bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

自分の変性意識を検証する(文学幻想精神世界より)

以前書いた記事の続き

世界の象徴と妄想幻覚 - bluerose’s diary

 

 

 

昔から、人は苦難や悩みの果てに大きな宗教体験をすることが多かった。これは私が書物を読んで受けた印象である。振り返って、自分の精神病体験もやはりそういうことがいえるかもしれないと、今書き出してみたい。

 

30代に私は対人関係、主に恋愛に関することでかなり落ち込み、自分の感じている苦しみや悲しみを解放したいと願って、その内容をノートに書きだした。その時、突如大きな音とともに、私のなにかが壊れ、自分は本物の狂気を手に入れた、と感じた。その時の変性意識は、自分がなにもなく、それでいて、この全世界すべてが自分のすべてに繋がっており、それはやがて耐えられなくなるほどの重圧となっていった。

 

このとき体験した情動は全く知らないもので自分はなにを見たのかすら判断がつかない状態で、精神科に通っている間もそれは全くの未知の領域の出来事として、時折「あれはなんだったのだろう」とぼんやり考える程度のこととして、長らく放置していたのだった。

 

2度目の急性期になったあと、精神世界やスピリチュアル分野のことに興味を持ち始め、本やグッズ、セッションなどに親しむようになった。そのなかにタロットやオラクルカードへの興味も含まれていたのだが、あるとき、バガヴァットギーターカードというものを手に入れて、引いているうちに「ディッビャ・チャクシュ(神聖な目)」というカードが出てくる。この説明を読んで、鳥肌がたった。

人間の肉体にある目では、私の姿「ヴィシュヴァルーパ(宇宙の全相)」を見ることができない。だから君に「ディッビャチャクシュ(知恵の目)」を与えよう。その目を通して、Yogaの力で現れた私の姿をよく見るのだ。

 人が苦しみ、それを突破したいと思うとき、思いがけなく深いところにアクセスしてしまう、そんなことが自分にはできないだろうとずっと思っていたのだが、実はもうすでにそんな体験をしていたらしい。

 

この数年に2度目の急性期を迎えてしまったが、これが幸か不幸か断薬へのきっかけとなり、今に至る。このときもかなり苦しかった。終わってみて振り返った時、全世界とのつながりが、一人の人間に凝縮されてきて、という流れが見えてきたのは、以前書いた記事(冒頭にあるリンク)に詳しい。

 

このあと、また少し自分の意識の視点が動いたらしく、今私に見えているのは、その一人の人間という存在を水路として、それを乗り越えたときに違う世界が見えてくるのではないかというなんか淡い期待だ。その人はそのために今人生を模索しているように見えて、その姿はまるで水路を抜け出そうとしている心の中の私なのかもしれないと感じる。心理学的には「投影」ということになろうか?こうして世界観は改変され、それは同時に世界の改変という大仕事にも繋がってゆくらしい。

 

まあ、こんな途方もないことを書いてしまったが、実は初発の前になにか変に期待するような心理状態になって、失敗しているので、今そういう淡い期待が出てきている自分にちょっと危惧している。慎重にいかなくては。