bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

幻聴はどのような言葉遣いをするか

耳にラジオを埋め込まれたような機械的な幻聴が始まって、もう3年半になった。最初の1年は非常につらかったし、昨年から今年にかけての小発作みたいな時の幻聴もつらかった。

 

幻聴がつらいのは、所かまわず声がずっとしていることへのストレスが大きいが、もう一つ、自分とは思えない言葉遣いや話し言葉が、まるでいつも他人の話を聞かされて、自分でものが考えられなくなる感じがする、というストレスもある。

だから、今の私は、もしかしたら自分でものを考えておらず、半ば幻聴の「洗脳」に従って生きているかもしれないなあ、と思うことが多くなった。

 

さて、自分とは思えない言葉遣いの幻聴だけど、どうしてそうなってしまうのだろうか?まあ、陳腐なところでは他人に言われた言葉の反芻とか、霊に取りつかれているとか、私が初期に考えていたのは、夢の音声版だから、というのもあった。それのどれが正しいのかはわからない。

 

けれども、一つの傾向にちょっと気がついたかもしれない。

私の幻聴の中で、自分がふとあることについてこういう結論をだせばいいのかな?と思ったときに「殺人、殺人」と抗議してくる声があって、それがまたストレスになるのだけど、我ながらいいと思った考えがなぜそんな風になるのか?

その「殺人」という言葉について、今日イオンのテラスで空を見ながらランチしているときに、急にその連想が出てきたのよ。

 

その過程は今思い出せないのだけど、ドラえもんの漫画に出てくるオシシ仮面が敵につるされて「グエー」と叫んでいるシーンがあって、それに「殺人」と結びついた。

で、「なんで殺人がオシシ仮面の危機なの?」

と半ば笑いそうになったのだが、そのあとに、マンガではフニャコフニャオが「こんな終わらせ方じゃ、あとが困るじゃないか」と嘆くシーンが続いていたことを思い出し、「殺人」の意味は、このシーンのように、幻聴たちが困って嘆いているのではないか、という仮説に至ったのである。

 

幻聴が、仮に私の意識に対する補償と考えるとするなら、私が出した結論に対し抗議するときに、「そんなの困る」と言っても、たぶん私はそれほど注意を払わないだろう。

しかし、「殺人」という言葉には世間で使っているエモーションが大きく、聞こえてくればまず動揺する。

幻聴は、(あるいは幻覚などもそうかもしれないが)なにか強調したいことがあるために、

「より感情的に、より刺激的な」言葉を選んでいく傾向があるのではないかと思ったのである。

 

 

社会的な言葉遣いにおいて、差別用語などの感情的にもつれた連想をもつ言葉に対してはより軽くて明るい言葉に言い換えられることがよくあるが、幻聴はその逆でより重たい言葉に置き換えられることが多いのかもしれない。

 

 

あら、そういえば、筒井康隆差別用語の話で、片輪と言えばなんの言葉かわからないが、「○○の不自由な人」と言ってしまうと、それが明確になってしまう、ということをどこかに書いていた。

少なくとも、私の聞いている幻聴は、これと逆のベクトルで言葉を変換しているように感じる。