bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

現状確認

いろんなことに手を出しているうちに、そもそもの目的を忘れてしまうことがあるかもしれない。

 

食事のことやスピリチュアルなことを始めた目的はなんであったか?

もともとは、自分の生活を立て直したい、という願いがあった。

今、その願いは叶っているだろうか?

 

生活を立て直す、という基準が自分の中で確立していないかもしれない。普通は生計を立てることができる、という意味合いだけど、生計中心に考えると以前と同じ思考回路に落ちいるために、うまくいかないことはなんとなくこの1~2年で悟った。

 

では、何を中心に考えると良いのだろう?

スピリチュアル界隈では好きなことやりたいこと、感情の伴うものをやりましょう、と提案しているものが多いような気がする。御多分に漏れず、自分もそうしようとしたけど、なんかやってるうちにいつの間にかそれをしなくてはならぬ、という半ば修行僧みたいな思考回路になることに気がついた。最初は面白くてもいつの間にか義務感になってしまう。たぶん、通常の社会ではこの義務感に囚われる期間を忍耐で乗り越えていろんなことをマスターしていくのだろう。それがなかなかできない自分に対し、実は自分を否定しているのかもしれないと、感じ始めた。

 

今、すごいへこんでいるのよね。

自分が自主的に取り組み始めた、と思ったものについて、少し他人に話をしたら、なんと、「続くかどうか」とあしらわれてしまったのである。しかも、なんかその人あまり機嫌がよくないように見えて、わたしはどうしたらよいのか途方にくれてしまった。

 

自分軸がない、ということがこういう時に露呈してしまう。

でも、今ここまで入力して、その程度で自分のやっていることを他人の言葉で左右されてしまう自分、というものに対し、どう折り合いをつけていくか、という命題が上がってきてるのかもしれない、と気がついた。

 

今、気がかりなのは、取り組み始めたことに対しての情熱が薄れてしまうことと、話した人との関係性についてである。

 

自分の克服していないところなんだろうな。何回でもこういう場面がめぐってくる。

 

そういえば、子供のころ、飽きっぽい私に、親が似たようなことをよく言ってたことを思いだしたなあ。このあたり、自分の認めていないなにかに絡んでいるのかどうか、ちょっと気にかけておいたほうがいいのかもしれない。

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