bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

他人のことを考えてない文章を書きました。

気が付いたことがあった。

先日、内藤剛志主人公の刑事ドラマで役名が自分の下の名前と同じという政治家が出てきたことがたぶん自分の中のリアルにシンクロした感じを持ったのかもしれないが、そのように、フィクション、虚構の物語がやけに自分のリアルにシンクロした感じを持ったものが過去にあったんだよな、そういえば。
それが、筒井康隆の「俺の血は他人の血」という小説であり、どっぷり筒井小説にはまってずっと読みだしたきっかけになった。筒井さんはすごいことにほかの小説も私の期待を裏切らず、つい数年前までずっとファンであり続けた。この小説の「リアル」とは何か。それは自分の中にもう一人の自分がいて、それが暴力的な人物だという点。このことは10代のころにはリアルというより、まるで自分のことを書いてるような小説でこんな小説があったんだ、と興奮したものだった。
さて、さらに、ここまで書いて、気が付いたことがあった。
自分が相談しているカウンセラーのことである。自分の中の「もう一人の自分」ではなくて「自分の無意識に振舞っている自分」なのではないかと考えるようになった。で、カウンセラーの不愉快な突き放したような冷たいふるまいにずいぶん絶望したものだが、私自身が私自身のことを考えるとき、こういう態度で考えてることが結構あったのではないかと想像するのである。
しょうがないなあ。なにが面白くないんだか。他人として見るとそこが変に愉快でもあるのだが、でも相談しているときにそういう態度になられるともう本当に心が折れそうになる。
それでも、気が付くのかなんなのか、後でフォローしてきたりして、どうもそういうところが自分は弱い。
こういうことを考えると、自分は若いころから外側の世界に自分自身の気が付いてないところを見つける癖があるのかもしれないと思うようになった。
こういう風に思うのは、今日、Astro,comで心理占星術のテキストを申し込んだからだ。コンピューターで構築されたホロスコープ解説だが、結構うまくできてるものだと感心してしまった。
前に、マドモアゼル愛さん監修のコンピューター占いを頼んだことがあって、そのとき、前世の話に及び「もう一息というところで挫折した経験があって悔しい思いをしたことが今回の人生に影響している」みたいなことを書いていた。
ホロスコープでそんなことがわかるのか?愛さんよ、とかやくざみたいな口調で考えてしまったけど、今思えばその挫折の中身までは読めなくても、そういう出来事みたいのがあったというのを私は先日とあるセッションで開示されたので恐るべし、ホロスコープ。そういえば寿命も熟練者なら読むことができるとか聞いた。
というわけで、久しぶりに、自分はユングとか集合無意識とかそういう暗くてディープな魑魅魍魎とも違うけど、そんな世界のことを思い出していたのだった。