読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

bluerose’s diary

15年間の向精神薬服用生活から断薬しました。

わたしの「夢」

今回は、ほぼ幻想とか妄想の域の話になるが、ネット上で文章にしてみることで思考をまとめてみる作業を兼ねて、ここに投稿してみる。

 

 

以前、「夢の中の自分とふだんの自分が一致すれば解釈しなくても夢の意味がわかるのだろうか?」という疑問についての記事を書いた。

bluerose.hatenablog.jp

だが、そもそもなぜ自分の意識が乖離していることについて気にしたのだろうか?

このことをふと思い起こさせる文章をさっき読み、幼少期にさかのぼった。

すると、今思い出せる、人生最初に記憶に残った夢(すなわち、現在の私が人生初の夢を見た、と認識している夢)のことを思いだしたのである。小学校の低学年くらいの時だったと記憶する。

その夢の中身は割愛しよう。問題は初めて夢というものを見た、私のこころの動きである。私はこんなことを感じたのだ。

 

私が今体験したものはなんだったのだろう?

私は今このベッドの中にいる。

けれども、さっきまで私はここではないところにいた。

なぜこんなことが起こるのだろう?

 

もちろん、子供時代なのでこんな風な言葉で思ったわけではないが、思い出せばすぐによみがえってくる感覚で、ふとしたとき、夢と現実の乖離にちょっとした不条理を感じていた。それはどちらかが不満、とかそういうことではなくて、もっぱら一致していない、というところでの不条理感覚である。

 

この後の私の人生では、夢や人の意識について興味をもつような性格になっていくのだが、それはこの夢見のあとの感覚に依るところが大きいかもしれない。

 

まあ、そして現在の私の「夢」なのだが、人からは理解しがたいだろう、と思うことを書くと、夢見の世界と現実世界の一致が起こり、睡眠時の「夢」も、もはや現実と変わることなく、また現実生活もまた「夢」の続きであり、人生の「意識」が乖離することなく、継続していく感覚を身に着ける、というものだ。ああ、すいません、まさに「カルロス・カスタネダ」の世界。

 

夢見の技法―超意識への飛翔
カルロス カスタネダ
二見書房
売り上げランキング: 265,567

 

それがどのような形になるのか、それはこれから学んでいくことになるのだろう。

 

今朝の夢と、学生時代

今朝、夢をみた。

 

昔勤めていたと思しき事務所に出社するのだけど、自分の席だと思っていたところに、別の人の荷物が置いてあって、戸惑う。

それで、私は別の人の席が自分の席だったかな?と思ってその人のデスクへ行くんだが、そこにはやはりその別の人の荷物があって、私はどこに席があるのだろうと戸惑う。

取りあえず、上司に聞いてみようと思ったのだが、困ったことに上司の名前を思い出せないでいる。部長、という肩書だったことは覚えていて、その部長の席にはネット上で見かける心理関係の記事を書いてる人らしき雰囲気の男性がいた。きっとあの人が部長だろうと思って、私の席を聞いてみると、紙を渡されて、

「7階に行ってもらうから」

という。

その場所には、書道の先生だと思われる人が二人いて、私を含めると3人になる部屋だ。

そういうことで、事務所を出ようと歩き出すと、向こうから昔の会社の同僚がやってきて、ああ、私の席だと思ったのは、彼の席だったんだ、と思った。

 

7A というのが、私の行く部屋である。さびれた場所にエスカレータがあってそれを使うと、一瞬崩れたように感じた。けれども、エスカレータは動いて、上の階へ登ることができた。ついたところに、ロープが渡してあり、壁も雰囲気も廃墟のようで、実はこのエスカレータは使用禁止だったのだろうか、と感じたのだが、とにかく廊下を右に向かって歩き出す。

この廃墟のような建物は、大学の建物を思い起こさせた。この建物は、大学の古い校舎かもしれず、今、残っているのだろうか、と思う。

そう思いながら、歩いていくと、椅子やテーブルが置いてある休憩コーナーに差し掛かり、学生たちが何人かそこで談話していた。

その奥に、暗く階段があって、そこを登っていくと、7Aという部屋へ行けるのだろうと、わかった…

 

起きてから、まるで時間を遡行しているようだな、と感じた。会社の事務所は新卒で入社した会社である。

ならば、7Aとは幼少期までさかのぼる、ということなのかもしれない。

 

