bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

預言の世界もこうしたものなのか、と考えてしまった事例

本当に戯言世迷言。

人間社会における不幸な状態には病気や貧困や争いなどがあって、それらは一般的に改善されるべく、人々は行動するわけだが、どういう発想からそれらを改善していこうとするのか、そこのところが気になることがある。

 

例えば、そういう状態は自分の行いによる結果なので、その行いを改める。改め方はいろいろあるけど、奉仕から信仰に関わるのがスピリチュアルや宗教の得意なところである。

 

その際に、かの分野では神様仏様に帰依する、不思議なエネルギーを使う、不幸な状態と思えるものが、実は神聖なものだと気がつくような体験を重視する、といったところが、病気の私としては思いつくところ。

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まあ、それは良いのだけど、ある日、スピリチュアルなブログを読んでいて、不幸であることは周りに迷惑をかける、みたいなことが書かれており、ちょっとびっくりした。私はそういう考え方がよくわからないから、不如意だと周りに頼らなくてはならず、頼られるのは迷惑なのかな、という連想をしてしまったのだけど。

 

一方で、その状態は神様からのギフトだから感謝しなさい、という書き方をしたブログをいつも見かけているから、まあ、同じスピリチュアルでもいろんな考えがあるんだな、とちょっと画一的に見ていた自分の考えを改めた。

 

それにしても、不幸な状態は周りに迷惑をかける、っていうのは、なんというか、どんな人にでも人権がある、という考え方に違和感を表明してるようなもんじゃないかな。好きでそういう状態になったわけじゃあるまいし。

 

人々にショックを与えて、こういう状態について目を向けさせる意味の文学的表現、ということなのかもしれない。