bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

知識で体験を還元することが解決ではない

理解しがたいイメージが出てきたり、妄想が現れたりした場合、それを理解しようといろんなことを私は考えた。

心理学の知識が少しあったので、精神分析や分析心理学などの分野で解説される「象徴」やらなんやらを当てはめて、このイメージはこんなことが現れているのだろうか、などと考えてたりした。

そのやり方は一時的には非常に効果的で、腑に落ちると解決したという実感が得られるのだが、少し時間がたつと

「だからそれがなんなのだ」

という虚しさに変わる。

 

精神科に通院していたころ、このあたりのことがわからなくて、精神分析とか受けてみたいなあとか考えていた。薬よりこっちのほうが効き目ありそうに思えたのだ。

しかし、精神分析などの心理分析も薬とたいして変わらないだろうと今では思う。

他の日常生活の行動の変容を目的にしたセラピーはそこから脱却しているだろうと思うが、概念で捉え知識で自分の妄想やイメージを還元してしまうと、あまり意味がなさそうだ。

 

前の記事で数字の暗合を既存の概念に置き換えることで苦しいところを抜け出した話を書いた。あれとて知識として使っていたらああはうまくいかなかっただろうと思う。私の場合、別のことで緊急に自分の妄想やイメージの制御を求められる状況にあったから、あのスピリチュアルな分野を知識としてではなくて「実践」ツールとして使った経緯がある。

 

自分の体験を知識として落とし込むことは、他人に共有してもらうためのものであって、決して問題の根本的解決にはならないと感じる。