ところで、大学の建物が、半ば廃墟のようになっていたことに、少々戸惑った。

私はそれほど偏差値の高くない地方の私立大学に通っていたが、その大学は今はたくさんあるが、当時はまだ珍しかった学部があって、その学部へ入学したのだった。

私はその学問を勉強できることを大変うれしく感じていて、5月病などというものは全くなかった。

f:id:offkey:20170409160412j:plain

もちろん、画像はイメージです(^^ゞ

 

が、学年が進み、就職が視野に入ってくる3年生ごろから、私は自分の今いるところに現実感を持てないような感覚がでてきた。「離人症的」といってしまえばそうなのだけど、どこかに相談してもそれは収まらず、1年くらい経過して、4年生になって、卒論や就職活動に忙しく過ごしていくうちにそれらはいつしか忘れ去られていた…

 

就職先は学部と関係あるようなないような感じのところ。文系だったので大学の知識を活かそうと思えばなんらかの形で生かせる、という程度の関連性。

その後の人生は、まあ、このブログの過去記事に書いた覚えがあるかもしれないので、省略する。

 

今朝の夢をぼんやり反芻していた。

7Aのことはともかく、大学の建物が廃墟みたいになっていたこと。

実をいえば、専攻したものが、本当に勉強したい分野と若干ずれていたのだけど、自分はそれが世間的なものだろうと思って講義やゼミに出ていたのであった。

 

もしかしたら、夢はそのときの違和感を伝えてきているのかもしれない。

少し前に、私は「もし、自分がなにをやってもいい人生を送るとしたら」という仮定の質問に対して、「おしゃれしていろんなことを学びたい」みたいな感じのイメージを考えた。で、なにを学びたいのか?と具体的なことを考えるのだが、どうも今一つしっくりこないのであった。

 

そんなときに、今朝の夢。

私はやっぱり、10代のころ、知りたい、と思った勉強を今でもしてみたい、と思う。

それは年老いて、死に向かう、今だからこそ深く学べそうな、そんな学問。けれども大人になって世間の様子を見ると、それは宗教や迷信にも似ていて、いま、ここに書こうとすることも、ためらいがあるようなこと。

 

私は、知識としてそれを勉強したいのではない。体験できる形での勉強をしたい。

 

4月なので、なんとなく春の陽気に誘われて、そんな夢を見たのかも。

 

 

 

イチブトゼンブ 個人的に世界平和のうた

近所の古本屋(某ブコフとか)にいくと、時々B'zの曲がかかっていていることがある。私は音楽をあまり聞かないので、それがなんの曲か知らないのだけど、出だしの「あなたはわたしの~」という歌詞に惹かれてしまい、棚を見るふりをしてしばらく聞きほれたりしてしまう。

 

最近はほとんど古本屋に行っていなかったのだが、先日、断捨離でマンガ本を売却しにいったときに、またこの曲がかかっていたので、気になって曲名を調べたら、「イチブトゼンブ」というタイトルだった。

イチブトゼンブ 歌詞

まあ、いいよね、なんとなく。

 

それで思い出したのだけど、昔、好きな人に告白する前に、トートタロットというタロットを一枚引いたんだ。そうしたら、ソードの2が出た。これは「和平」とか「和解」とかそういう意味をもつ。

別に、喧嘩したわけでもないのに、なんだ?このカードは?と思ったけど、それからずーっと年月が経過して、このソードの2に価値観の対立を統合する、というような意味があるのを知って、ああ、なるほどなあ、と理解した。

 

ほんとにいろいろ琴線に触れる言葉がいっぱいだわ。

youtu.be

 

 

 

ワタシの頭の中の辞書

いい人ぶりたいので、自分が否定的な感情を感じてしまうと、反射的に「醜い」と自分の感情を拒絶する癖がある。

そんなときに、統合失調症を引き起こすワタシの頭の中の辞書ではこんな風に変換される。

 

醜い→みにくい→ミニクイン→ミニクイーン→mini Qween→小さな女王様

 

そう変換されると

「女王様がご機嫌斜めのようだから仕方ないなあ」

と、苦笑できるレベルまで回復できる。

 

言葉というものは意外と侮れないもので、まるで呪いにかかったような統合失調症の「言葉のサラダ状態」も、使い方に熟練していくと平常時にはこんな形でコトを治めてくれる。

結局、いい資質とか悪癖とかいうが、それは視点の違いなのだな、と思う。

 

あと、別バージョンでは

醜い(ここで慌ててワタシは節をつけて歌いだす)→みにくいみにくいアヒルの子→白鳥に成長するんだな、これ。→生暖かく見守ることにしよう

こちらは、若干余裕があるとき。自我の働きが介入してくるので、小さな女王様よりは持ち上げ度が低いです。

 

 

 

f:id:offkey:20170401085149j:plain

画像は四月馬鹿にちなんだイメージです。

コレステロールって2週間で28も下がるものなの?

