bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

精神病の初発で何が起こったのかようやく理解できた

精神病の急性期発作が初めてあったときに、いろんな妄想があったのだが、その中で

「身体が裏返る感覚」

から

「世界中と自分が繋がってしまった」

という恐ろしいほどの感覚に見舞われ、そこから自分は自分が何か考えると人が死ぬ、という妄想は一番恐ろしくて、ほぼパニック状態になっていた。

 

後からこの「世界中と繋がってしまって、自分はどうしようもなくなった」という感覚が解せなくて、折に触れては考え、バガヴァットギーターに似たようなものがあったとか調べていたのだが。

過去記事:自分の変性意識を検証する(文学幻想精神世界より) - bluerose’s diary

 

ネット上で精神科関係のことをやりとりしている場所があって、そこで引き寄せの法則の話がでた。

で、私は自分の経験からコメントにこういうことを何気なく書き込んだ。

これは、奇妙に聞こえるかもしれませんが、
実は、私が最初に精神病の急性期になったときに、
「体が裏返って、自分の体の中と世界が境界なしに繋がる感覚」
から
「世界中の情報とつながってしまった」
ようなパニック状態になりまして、自分がうかつに動くと(考えると)人が死ぬ、という妄想があったのですよ。

それで、最近注目されるようになった「引き寄せの法則」が
読んでいると、なんか似てるなあ、と思うわけです。

精神病がネガティブの極致に追いやられるというたとえだとしたら、
引き寄せの法則はそれをポジティブに主体的に行う、という感じでしょうか。

私の場合、病気でない時は懐疑主義なので、発作時にはその懐疑主義を打ち壊すような感覚が起こるのだと自分で解釈しています。

だから、今の私は本当に、おっしゃる通り、意志をもって自分をポジティブに信じることなのだと思うのです。

 引用部分はコメントの一部。

 

これを書いてから、なんかもやもや、というよりは何か閃きに近いような感覚がしていて家事をしながらその感覚を追っていたが、突然気がついた。

私は当時人生についてかなり絶望していて、絶望する要因や絶望しかない感情のことばかり考えていた。しかし、そんなことばかり考えているのも建設的ではないので感情を抑えることで知的に現状分析と思い込んでいたのだが、とうとう耐えられなくなって感情を解放しだしたときに、

「それ以上感情を伴った破壊的な考えを続けることは文字通り殺人的行いだ」

という自分の中の何か補償的なものが働き出して、「ものを考えると人が死ぬ」という妄想につながったのではないのだろうか、という気づきである。

 

私は当時自分と世界は取り立てて繋がっているとも思わなかったし、むしろ無関係に世界は存在しているとすら考えていた。だからこそ虚無的な部分がどこかにあった。そして、そういう考えやものの見方は私にとって、実はじわじわと私の存在自体を蝕むような毒だったのだろう。

 

その反動があまりにも大きくて、自分では持ちこたえられなくなって精神科に担ぎ込まれたわけだ。そして一命はとりとめた。

 

破壊的な精神崩壊の影に、生き物としての私が見せた働き。

このことに気がついて、妄想の一つが腑に落ちた。

 

 

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これは、自分一人で考えたり、こうやって一人で文章に書き出してみても気がつかなかったことである。

私は、こうして人とのやりとりで気がつけたこと。

これをありがたいと思った。

 

もっと率直に自分の考えたことや感じたことをシェアするという大切さ。

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