bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

旧約聖書 詩篇 第49篇

49にちなんで詩篇第49篇を掲げる。

 

  1. 指揮者によって。コラの子の詩。賛歌。
  2. 諸国の民よ、これを聞け
    この世に住む者は皆、耳を傾けよ
  3. 人の子らはすべて
    豊かな人も貧しい人も。
  4. わたしの口は知恵を語り
    わたしの心は英知を思う。
  5. わたしの格言に耳を傾け
    竪琴を奏でて謎を解く。


  6. 災いのふりかかる日
    わたしを追う者の悪意に囲まれるときにも
    どうして恐れることがあろうか
  7. 財宝を頼みとし、富の力を誇るものを。
  8. 神に対して、人は兄弟をも贖いえない。
    神に身代金を払うことはできない。
  9. 魂を贖う値は高く
    とこしえに、払い終えることはない。
  10. 人は永遠に生きようか。
    墓穴を見ずにすむであろうか。
  11. 人が見ることは
    知恵ある者も死に
    無知な者、愚かな者と共に滅び
    財宝を他人に遺さねばならないということ。
  12. 自分の名を付けた地所を持っていても
    その土の底だけが彼らのとこしえの家
    代々に、彼らが住まう所。


  13.  人間は栄華のうちにとどまることはできない。
     屠られる者に等しい。


  14. これが自分の力に頼る者の道
    自分の口の言葉に満足する者の行く末。
  15. 陰府に置かれた羊の群れ
    死が彼らを飼う。
    朝になれば正しい人がその上を踏んで行き
    誇り高かったその姿を陰府がむしばむ。
  16. しかし、神はわたしの魂を贖い
    陰府の手から取り上げてくださる。
  17. 人に富が増し、その家に名誉が加わるときも
    あなたは恐れることはない。
  18. 死ぬときには、何ひとつ携えて行くことができず
    名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。
  19. 命のある間に、その魂が祝福され
    幸福を人がたたえても
  20. 彼は父祖の列に帰り
    永遠に光を見ることはない。


  21.  人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。
     屠られる獣に等しい。

(新共同訳)

 

 

この内容読んでいて、ふと『敦盛』のあの有名すぎる一節を連想してしまう。

例の、信長が好んで舞ったというあの謡

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

敦盛 (幸若舞) - Wikipedia

 

ちょうど数年前から時折この一節が頭の中をふっとかすめることがあって、人生のはかなさなどを感じていたのだけど、旧約聖書詩篇49が、やはり人間の一生のはかなさを説いていたとは、なんだか不思議なものである。

このあたりの数字はそういうことを人間に想起させるものなのだろうか…

 

 

健康管理について占う

今まで喘息の改善のためにいくつかの方法を調べては試している。

非常にこれは効果が出ている、というのはまだない。

このまま現実的に続けていくのもよいが、やっぱり、せっかくなので喘息の管理についてその方法をひとつひとつ占って検討してみようかという、モチベーションアップのお遊び企画。

 

使ったのはこちらです

ワンオラクル - アポロのタロット占い

 

ここで引いたカードの絵とキーワード、解釈をもとに自分の解釈をここにかく。

  • まずは、標準治療について、薬を使っていることについて
    【ペンタクルスの9】なんのために薬で健康を維持してきたのだろうか?という疑問が私の中にあったことだ。
  • 食事療法について
    【カップの6】幼い時の好みなどを思い出し参考にすること
  • サプリや健康食品について
    【ワンドの9】体を守ることに使っているけど効果について疑問を持っている
  • ヨガについて
    【Ⅺ正義】正しい知識と正しい解釈をすること。真面目に取り組むこと
  • レイキについて
    【ワンドのキング】神秘的なパワーや隠された力がある。
  • 足湯を代表とする冷え取りについて
    【カップの9】ウィッシュカード。やって損はなし
  • ヘナについて
    【ペンタクルスの9】道楽といったほうが近いかも
  • メガビタミン(ビタミンCの大量摂取)について
    【ワンドの5】賛否両論がある、頼りすぎないように
  • 他に癒し方で気がついていないものはあるかどうか?
    【ペンタクルスのナイト】焦るな、確認しながらゆっくり歩け
  • パワーストーンについて
    【Ⅶ戦車】意志力を強化するものがよい
  • 喘息と愛について
    【ワンドのクィーン】内に秘められた情熱、その想いを大切に
  • アロマについて
    【ソードの9】不安など。この方式は向かないようだ。
  • フラワーエッセンスやレメディなど(これはまだ試していない)
    【ソードのキング】手段を選ばないならば(煮詰まってしまったときにダメ元で使ってみるとか?)
  • 最後になりましたが、喘息の管理ということを通じて自分自身全体を癒すことに関しては?あるいはなにか貢献できることがあれば。
    【ペンタクルスの8】ひたむきに努力すること。

