bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

直感と妄想

精神科にお世話になってから、ずっと考えていたのは、直感と妄想とどう違うのだろう、ということだった。同じ変性意識の中で知覚するものだが、直感と言われるものは建設的で、受けた者をきちんと導いていくが、妄想は受けた者を混乱へと陥れる。

そういうことについて書いたものを読んでも、同じ事柄が、(例えば神の声を聴いたということなど)受け手をより現実的なアプローチへと動かしたり、破壊的な言動へと刺激したりするように見えるので、なぜこんな違いが生ずるのだろうと思っていたのだ。

 

30代前半と40代後半の2回起こった変性意識状態を体験して、自分なりの区別が見えてきた。ひとつ、数字の暗合に関する妄想を例にとって説明したい。

 

最初に起こった発作で、ナンバープレートなどの数字が、特定の意味をもつ暗合のように感じられることがあった。主に語呂合わせで、寺山修司が著書の中で「259番地」を「じごく(地獄)番地」と呼んだ、みたいな話をかいていたが、そういう感じのものが数字を見るたびに自動的に発動してしまうのである。しかも、地獄じゃないけど、本当にネガティブな言葉ばっかりなので、まずそれで神経的に参ってしまった。

 

この発作のあと療養しながら、わたしはスピリチュアルな話を少しづつ読むようになるが、数に関する知識で、数霊や、エンジェルナンバーとか数秘とかそういうものになじんでゆく。この知識が2回目の変性意識で大きく役に立った。

 

2度目もやはり数字に関する暗合が出てくる。しかし、今回その暗合は語呂合わせではなくて、知識で学んだ数字の意味や、人の誕生日、という形で知覚するようになり、意味不明な語呂合わせが一掃されていた。しかもそれらの知識は数字の形自体が秩序をもっていて、連続する数や、自分にとって意味のある誕生日など以外の数字は軽く無視できるようになっていた。なので、当たってるかどうかはさておき、そういえばあの人はどうしてるかな、とか、この連続する数字はどんな意味だっけ、というような導きを感じることができるようになったのである。

 

この体験を通じて、たとえ妄想でカオスに見えるようなものでも、それについて知識を得ることで、自らの助けになることがわかった。混乱するのはそれがなんなのかわからないか、あるいは原始的な形で噴出するのでこちらが収拾つかなくなるからである。

妄想を制御するには、たぶんそれに類する学問を見つけて知識を身に着けるとか、体験から自分なりの法則を見つけるなど、訓練が必要なのだろう。