bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

妄想を逆手にとる

幻覚や妄想は現実とかけ離れた解釈を提供してくるのでとても受け入れられないことが多い。逆に自分がその解釈に溺れる場合があって、その場合はその妄想に操られて日常生活がおろそかになり、病気とされるのはこのときのことを指す。

 

精神病患者の自殺の原因はさまざまあるが、私が体験したことでこれは原因の一つになるだろうなあ、と感じるのは妄想によって操られて肉体的に無謀なことをしてしまうこと。それから、妄想によってさんざバカみたいな言動をしてしまったと、あとから気がついて自分の愚かさに絶望してもう修復できないと感じてしまったとき。

 

初発ではその中間みたいな感じで自殺未遂をしてしまったのだが、そのとき気を失ったらしく、気がつけばけがをしてもおかしくない状況でわたしは無傷だった。あの時私はどうしてけがしなかったのだろうとちょっと不思議に思った。

 

時はすぎ、2度目の発作が起こった時の事。苦しい中で夢を見る。それはわたしではないのだがわたしのような男性が昔の自殺未遂現場にいって、結界を張るような行動をしたという夢だ、そしてその夢の中で別の狂った人がいて、わたしのような男はその人はきちんと働いているのになんでここではあんなにおかしなことになっているのだろう、と考え込んでいた。

 

目が覚めてから、これも妄想としか思えないだろうが、わたしの意識は時空を超えて当時の現場へ行き、自分を助けた、と感じた。この考えはそのときだけのものですぐに忘れてしまったのだけれども、さらにひどい幻覚や妄想がやってきたときに、この

「意識が時空を超える」

という考え方が浮かんできて、だからこんなばかげたものを見たり思ったりするんだなと解釈することでなんとか生き延びてきた、という実感だけが今思い出せることだ。

 

こうして意識が今、この現実にあって、ネット上の文章を眺めていると、スピリチュアルな世界では引き寄せの法則とか、意識が現実を創るとかいう言説がよくあって、ひところSFでよくよんだパラレルワールドの概念がこの分野に進出しているのかあ、という感想を持った。

 

精神世界の界隈ではこれを物理的なものにまで適応させようという話になっているが、そもそもパラレルワールドがすでに物理的で無数に宇宙があるとしたら人間の意識そのものが時空を超える装置で、たくさんの「わたし」という物理的存在に「わたしの意識」があちらこちら移動しているだけなのかもしれないのだ。

 

だいたい現実化という言葉がわたしに意識を向けると自分でそれを作ってしまう、という恐れが出てきて、それが実は今まで怖いことのひとつだった。けれどもすでに出来上がっている多数の存在の一つに飛んだだけのことならばそれをただ体験して来ればいいだけのことであって、自分はやはり自分で作り出すという考え方は責任が重すぎてつらいので、出来上がっている世界を飛び回っているだけ、と考える方が気がらくになる。

 

精神病になるのはまわりからの概念を自分がつらくてもそうだと思い込んでしまうためになるのだろうと思う。それでそのつらさから逃れるために自然界がもっとその人にあうような考え方を提出してくるのだと思う。ただしその解釈が今までのやり方だとへんな妄想になってしまう。そこで自分の考え方の改変を迫られるが、それは大抵世の中の一般的なことと外れるのでつらい。しかしその一般的と思い込んでることですら世の中の一部にしかすぎず、わたしがSF的な夢物語と思っていたことが、本気でそう考えてる人々がいる、ということを知り始め、妄想は妄想なのか?という命題を別の観点から考えることにもなったのであった。