タロットカードインデックス

 

偶然性を使った占いというのは偶然に見えて意外と自分の潜在意識を映し出したりする。なんか宝くじ的に一発で治らないみたいだな(笑)

きちんと真面目に養生しましょう、ということらしいです。

 

ところで、この占いの結果、ここに書いたらどうなるかしら、と思って、かのサイトのマスコット、ハミト先生に訊いてみましたところ

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ということでした。

“46”

きちんと現実的な話を書こうとしているのだけど、どうしても他人に理解できないような妄想領域の話もしたくなる。

まあ、人間の意識はわかるものばかりではないので、そういう他人にとっては意味不明なことも書く。

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このブログは49歳に始めたが、それというのも、49という数がなんらかの形でいろいろと自分の意識の前に登場したから、ではうっちゃっとかないできちんと形にしてやろう、という目的ではじめた。

 

数字がその人の人生でいろいろやってくることはあるが、起きているときのことではなくて、夢の中で一時期妙に印象に残る数字があった。

それが46という数字である。

この数字、いつごろから夢に登場し始めたのか忘れてしまったのだけど、落ち着いていた変性意識状態がまた揺り起こされてしまって、精神病急性期に再び入ったのが、後で考えると46歳の時だったのだ。だからもしかしたら夢はそれを、年齢、ということは伏せてそれとなく知らせてきたのだろうと考えた。その証拠にそのあと46という数字を夢で見なくなったから。

 

ところで、今朝見た夢にまた別の数字が活躍するものがあって、その意味をネットで探していると、こんな記事に出会う。

 

また、9.11から10年後の2011年9月11日に行われた追悼式典で、バラク・オバマ大統領が旧約聖書詩篇』(Psalms)の「第46篇」を意味深に朗読しているのだ。

この「第46篇」の内容は天変地異を連想させるもので、何故オバマ大統領がこの節を朗読したのか謎であり、波紋と憶測を呼んだが、9.11へのイルミナティの関与を意味しているのかもしれない。

他にも1611年刊行ジェイムズ王訳の旧約聖書では、冒頭にある『創世記』(Genesis)の46番目の単語が「light」(光)になっている。

イルミナティ」(Illuminati)はラテン語で「照らし出す」転じて「啓発」の意味だが、ラテン語を分解すると、

IL‐+lūmināre

であり、lūmināreはフランス語で光を意味する「lumière」や英語「light」と同じ語源のラテン語「lux」である。

そ して、かつて全天使の長にして最も美しい大天使だった堕天使「ルシファー」(Lucifer)も同じ語源でラテン語「光をもたらす者」 (Lux+fero)という意味を持つ。ルシファーは後に魔王サタンと同一視されており、イルミナティ悪魔崇拝と関連付けられるのは、ルシファーを崇拝 しているためという説もある。

 

「乃木坂46」「欅坂46」の数字と三角形ロゴマークに隠された意味と由来、秘密結社フリーメイソン・イルミナティを象徴か – ティップスゴシップ

 

この記事で46歳から起った自分の急性期を思い起こして、( 陰謀論とか私はよく知らないし、それはまた別の視点での解釈だろうと思っているので特にどうこう判断していないのであるが)ここに出てきた詩編の内容やルシファーの話はなかなか興味深いものがあった。

 

こういう出来事を体験すると、集合意識というものの存在を確かに実感するわけで。

 

おしまい。

 

 

 

 

固定観念だらけの食生活

まあ、一部自己流で控えている食べ物があるのだけど、ナス科野菜と、精製した炭水化物(玄米や全粒粉などに置き換えているということ)が当面の制限品目。

 

そんな食生活をはじめてから、久々に外食する機会があって、どこに入ろうかと飲食店街をめぐる。ランチタイムの時間なのでそれこそ食べる場所には事欠かないはずなのだが、実際に店さきのメニューを見てみると、上記の制限品目にひっかかるものがほとんどなのである。加えて私は市販のドレッシングなども使っていないので、サラダと称してドレッシングどば、というのも食べないので、さて、どこに入ろうかと彷徨してしまった。

 

洋食系は全滅。麺類でいくか、そば屋。しかし今そばは食べる気がしない。中華も盛りだくさんで、何かにひっかかるしなあ…

 