今年の1月に血液検査を2回行った。なぜかというと、当初喘息で通ってる病院で食事を変えたことによって、なにか変わったことがあったかどうか、血液検査をしようと予約していた。ところが、年末に精神的な不調でそれが体にまで及んだものだから、喘息の病院での検査日が来る前に、精神科を受診して自分で甲状腺についての血液検査を依頼したからなのだった。

 

具体的には、精神科での血液検査の2週間後に喘息の病院で予約していた血液検査を行った。

 

精神科のほうの結果は検査から2週間後に聞いて、まあなんでもないです、という話だったのでひとまず安心した。その時にコレステロール値が以前検査(この時より2年ほど前に喘息の病院で検査したもの)より下がっていて、

「おお、食事療法が効いてるかな」

とうれしく思ったのを覚えている。ずっとコレステロール値が基準より若干オーバーしていて、2年ほど前の検査でようやく基準値の範囲内に収まったからなのであった。

ちなみに、2年前は216mg/dL 精神科で測ったのは206mg/dLであった。

 

さて、現在喘息の病院へは2か月に1度なので、1月の検査結果を先日聞いたばかりである。

この時のコレステロール値がなんと、178mg/dLだったのである。結果を聞いたとき、ずいぶん下がったな、という印象だったが、精神科の数値を覚えていなかったので、どういうことが考えられるか、お医者さんに聞くことができなかった。

 

ほぼ2週間で28も下がったことになるのだが、これはよくあることなのか、それとも急激な何かが起こったのか、わからず、検索してみたのだが、どうもうまく探し当てることができなかった。

 

体重は毎日測っておらず、この時もどこかで1回測って「やせたな」という印象はあったのだが、よくわからない。

 

食事日記はつけていたので、見ると、2週間の間で変わったことといえば、血液検査の前には昼食に、シリアルを多用していたが、2回目を行う間の2週間は昼食にも玄米を食べていた。大きいところはそのくらいだが、ただ、ストレスで、この2週間に今まで自重してきたチョコレートをドカ食い。このチョコレートだが、高カカオと謳われているものである。ネットではHDLコレステロールを増やす、とかあるけど、これも関係あるのかどうか。

 

もし、この高カカオチョコが効いているとしたら、まあ、続けていくのもよいのかもしれないが、ほどなく、このチョコレートがまた中毒的になってきたので、辞めた。

 

だが、甘いものを食べてしまう癖がここでついてしまい、最近、ずっとかりんとうやら芋けんぴなどを食べてしまっている。体重はそれほど変わらないが、3月に入ってから、PF値が下がってきて、薬を少し増やしてしまっているので、病院帰りにとぼとぼ歩きながら、

「あ~やっぱり甘いもの辞めないといかんね」

とぼんやり思った。

f:id:offkey:20170329203043j:plain

今回も画像はイメージですw

 

 

とか、思ってるのに…

今日も家族の買ってきたチーズケーキを食べてしまったな。(´・ω・`)

 

何かをやめるとき。

昨日の記事に関連して、思ったことをもう少し。

気が早いけど、逃げるときは全力で - bluerose’s diary

 

せっかく入った職場をやめるということは、よほどのことがない限り迷いがつきものだ。特に新社会人の場合だと、キャリアをこれから積むという時に、やめてしまってよいものなのだろうか?と感じることもあるし、周りに相談しても、やめるよりは続けることを前提として話をすることがほとんどだろう。

 

もちろん、それに越したことはなくて、例えば、私の例だが、若い時に初めて就職したところで、お局様の態度にブチ切れた私は、思い切って上司に訴えたことがある。もちろん、上司はなんとかするからあわてるな、ということをおっしゃってくれて、私もその上司が気にかけてくれる、ということと、自分が自己主張したこと、それから仕事自体がつまらないわけではなかったため、それだけでやめることはなかった。だから、悩んだときは信頼できる人に相談してほしいのである。

 

しかし、反面、仕事が面白くないとか、人間関係でどうも違和感がある、という場合、自分もやめたい本当の、明確な理由づけができないものだから、やっぱり頑張って続けた方がいいよね、となりがちである。それと、これは恐ろしいことなのだが、入った職場と自分のライフスタイルが微妙に違うことがある。どう説明したらよいのかうまく言えないのだが、一日の大半を職場で過ごすことを考えると、その影響は甚大で、うまく説明できない違和感を抱えてしまうことがある。目に見える悩みの影にそういうことが含まれていたならば、対処するのも少し手間取る。

