bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

人生の感覚

先日初心者向けの心理カウンセリング講座があったので聞きに行った。そのあとで講師の方に
「理論はわかるんだけど、どうも技法がわからないのは自分の中に人の心を知るのが怖いという恐れがあるのではないかと思った」
と感想を述べると
「人の心に触れるのが怖いのは自分の心に触れるのが怖いから」と返答いただき、あっ、そうなのかと目からうろこだった。
 
その後帰宅して非常に疲れたのでなにもせず眠る。
いつもより遅い未明の就寝だったが、なんと中途覚醒が当たり前だったこの10年以上において、一度も目を覚まさずに7時間ぶっとうしで眠ったのは驚きだった。
 
明け方、昔精神科に繋がる出来事のことを思い出して、トンネルに鍋蓋のような扉で閉じられてる場面が見えた。それから急に地元にある地下道のイメージが見えた。どうやら扉の向こうらしい。
あの地下道は現実的な話をすると、先日初めて通った場所で、極端に人が少なくまるで見知らぬ場所なのだけど、なぜか自分は「過去生を歩いている」感じがした。
 
地上にでると警察署や公園があって、いつも知ってる場所。けれども地下道は知らない場所。にも関わらず、地上であれ地下であれ目的地は一緒なのだ。
 
私の半生は恐ろしくなにもないように見えるけれども、この人通りの極端に少ない、寄る場所もない地下道をただ、黙々と歩いていただけなのかもしれない。
 
高校卒業したころに、やはり黙々と歩く夢を見たことがある。その道はバスが時折通るけど、全体的に荒野で建物もない。
実家の近くは市と市の調整区域で建物がほとんどなかった。あのイメージ。そして、橋の下なのかな?コンクリートでふさがれてるところまできた。しかしそのコンクリートには小さな穴が開いていて、一緒に歩いてきた誰かがそこを抜けようとしているところを私は見ているのだ。
 
両方とも信号や交差点などなく、ただ目的地へと向かう道になっている。
 
現代社会はいろんな理由で社会から隔絶され、あるいは引きこもってなにもないような状態で生活している人が多くなったと問題にしているが、そういう人々はもしかしたら、自分の人生の目的地へ地下道を通っているだけなのかもしれない。