bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

わたしの「夢」

今回は、ほぼ幻想とか妄想の域の話になるが、ネット上で文章にしてみることで思考をまとめてみる作業を兼ねて、ここに投稿してみる。

 

 

以前、「夢の中の自分とふだんの自分が一致すれば解釈しなくても夢の意味がわかるのだろうか?」という疑問についての記事を書いた。

bluerose.hatenablog.jp

だが、そもそもなぜ自分の意識が乖離していることについて気にしたのだろうか?

このことをふと思い起こさせる文章をさっき読み、幼少期にさかのぼった。

すると、今思い出せる、人生最初に記憶に残った夢(すなわち、現在の私が人生初の夢を見た、と認識している夢)のことを思いだしたのである。小学校の低学年くらいの時だったと記憶する。

その夢の中身は割愛しよう。問題は初めて夢というものを見た、私のこころの動きである。私はこんなことを感じたのだ。

 

私が今体験したものはなんだったのだろう?

私は今このベッドの中にいる。

けれども、さっきまで私はここではないところにいた。

なぜこんなことが起こるのだろう?

 

もちろん、子供時代なのでこんな風な言葉で思ったわけではないが、思い出せばすぐによみがえってくる感覚で、ふとしたとき、夢と現実の乖離にちょっとした不条理を感じていた。それはどちらかが不満、とかそういうことではなくて、もっぱら一致していない、というところでの不条理感覚である。

 

この後の私の人生では、夢や人の意識について興味をもつような性格になっていくのだが、それはこの夢見のあとの感覚に依るところが大きいかもしれない。

 

まあ、そして現在の私の「夢」なのだが、人からは理解しがたいだろう、と思うことを書くと、夢見の世界と現実世界の一致が起こり、睡眠時の「夢」も、もはや現実と変わることなく、また現実生活もまた「夢」の続きであり、人生の「意識」が乖離することなく、継続していく感覚を身に着ける、というものだ。ああ、すいません、まさに「カルロス・カスタネダ」の世界。

 

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それがどのような形になるのか、それはこれから学んでいくことになるのだろう。