とかうろうろしているうちに、とある店が目に入った。

とんかつ屋。

 

もしこの食事制限がダイエット目的ならば絶対に避けられる店だが(笑)、私の目的は別だし、肉は全然制限していないので、一瞬ここだ、と思った。

とんかつ屋ってついてくるものが意外にシンプルなのよね。キャベツにしろ漬物にしろ。あとは自分で味付けてね、ということでソースが置いてあったりするだけなので、これは結構使えそうだ、と小躍りしかけたのだが、目に入ったのが白い白いご飯。ああ、と失望して、でも他は捨てがたいので店頭で案内している人にご飯抜きをやっているかどうか聞いたら、やってる、というではないか。

即座にのれんをくぐった。

 

うはは。ごはんなしのとんかつ定食がこんなにうまいとは思わなかった。とんかつもキャベツもなにもかけないで食べた。非常においしかった。漬物と味噌汁がしょっぱいので十分なのだ。これがごはんもいっしょだと、とんかつにソースをかけて一緒に食べてしまうという昔の固定観念のままで、あとで非常におなかが苦しくなるところだったが、ごはんなしで食べたとんかつはぜんぜん腹がもたれない。

 

 

それで、私は自分の食事に対する固定観念

「主食はどんなときも食べるのが食事、あとは食事ではなくて間食とか緊急の食事」

「そして主食とは炭水化物のことであり、野菜やたんぱく質は副食である」

というものがあったのに気がつく。

 

 

でも、こんな食生活でいろいろ叫ばれている時代に、なにも主食が炭水化物でなくてもよいのではないか、と改めて思った。それこそ野菜でもいいし、肉、魚でもよい。

昔はカロリーを取ること自体が大変な時代だったため、比較的手に入れやすくてカロリーも高い炭水化物が奨励されたのだろうと思う。でも、それだって昔は精製されたものではないし、量自体も今みたいに多くはなかったはずだ。

 

 

昔、江戸時代に砂糖が「薬」だった時代とはわけが違う。

いわば、現在はその「薬」をドカ食いしているのと一緒な感覚なのかもしれん。ちょっとだけならどんなものだっておいしく食べられるけど大量かつ継続的に食べているとどんなものだって害になりかねない。だいたい副食はいつもローテーションで品を変えてるのに、毎食毎食「白いごはん」「小麦パン」というのはなんか思考停止みたいに思えてくる。たまにそれがない食事もまたいいのではないかと。

 

 

ま、そんなことを思った久々の外食でございました。

 

 

 

 

精神病のもとになったかもしれない

今、喘息が以前のようなPF値に戻っておらず、少し低い状態で日常生活を送っている。

ちょっと思うところあってそのような状態にしている。

 

 

思うところ、というのは、この微妙に低いPF値の状態で今まで過ごしたことがなかったな、ということだ。喘息と診断されて治療を開始したときに少しこの状態があったが、断続的な呼吸困難から抜け出して間もなくだったし、向精神薬を服用していたせいもあり、助かった、という思いしかなかった。

 

今はその時とは逆に呼吸しやすかったところからの転落である。この時にどう感じるのか、今それをやっている。

 

それで、気がついたことはといえば、この微妙な状態、ずっと前、精神科に行く前の働いている時代にあったということだ。今も咳があるわけではなくて、ただ少し前の調子よかったころに比べると階段の上り下りや小走りをしたくなくなり(無意識につらい運動避けてる感じ)なんというかそこはかとないイライラ、不安がある。この状態が働いていたころを思い起こさせるのである。

 

もしかしたら、あの頃にPF値を測ったら今と同じくらいの値になってるかもしれない。

 

こういう状態で日常を過ごしているとなんとなく生活がブルーに感じてしまう。楽しみといえば、ほんとに体動かさないでメディアにどっぷりつかっているとか、そんな感じだもの。人としゃべる時すら億劫に感じてしまう。そしてそれは自分の性格のせいではなくて、呼吸が苦しくて息継ぎがしんどいから、ということもあるかもしれないと感じたのである。

 

身体を動かさず、メディアにどっぷりが不健康な精神とはいわないが、感情が鬱屈しがちなのは事実で、ちょっとした不愉快なことも、体力があれば気にならないのに、こういう不調だとなんとなく鬱になったりするのかもしれないなあ、とも感じた。

 

