bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

発達特性を知ること

先日からとあるマンガを読み始めた。

ジョジョの奇妙な冒険」である。文庫版になっているもので7巻まで読み終わったが、この先を読むかどうか今少し思案中である。

 

内容はものすごく面白いし、実は先を読みたくてうずうずしているのもあるのだが、私がためらっているのはこのマンガを読みだしてから、強烈な画像が時折フラッシュバックしてぎょっとするからなのだった。

 

前にどこかのブログで、映像を非常に鮮明に記憶していてそれが発達障害的なものに結びついていることがある、というような(ちょっと曖昧なところしか覚えていないがそんな趣旨の文章)ものを見たことがあって、自分のフラッシュバックはもしかしたらそれに関係あるのかも、とふと思った。

 

私は映画やテレビをあまりみない。非常に疲れるからだ。マンガも嫌いではないが一時期乱読していた字ばかりの本に比べると読んでいない方である。映画などは音がストレスになってるかな、と思わないでもなかったが、マンガになるとなぜあまり読んでないのかちょっと自分でも不思議なのではあった。

 

だからといって、映像を鮮明に記憶しているような実感はない。

ただ、東日本大震災の時に、津波の画像がたくさん映し出されたことがあったが、あのころ、私はそのたくさんの津波の映像がフラッシュバックして、恐怖というより自分が異様な世界にいる感覚におそわれたものである。

 

もしかすると自分は画像映像に関する過敏性があるのかもしれないな、と思う。

チベット死者の書」に憤怒の神々が異様な姿で目の前に立ち現れるけれどもそれを恐れてはいけない、というくだりが何回も出てくる。

初めて読んだときにこの感覚がすぐわかった。そして、目の前に現れても恐れてはいけないんだな、とは思ったのだが、当時はそれが自分の心の中から現れる心象風景だと思い込んでいたのだ。

 

しかし、今回読んだマンガではっきりした。こういった過激な画像は自分が見たことを忘れていたとしても、どこかでよみがえってストレスになる場合があるのだな、ということ。

 

多分この部分は自分がようやく見つけた発達特性のひとつのように思える。