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bluerose’s diary

15年間の向精神薬服用生活から断薬しました。

イメージのもつ力

願いがあるなら具体的にイメージしろ、ということが巷間ではささやかれている。そんなものなのかなあ、とか思ってイメージしようとしたこともあるけど、わたしはそれが実は苦手だった。
だ いたい、誘導瞑想などで、「~~をイメージしましょう」という言葉に従うことができないことが多々あって、その言葉の一般的なものと全く違う世界が浮かん できたりして、うわ、わたしのイメージ能力低すぎ。とかちょっと前のwebバナー広告みたいなセリフを言いたくなってしまうのだった。

もうひと昔前の話か。そのころからこの具体的なイメージの話は知ってたから、ためしに札束勘定するところをイメージしてみたことがある。このときは驚くほど具体的にできたので、お、やればできるな、とちょっとうれしくなった。
で、 それから数日後だったか、ちょっと忘れたけど、親が私の名義でかけてた何らかの運用資金が満期になったので、一緒に来い、という。それでのこのこついて いったときに、受付の窓口でご確認ください、と差し出された札束がイメージしてみた金額と同じだった。それで、おやおや、もしかしてこれのことを言ってた のかな、とか心の中で苦笑してしまったが。それでもその中から一割ほどいただいたので、まあ、十分の一はゲットできたことになる。

これってさ、願望を具現化した、っていうより、何かを受信、というほうが感覚的にはあたってる。
わたしの感覚としては、思考が現実化するというより、なにかがひっかかかる、という感覚で生きてきたんだなあ、って感じだ。巷の流行には疎いけど、それ自分と関係ないから、拾わないだけだろう。

と ころでなんでこんな話を書き始めたかというと、現実化するイメージと妄想の違い、という記事を読んだからであって、その記事を書いた人の場合は、見えるイ メージに自分の視点みたく見えるか、自分を俯瞰しているような見え方か、という違いで、前者が現実化、後者が妄想だ、ということであった。
前に、 どこかでイメージの話になったときに、ある人が臨場感あふれるように見えるか、そうでないか、というところで見分ける、ということを言っていて、その時は 自分は両方ともそういう見え方をしなかったから、うーん、観察が足りないかな、と考えていたのだけど、どうも人によって違うみたい。だから、人の話は参考 程度に聴いておくといいみたい。

自分の場合は今のところ見えるイメージで現実化したもの、というのは思いつかないな。というか画像そのものがすでに非現実的なものしか見えてないから、当てはまらないのかも。

私 にとって現実化する、というのは、画像よりは、なんらかの認識、という形でなされることが多い。それは何かを見て、浮かんできた認識とか、なんとなく思っ ている認識、というものであって、例えば、ごく最近の例を述べると、わたしは十数年前に精神科病院に入院して、その後長期にわたり通院と服薬の生活をして いた。通常の意識では一生この生活、というのと努力すれば抜けられる、という相反する感情があったのだが、それとは別に、なんらかの認識というのが、退院 してすぐにやってきて、それは「○年後、そこで無理なら△年後(○年後の倍の数)」というものだった。この薬と通院が終わる時期のことだ。私はそれがなんだか信じられない感じがしたのだけども、それというのも、当時 はとても薬飲まなくてよくなるとは思えなかったからだ。常識的に考えて通常は一生通院もおかしくない病名をつけられたから。しかし、一方でそうかもしれな い、という希望がちょっぴり生まれて、まあ、そのころの私に期待しよう、なんて半ば他人事みたく考えていたのが、その後それを裏付けるような展開が、指摘された年代の頃に現れて、その認識は成就され、今これを書いている。