もっとも、うちにこもることが悪いばかりではない。向精神薬から解放されてから自分はかなり外へ外へ出歩いているんだけれども、なんか落ち着きがないといえばなかったな。あまりはしゃぐとまたおかしい人認定されてしまうので自重していたが、なんのことはない、標準治療でドーピングしていたようなものだ。今こうしてひとところにいて、自分は自分の病気についてじっくり考えることができている。そんな中で過去の自分の不調が、精神的なものではなく、外部からのストレスも二の次で、たぶん呼吸しにくくて不安でイライラしていて身の置き所がないような感覚が、精神的な不調も呼び込んだのではないかということを推測できたのである。

 

そしてそれを裏付けるようなブログ記事を見かける。

blog.goo.ne.jp

鼻炎がないがIgE値の高い人は、倦怠感、疲労感、病気の前兆の不快感などを経験しますが、

 

この引用した部分、たぶん働いていたころ、この数値が高かったかもしれない。

 

こう考えると、精神病って体の微妙な不調からストレスをきたして起こるのが多いのではないかと感じる。この身体の微妙な不調というのはなかなかわかりずらそうだ。

ネガティブ要注意記事を書きます。

喘息 脱ステロイド というキーワードで検索して出てきた記事を流し読みしていた。

ほとんどは喘息の話ではなくてアトピー性皮膚炎についての脱ステロイドのことだ。

ここになぜ喘息という言葉が出てくるのかというと。

 

「子供のころ喘息でそれが治ったのだが、大人になってアトピーになりました」

「脱ステ成功してアトピーがきれいになりました。→喘息になりました」

 

というパターンが見られるからなのだ。

アトピーが治ったのはいいけど喘息になった、吸入ステロイド処方された→どうしよう、あるいは吸入ステロイドはそれほど副作用もないというのでこれは使ってます。

という感じで喘息の脱ステしようと思うと心が折れそうな記述が多い。

 

喘息もアトピーも人によってさまざまだから、必ずしもそれが自分に当てはまるとは限らんのだが、どこかで発想の転換が必要なのかもしれない。

自分の気がつかない要因を発見してそれを除いたら劇的によくなった!みたいなことが果たして自分にはあるのかどうか。それとも地道に体質改善を行っていくことで少しなりとも薬を減らしてゆくことができるかどうか。

 

 

今だから思い出すこと

喘息がらみの話だが、ちょうど断薬前の一番厳しい時期のことを思い出した。

 

幻聴を止めようとして飲んだエビリファイの影響かどうかはわからないが、とにかくそのあたりから身体的にも非常に大変なことが次々と起こった。足に力が入らなくて立っていられなくて、歯を磨くことができない。トイレに行きたいのに小用も大の方もでなくなって、特に小の方がでなくなったのは非常に苦しかった。救急車呼ばれるかな、とか思ったもの。そしてようやく出たときには血尿とみまごうかの真っ赤な色にまでなっていたのはかなり恐ろしかった。他にも正体不明の気味悪い身体感覚が寝てるときにくるとか、悪夢とかこれは死んでもおかしくないな、とかいつも苦しい中で感じていた。

 

そんな中で最大の死の危機があった。

ある夜の事。うとうとというには妙に頭のさえた感じがするのはこの当時いつもそうだった。年輪のような同心円が白黒で見えた。それは私ののどであり、先へ行くほど細くなっていくのだった。そして一番細い部分に女の子がまるでロケットでどこかへ飛ばされるような体制で挟まっているのが見えたのだ。と同時に信じられないくらいの呼吸困難が襲ってきた。その女の子が気道をふさいでいるとしか思えないのだ。わたしは苦しくてもがいてようやく体を起こすことができて、息ができるようになった。

 

このころは喘息はむしろPF値がいつもより上がっていて、いつも補助的に飲んでいた飲み薬は全然飲んでおらず、吸入ステロイド自体も、いつもの半分にしていてもPF値は下がっていなかったので、この出来事には相当驚いた。PF値が高くなってるのに発作が起こるのか?ということと、自分、いつ死ぬか本当にわからないから今できることやらないと、という思い。

 

あの記憶があるから、喘息については全部薬やめる、という選択がなかなかできないのかもしれないと思う。

 

 

ところで、今日はおとめ座新月だそうです。新月に願い事するといいというので、今お願いしてみる。

 

かみさま、お月様、

喘息の薬なくても生きていくことをお許しください。

 

昔は、もう余生だからいつ死んでもいいと思ったのだけど、ここに至って生きていくことを願うとは、自分もかなり変わったものだと思う。

そういう意味では喘息のおかげなのかもしれない。