bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

今回の不調と夢の話

休止していたが精神活動が少しできるようになったので、今のうちに。

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去年末から今年にかけて起こっている今回の精神的な不調だけど、過去のネットの文章を読んでいるうちに、キーポイントとなる文章を見つけた。

facebookに載せてた文章。

その中で簿記検定に受かったけれども、なんか求人雑誌を見ても気が乗らず見るのをやめた、という文章から始まり、その日の未明にみた夢のことを記している。

こんな夢だ。

未明に、子供連れの女性が運転する車が転倒して穴に落ち込む、という夢を見る。私はその女性に話しかけるのだが、女性は助けを呼ぶのは明日にしてほしいという。そこへ背の高いがっちりしたルーマニアの女というのがやってきて、子供を連れ去っていく。車の女性はいつも誘拐されるのです、というのだ。
私はルーマニアの女のところへいき、子供を返してもらおうとするのだが、彼女と向かい合ってみると、なんか圧倒されてどうしていいものやら、という感じで目が覚めた。

これを書いた当時は社会の壁とルーマニアの女と関係してるのだろうなあ、みたいな感じで思っていたのだけど、漠然としていてはっきりとはしなかった。

 

 

この不調で、自分が最初に発生した思い付きや感動、こういった純粋な気持ちがどんどん変節していく様子を観察することができた。そのあとで、facebookのこの文章を見つけたわけだが、つまり、赤ん坊に象徴される純粋な気持ちが、どんどん時間を経てある時純粋な気持ちを守ってる自分が転んでしまって赤ん坊を連れ去られてしまう。

ルーマニアの女、というのは、個人的な夢の解釈になるが、どうも社会に適応するためにやむおえず自分の生命力とか情熱を犠牲にしてしまっている部分、ということになるかな。

 

これを観念的な文章に直すと、自分自身の情熱や感動をそのまま自分のやりたいことへと成長させることができない(転んでしまう)ということと、社会適応するためにそういったものを犠牲にしてしまいがちな自分が大きくなりすぎている、というところかもしれない。

 

書いたのは去年の6月終わりころである。検定試験が終わって合格し、なんか燃え尽き症候群っぽくなっていたのかなあ、と思う。それに気が付かず、そのあともなんか社会に復帰しようとしていて、とうとう倒れてしまったのだろうなあ。

 

この先どうするか、なんか別の角度から見ないと大変だな…

 

【追記】

記事アップしてから気が付いたが、このルーマニアの女、というのは社会適応という考え方のほかに、自分の意識していないが自分自身に負担になっている欲望、という負の面としてとらえることもできるかもしれない。(この欲望をストレートに動かせるようになるとまた違ってくるのかも)