bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

意識の橋

もうすっごい昔、夢日記をつけ始めたとき、「意識の橋、無意識の(わすれた)」というタイトルをノートにつけたことがある。無意識につけた名前だったんだけど、このタイトルを思い出すようなことがあった。

 

自分の購読している新聞で、お題に絵や短文をつける小さなコーナーがある。今朝のお題は「不思議」。

著作権があるかもしれないので詳しくは書かないけれども、「超能力が使えないので歩道橋を使う(笑)」みたいな短文があった。子供のころのオカルトブームについて書かれていて、道路を渡るとき超能力が使えるといいけど、でも瞬間移動は使えないので、少し先の歩道橋を使うのであった、というような内容。

 

これを読んで、3年ほど前に見た夢を思い出した。

ちょうどヒーリング系のワークショップから帰ってきたあとなんだけど、ワークショップのメンバーの人と歩道橋を渡っているとき、そこから私は落下してしまう。けれども体は浮いていて、歩道橋の下にあった芝生で暮らしている小さな存在たちとお話をするという夢。会話で使われるのは身体を使った身振り手振りのようなものでそれができる自分にちょっと意外な感じがしていた。

夢を見たときにはわかるようなわからないような雰囲気だったけど、今朝の新聞記事で、歩道橋の意味が理解できた。それで要するにそのワークショップを自分はあまり理解できなかったらしいけど、無意識のほうでは新しい存在との出会いがあった、という風に解釈できた。

 

もう一つ、今朝の夢、新聞読む前だけど、壁沿いにあるく私は進行方向の目印に、壁の上に立ってる鬼の子の落とす雷を使っていて、道路の向こうで雷が落ちるのを見たらそれを目印に道路を渡るという内容だった。

これも起きて思い出した時には別になんとも思わず、新聞を読んでも気がつかなかったが、この記事を書こうと画面に向かった時に、この夢と新聞記事の酷似に気が付いて、

おおっ

となった。

 

そして、今、最初に(わすれた)書いたタイトル「意識の橋、無意識の…」のタイトルを思い出した。

「意識の橋、無意識の地下道」

である。

もう一つ、今朝思い出したイメージを書いて終わる。

 

「水の上にかかる橋の下を船で渡る女の子」