大層大げさなタイトルをつけてしまったが、別段難しい話ではない。
夢の話である。
今朝、私はうとうとしていてこんな夢を見た。
私は暗い家の中にいる。昔住んでいた家のようだ。その部屋は居間で私は右手に給仕さんみたいにお盆をもち、部屋の引き戸の前に立っている。
引き戸を開けると、急に明るくなり、今住んでいる私の部屋の光景が現れた。
そこで、私はどうしたのだろうか?今住んでいる私の部屋と、昔の家の光景がくっついて現れたことに気が付いて、一度最初立っていたところに戻っている。
改めて、そのことを思い起こして、もう一度今自分はどこにいるのだろうかと考えた後に、さっきの引き戸を開くと、そこには、自分が子供時代に使っていた、昔の家と同じ場所に存在していた部屋に出た。そこも暗い。
そこから私は徐々に目が覚めていたのだろうか?意識することで目の前の光景が変化することを何気なく考える。
“こういう意識状態(ぼんやりうつらうつら)では自分の意識次第で現れるものが違って見えるのではないか?”
そのあと寝床から離れて、今見たことや考えたことについていろんな想像を膨らませていて、SFやファンタジーに使われるようなシュチュエーションの説明をあれこれ考えて楽しんでいたが、夢というか夢うつつの中で自分の意識次第で見えるものが違う、と改めて考えたのはどうもこれが初めてではないか、という気がしている。
こういう夢を以前に見たことがあるか、どうかそれは覚えていない。
見たとしても多分気づきがなければ覚えることもないだろうと思う。
夢はいろんな可能性や解釈を可能にしている。この夢の特質はそのまま自分の願望や理想という意味で使われる言葉にもなっている。
昼、起きているときはどうしても意識が目の前の出来事に引っ張られがちで、時に自分の心が折れそうになったり、苦しんだり悲しんだり、あるいは目の前の楽しさに夢中になりすぎて、(おっと、ここにも夢がありましたね)今自分の置かれているところを忘れて現実生活が危うくなったり、目覚めているとはいっても、ひどく限定されて意識は動いている。
眠っているときはその限定が解放され意識は広がる。けれどもそれは日常生活に置き換えれば、何も考えずただ、習慣的に眠ったように物事を行う私たちの意識に似たところがある。
考えることにより、自分の常識にとらわれて、新しい部屋ではなくて昔の部屋が現れること。
夢の側から起きているとき日常生活の意識とはこういうものである、ということをイメージしたのではないかと私は思った。