか、と思い込んでいたことと、既存の医療だけが病気を治すことだ、と思い込んでいたことに気がついたのである。

 

代替療法やいろんな生活習慣の見直し、気分転換の方法、そしてヒーリングなどの目に見えないものを使ったワークの体験など、そのメールを読んでから自分なりにやってきた。

 

最初は、「こんなことやってて、効果があるのかなあ」などと思っていたけれども、それらのことを行っていくうちに、自分なりに忍耐力がついてきたようで、先に述べた気分の変調も薬を飲んでいるときには飲まないと治らない、と思い込んでいたのだが、現在は、よほどのことがない限り、それほど長い時間続くわけではなくて、身体に心地よいことをやっていくうちに気分がよくなる、ということもわかってきた。

 

で、思い出したのは、10代から20代のころ、よく頭痛がしていたのだけど、30分だけ寝るとか、風呂に入って温まると、頭痛が治っていたこと。

今はあまり頭痛はないけれども、ストレスが身体的なものから緊張不安といった精神的なものに変化しているだけなのかもしれない、ということだ。

 

自分の気質によるものなのか、長じるにつれて、ストレスによる不調が変化してくるものなのかはわからない。

 

断薬してよかったな、と思う時は、こういうことに気がついたときかな。ずっと薬を服用し続けていたら、こんな自分の身体の変化に気がつくことなく、頼りっぱなしになっていたかもしれない。

 

治す方法にあまり頼りたくないからと思っていた自分が15年も薬に頼ってしまうような状況になったという皮肉。

 

気合で治すのは、ほどほどに。

と若い自分に教えてあげたいよ。

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