bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

危機的状況の前に起こること。

さっき、ぱらぱらと夢日記を見ていたら、去年の忘年会の前日に書いていたことに目が留まった。去年の忘年会の後で体調を崩して、その後また急性期状態のように幻聴や身体感覚がおかしくなった時期。この出来事は半年後の不眠と精神状態の悪さに繋がって、薬を再開する遠因ともなった出来事。

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その日、夢はほんの一行だった。そして珍しくタイトルがついていた。

(愛をおくる)

アイスホッケーで二人のゴールキーパーがパックを打ち合っている。

そして、その下には起きてすぐ思い浮かんだ文章が書きつけてある。

私たちが知らないのは、なぜ争うかということである。

右手と左手が争っても仕方がない。

心の声をきくのはやめてほしい。

愛を、愛を大切に。

私たちの愛を自分の中に感じてほしい。

愛を送りなさい。争ってもよいのだ。愛はあるか?

それは愛ですか?

答えは知らなくても愛だけはご存じ。

 

この時の気分はあまり覚えていないから、当時の意識状態の延長線上にあったのだろう。ただ、この思い浮かんできた文章がひどく印象的だったのですぐ書き付けたのだった。

この次の日に忘年会で飲み食いした後に、翌日ひどい頭痛と下痢、などを起こし、幻聴などがひどくなってもう散々だった。この書き付けがなかったら、また自分は取り乱していたかもしれない。

 

考えてみると、初発(十数年前)と、数年前の2度目の精神的な発作と、それが顕在化する前に、至高体験とまではいかないけど、今回のこの書き付けのようなまるで精神世界におけるメッセージようなものが意識上に浮かび上がってきていた。

まあ、浮かんできたこれらのイメージや文を認識したのちも、精神状態がまともであればよいのだが、すぐに混乱がやってきてしまうので、どうも自分の意固地さというかそういうものがなかなか外れないものだなあ、と今日、この夢日記を読んでそう思った。

 

余談だが、この書き付けをあとで通常の日記に書き起こそうとしたとき、文章を忘れてこんな風に書いた。

私たちはなぜ争うのか、その理由を知らない

 

そして、なんか違うなあ、と思って、夢日記のほうを読み返し、夢の中の意識と起きて活動しているときの意識でフォーカスしているものが違うと気がつき、そのことを日記に書いている。

すなわち、夢日記に書き付けた方は、(知らないこと)というものにフォーカスされているが、起きているときには(知らない理由)についてフォーカスされている。つまり、寝ているときはそのことを知らない、という事実だけだが、起きて活動している意識では理由を知らない、みたいなところ。なんか似ているようだけど、やっぱりこの違いが自分の中の分離を象徴しているのだろうと思う。