bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

精神病のもとになったかもしれない

今、喘息が以前のようなPF値に戻っておらず、少し低い状態で日常生活を送っている。

ちょっと思うところあってそのような状態にしている。

 

 

思うところ、というのは、この微妙に低いPF値の状態で今まで過ごしたことがなかったな、ということだ。喘息と診断されて治療を開始したときに少しこの状態があったが、断続的な呼吸困難から抜け出して間もなくだったし、向精神薬を服用していたせいもあり、助かった、という思いしかなかった。

 

今はその時とは逆に呼吸しやすかったところからの転落である。この時にどう感じるのか、今それをやっている。

 

それで、気がついたことはといえば、この微妙な状態、ずっと前、精神科に行く前の働いている時代にあったということだ。今も咳があるわけではなくて、ただ少し前の調子よかったころに比べると階段の上り下りや小走りをしたくなくなり(無意識につらい運動避けてる感じ)なんというかそこはかとないイライラ、不安がある。この状態が働いていたころを思い起こさせるのである。

 

もしかしたら、あの頃にPF値を測ったら今と同じくらいの値になってるかもしれない。

 

こういう状態で日常を過ごしているとなんとなく生活がブルーに感じてしまう。楽しみといえば、ほんとに体動かさないでメディアにどっぷりつかっているとか、そんな感じだもの。人としゃべる時すら億劫に感じてしまう。そしてそれは自分の性格のせいではなくて、呼吸が苦しくて息継ぎがしんどいから、ということもあるかもしれないと感じたのである。

 

身体を動かさず、メディアにどっぷりが不健康な精神とはいわないが、感情が鬱屈しがちなのは事実で、ちょっとした不愉快なことも、体力があれば気にならないのに、こういう不調だとなんとなく鬱になったりするのかもしれないなあ、とも感じた。

 

もっとも、うちにこもることが悪いばかりではない。向精神薬から解放されてから自分はかなり外へ外へ出歩いているんだけれども、なんか落ち着きがないといえばなかったな。あまりはしゃぐとまたおかしい人認定されてしまうので自重していたが、なんのことはない、標準治療でドーピングしていたようなものだ。今こうしてひとところにいて、自分は自分の病気についてじっくり考えることができている。そんな中で過去の自分の不調が、精神的なものではなく、外部からのストレスも二の次で、たぶん呼吸しにくくて不安でイライラしていて身の置き所がないような感覚が、精神的な不調も呼び込んだのではないかということを推測できたのである。

 

そしてそれを裏付けるようなブログ記事を見かける。

blog.goo.ne.jp

鼻炎がないがIgE値の高い人は、倦怠感、疲労感、病気の前兆の不快感などを経験しますが、

 

この引用した部分、たぶん働いていたころ、この数値が高かったかもしれない。

 

こう考えると、精神病って体の微妙な不調からストレスをきたして起こるのが多いのではないかと感じる。この身体の微妙な不調というのはなかなかわかりずらそうだ。