bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

時が止まるということ

断薬して、曲がりなりにも社会生活に少しづつ参入しはじめてきている昨今。

新しく活動し始めた部分を振り返ってみてあることに気がついた。

参加している集まりなどの年齢層が、私が精神病として倒れた年齢に近いのである。

 

 

病気に倒れるまえのこと。ある精神科医の本を読んだのだが、その中で、精神分裂病のある男性がずっと同じアーチストの曲ばかり聴いているという話を書いていた。その男性は毎日喫茶店でそのアーチストの曲を聴いて、アルバムもたくさん持っているのだが、精神科医がそのことで話したときに、彼が、そのアーチストでも病気になる前の曲しか聴いていないということに気がついた。そして、病気に倒れる前の鮮やかな時代、そこからずっと時を止めているのだ、なんと哲学的なんだろう、と医者は感嘆していたのである。

 

最初に読んだとき、そんなことがあるのかな、なんて思ったのだけど、自分がこうやって長年凍り付いたような世界から社会復帰を始めての行動がまさしく、その止まった時代から始めるように、当時の年齢層の人々と接する、ということなのだから、不思議なものだ、と思う。

 

 

そういえば、ネガティブには、若くして統合失調症になると子供のままになってしまい、大人のような振る舞いができなくなる、ということを当事者近辺の人や、家族がネットに書き込んでいるのを見たことがあったな。それを見た当時はまだ薬を飲んでいて病院に通っていたから、心ならずも、みんなそんな見方を当事者にしているんだ、とショックを受けた。けれども、それはやっぱり正しい見方で、自分も抜け出してみて初めて分かった。

 

 

人生はさまざまで究極、他人がどうこういう問題ではないが、薬で社会生活を維持しているような方も、もしかしたら自分が先に進めないので、維持しているという状態なのかもしれない。今までの生活を手放すにはかなりの覚悟がいる。しかし、自分の人生を先に進めたいと願ったのなら、精神疾患、というレッテルから抜け出し、時間を勧めなくてはならない。

 

 

まあ、止まった時間から始めるのってかなり勇気がいるんだけど。

いい年して、何何、とかいうのがやっぱり自分の中にあって。

それでも、その部分をやり直さないと、いつまでたってもその部分だけが幼くて不安定なままなのである。