 

 

こういう場合に、この違和感について自分の感覚を確認する必要があるわけである。

 

私が数年前、断薬後に入った職場を数か月でやめたときのことを簡単に書いておこう。

当初、特に問題があったわけではなかったのだが、少し自分の感覚を変えるような生活を始めたときに、まるでそのタイミングに合わせたようにその職場の雰囲気が違うものに感じられるようになった。本当に対人関係にストレスが出てきて、なんでこんなことになってるのか自分でもわけがわからなかった。

 

それで、昨日の記事のように、カードを引いて、対策を練ろうとするのだが、カードの解釈もままならないのは、自分の観念が固定されていたからなのであった。そのうち無意識にでも、質問の仕方を変えると視点が変わることに気がついたのだろう、それをやって、辞めた方がいいのかもしれない、と思うようになったのだ。

 

とはいえ、占いだけでやめるのも流石に憚られる。だから、この職場の細かい違和感に注意を払うことにした。すると、すぐにやめる動機に結びつく出来事が起こり、これを容認したら、自分はなし崩し的に自分の存在をないがしろにされると思った。

 

そのあとで、職場に縛られて悩み続けることより、今まで働けなかったのだからまた一からやり直してもいいのではないか、と思う出来事があって、その日にすぐ辞めた。自分でも驚くほど、すらすらとことが運んでしまったので、もう自分の中で準備はできていたのだろう。

 

後で、その職場と一緒だった人に会う機会があって、こういうことがあった、と話すと「相談してくれればよかったのに」と言われた。

その方はいい人で、ちょっと残念にも思ったのだが、でも、誰にも相談しなかったのは、自分はもう心のどこかでこの職場を続けることを断念していたのだと思う。

f:id:offkey:20170324104656j:plain

 

 

もし、自分自身が元の職場で頑張りたいと心の底で思っていたらたぶん誰かに相談したり、もっと他の職場の人を信頼して相談したりしたのだろうが、その相談したい上の立場の人や、人事の管理に携わっている人をあまり信頼できなかった。

 

ずっと社会で仕事を頑張っている人からみるとあまり感心するようなことではないのだけど、精神疾患にかかった側から見ると、仕事をずっと続けていくうえで、キャリアを積むことが、励みになる人と、そうでない人がいるのではないか、ということも否定できないのである。そうでない人の場合、モデルケースを見つけるのは難しく、自分自身で自分の生き方を見つけ出さなくてはならない。

 

だから、続けるばかりが良いとも限らない、ということを私は知らせたいのである。

 

同じ年齢でもその人生体験の出来事は人によってちがう。年を取って若いころの挑戦や課題を迎える人もいて、確かにそれは一般的な観念からすると未熟で劣っているとみなされるかもしれない。だが、そういう風に見る社会にずっといて、ほかならぬ自分がそういう立場になった場合、私は自分自身がどれほど偏見でものを見ていたのか、そういうことを痛感したし、そこから這い上がる場合、この自分自身の偏見と闘うことを余儀なくされる。

 

あと、自分の感覚を磨いていく、という背景には、純粋に労働環境を選ぶ力を磨くということも含まれる。うかうか入った職場がブラックだった場合、環境を選ぶことができると知らずに、命まで落としてしまうようなことを、これ以上増やしてほしくない。

だから逃げるときは逃げてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が早いけど、逃げるときは全力で

もう少しすると、新年度が始まり、新しい生活に入るひとが大勢いるわけだけど、一方で、その新しい生活が地獄の様相を呈してきて、でもここでやめると自分はダメ人間、とか考えて、にっちもさっちもいかなくなるケースなどがあり、実際ニュースでそんなのを見聞きしてしまうと、逃げ方教えないといかんよなあ、とか思う。

 

自分が苦しい時、それに立ち向かう方がいいのか、逃げる方がいいのか、判断に迷うことは真面目な人ほど多いのではあるまいか?

