bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

乖離について

心理学の分野かどうかわからないが、自分と世界が隔絶されて生き生きと感じられない、という状況を「離人症」という言葉で現わすことがある。

 

この「離人症」的心理状態にわたしは今少しなりかかっている。

全部ではない。日常はいつもの日常だ。ただ、私の心の中で特別だった人、この人の写真などを見かけて、凄く遠い見知らぬ人のように感じている。この感じ方は少し前にもあったのだが、その時は現実のことではなく、夢うつつで現れたその人がまるっきり見知らぬ人で自分とは全然かかわりのない人に感じられて、非常に動揺したのだった。

 

そのイメージで受けた隔絶した思いは、数年前に発生した自分の急性期にあった他人との隔絶感とは全く違う。急性期の隔絶感はそこに属していない自分の身分を嘆き悲しむような感じだったのに対し、今回は身分は知っているのに知らない人のように見えてなんか異様な感じ。

 

こういう「離人症」的感覚が訪れる少し前に失うことの恐れが噴出していた。失うっていっても、その特別な人が私と直接かかわっているわけではないのに、いったいどうしたことだろうか?と感じて、それから、その特別な人がこの世からいなくなったりといったような、手の届かないところへいってしまう感覚が恐れと、そこから感じる痛みをシャットアウトするための麻痺なのではないかと考えた。

 

学生時代に似たような感覚になったことがある。その時も自分があまり自覚していないけれども非常に大切ななにかを失ったらどうしよう、という恐れが根底にあった。

 

普通の穏やかな生活の中にちょっとした刺激的な幸福感、これを失うことへの恐れ、これにわたしはかなり弱いのかもしれない。そこで自分を感じなくさせて悲しみや苦しみをごまかしているのかもしれない。

 

わたしの中の乖離についての仮説。