bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

『世に棲む患者』という本

十数年前から数年前までずっと澱んだように単調な暮らしをしていた私に、希望の光をもたらしたのは、中井久夫さんの著作だった。みすず書房から出ている『最終講義』を初めて読んだとき、精神病(精神分裂病統合失調症と呼ばれているもの)の世界が治療者の見方によって、こんなにも人間の神秘と可能性に迫ることができるのかと感激したのである。以後、自分の体調の許す範囲で何冊か読んだ。

 

ちくま文庫の『世に棲む患者』は中井先生のエッセイや雑感などの文章を集めた著作であるが、表題の文章は患者と社会の関係について述べたものであって、「棲む」は「住む」という漢字ではないところに、中井先生のやさしい心遣いが現れていたように思う。

 

この本を初めて読んだのはもう5年以上も前であるが、今回ふとこの本のことを思いだす機会があって、少し本を開いたところ、こんな文章にあたった。

しかし、治療者と患者の共有しがちな「哲学」あるいは「固定観念」で患者、あるいは元患者が世に棲む妨げになってるものがある

と、いう前置きがあって、以下、次のような内容だった。

 

「治るとは働くことである」という「哲学」「固定観念」、これが容易に逆転されて「働くと治ったことになる」という命題になって患者を焦らすことであり、患者を「労働改造」させようとすること。

中井先生はあまりにも極端な労働改造は沈鬱な思想に思えて、患者を精神的委縮に結び付けかねない有害なものだという。この考え方は精神病に限ったことでなく、昔は結核、あるいは現在の発達障害うつ病などその時代によってターゲットになるものがあるようである。

また、この観念の別のバージョンとして

「治ったら薬はいらなくなる」が「薬を飲まなくなれば治ったことになる」という形で現れることもある。

このような逆転する命題を抱えてしまう患者の多くが治療に絶望しているのだが、多くは治療の方針などが十分知らされていないことが少なくない、ということだ。

 

もう一つ、これが私にはかなり絶望的に思えた指摘がある。

「健康人とは、どんな仕事についても疲労、落胆、怠け心、失望、自棄などを知らず、いかなる対人関係も円滑にリードでき、相手の気持ちがすぐ察せられ、話題に困らない」という命題は患者の中にはありがちだが、患者のもつこの「超健康人幻想」が精神科医の中にも分有されているかもしれない、ということだ。これが不毛な自己点検へと追いやってしまうこと。

 

初めて読んだ当時はあまりピンとこなかったのだが、今読み返してみると、この種の絶望に私がさらされていたのだとわかる。だからこそ、この数年間いろいろ試行錯誤して、結局疲れ切ってしまった今がある。

 

一方で、このような「固定観念」は病気で余裕がないから、ともいえそうだけど、余裕がないときにそういう「固定観念」が現れるのはなぜだろう?これこそ社会の「固定観念」なのではないかなあ、と感じる。

 

この中井先生の書いてたこと、なんとなく今の社会で問題になってる労働の在り方にも言えないだろうか?

勤労感謝の日も近いけど、「健康で普通の人並みの生活」とは一体どういうことなんだろうかな、と思う。いろんな事情で労働が困難な人々も「世に棲める」には、何か今の社会の方法ではきつそうだな、と感じる。それは単に労働だけの問題でなく、ライフスタイル全体にも及ぶようなこと。