 

私もそういう傾向があって、苦しくてやめてみたものの、あれは現実逃避ではなかったのか?と、精神疾患になる前の若いころはそうやって自分をよく責めていた。今思えば現実逃避だろうと、避難だろうと、結局同じことになるだろうな、と思うので、その点についてはもういい。

 

しかし、断薬してから一時期働いて、辞めたくなった時に、さすがに若いころの葛藤を思い出した。

だって、当時は十何年かぶりの職場で、働いてまだ数か月、ここで辞めるとなんかダメ人間になるのでは、とかやっぱり頭の中を去来する不安があるわけで、そんなときに、若いころには使わなかった、占い、というものに相談した。

f:id:offkey:20170322211813j:plain

画像はイメージですw

 

辞めるまでの1か月ほどに、職場について、なんとか続けていきたいからそのアドバイスを、というような内容で何回か引いていた。そのときの記録を当時やっていたブログに書いていて、その記録を見つけたので読むと、こんなことが書いてあった。

 

あー、職場の人間関係が気になりだした。
いつも自分は毎回なんとなく疎外されてる気分を感じてしまうのだけど、今回もまた現れだした。
まあ、どうこうできるというわけでもないので、カードをひきまくってみると、
メディスンカードではフクロウで、

フクロウは、『見えざるもの』を見る力ゆえに『知恵』の象徴とされる。見る力のない者は『まやかし』に欺かれるが、フクロウには正体が見えている。この能力こそ『知恵』の本質である。
とのこと。


それからドリーンバーチュの一枚引きのところへいくと「状況を正確に見る(ホルス)」のカード。
これ一部抜書きすると

“今のこの状況に対する自分の感情を信用してください。それは正確で根拠のあることだからです。自己不審を手放してください。他の人がどんな意見をしたとしてもです。あなたの霊的な感性は、真実を見る助けとなっています。”


それから観音力カードでは胡蝶の夢
“相応しい場所かどうかを確認しないまま、何処にでも行ってしまうようなところはないでしょうか?”

というメッセージが含まれている。

 

3つのカードが似たような意味なので、うーんと考えてみると、自分はいつも人の意に添おうとするというか、端的にいえば好かれたい、というところがあるんだよな、迎合主義。
おそらくこのパターンもうやめませんか?ていうことなんだろうな。

 しかし、恐ろしい。自分はなんか受け入れられてないなと感じるとたちまちうろたえて仕事が手に付かなくなる。だからこそこれまで気を張って頑張ってきたんだけど、流石に今日はもう心が折れた。
さて、この折れた心、自分はどうするかな?

【追記】
ということで一番気になってる人についてその人から自分はなにをまなぼうとしているのか、という質問をオラクルさんにぶつけてみましたw。
結果は
脱出
あなたの人生はどこかで引っかかっていませんか?
このカードは、今までの不自然な制限から自分自身を解き放つ時がきたと言っています。
ということです。
ここに臆病さが隠されてるんだよなあ。別に他人が悪いということじゃなくて、自分が事なかれ主義。
って、わかってるんだが、堂々巡りだな。

 

最初のフクロウのカードは正体をよく見ろ、ってことなんだけど、当時はわからん。で、オラクルやら観音やらがまるで補完するように自分の感覚を信じろ、とか不自然な、とかそんな言葉が並んでいた。でも、当時はこんなカード引きまくっても、自分臆病でやめたいと思ってる、的解釈をしているのだから、全く固定観念恐るべしだ。

 

そして別の日に

今、向かい合うことをかんがえていたのだけど、逃げるとか避けるとか関わりを持たないようにというような質問でネットでカードを2つひいてみたら、
一枚はメディスンカードでスカンク。そこの解釈では本能に従ったほうがいいこともある。
それからドリーンバーチューのところでは信じる力。天の導きに従え、とある。
て、ことはあながち立ち向かうばかりが能じゃないような気もしてきたな。
自分、すぐなんとかしたいと思うからこじれるのかもしれない。もしかして逃げるが勝ちなのか?

 

 ということを書いていて、ようやく、自分逃げることに焦点を向け始めた、という顛末。

この後辞めてから、自分はさらによい仕事についた、とかそういうのはないので、説得力ないかもしれんがw

でも、この後に資格とりに走って、筆記試験に対するリベンジを遂げてせいせいした。(2006年ころに一度筆記試験ありの就職活動をしたとき、こともあろうに、頭が真っ白になって、解答用紙になにも書けなかったというトラウマがあったのである。当時は服薬中であった。)

そして、一連の仕事に対する自分のやり残し感を払拭し、ようやく自分の身体を優先させて考えることに罪悪感とか覚えなくなったことは大きい。

 

一度しかない人生ならば、幸せだと感じることをやるのが一番いいと思う。

 

何事もあきらめないで取り組むことは大切だけど、自分で変だな、と感じたら、どんな手を使ってでも、それを確認し、だめた、と思ったら全力で逃げる。

変だなと思えないほどまで疲れ切って働けなくなってしまう前に。

 

ほんと、これ、新社会人たちに対して病み上がりの人間が祈っていることです。