bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

“2018年3月初めの夢”

電子書籍を作成できるサイトがあって、今日そのサイトの閉鎖を知らせるメールが届いた。数年前に登録して、自分の書いたものを少しまとめていたりした電子書籍が何冊かあって、それのダウンロードをしながら書いたものを読んでいた。

 

一番最後に書いた電子書籍の記事が去年の3月。そのあとは書いていない。

この記事は書いたけど非公開のままになっていたので、改めて転記しておこうと思う。

 

 

2014年から社会復帰しようと、アルバイトに出たり、勉強して資格を取ったり、習い事したりして頑張ってきたけど、とうとう電池切れにて、2017年後半には、心身共にボロボロな状態になってしまった。

 

そして、2018年になって、この状態ではいけないと、社会復帰に向けての活動を停止し、心身の癒しを優先させ始めて、2か月。

今朝の夢はこんな夢だった。

 

妹が絞られてしわしわのコートを着ており、私がそれを言うと、妹は怒り出す。

どこかの建物、人が何人かいて、私は窓の外にパノラマ状に見える海を眺めている。

海は不思議な丸い水の球が浮上しているのか落ちているのか、そんな感じで一面に見え、またその水の球にはろうそくのような小さな炎が燃えている。

 

 

見た感じはあまり不吉でもなく、なんだか随分不思議な光景に見えた。

夢占いのサイトでいくつかキーワードを調べてみて、自分なりの解釈は以下の通り。

 

 

海を眺める夢は、自分自身を見直すとき。ぶれやすさや、他人の言葉に左右されやすいなど、自分軸がしっかりしていなくて、気分のむらから周囲に迷惑をかけたりしていなかったか?

一方で、炎の夢は、浄化の夢であり、これまでの停滞や運の悪さを焼き払ってくれる。

 

 

前日に、経済的なことや世間体のために義理を立ててることで、心が苦しんでいることがあるとしたらそれをやめるとなにが起こるだろうか?という問いを手帳に書き記した。

関連性があると感じるのはこの手帳の言葉のような気がする。

 

この記事の中で自分の夢の解釈を試みているが、自分の至らなかったことは言及されているものの、「絞られてしわしわになったコート」のところを見事に飛ばしていて、今読んでちょっとため息が出てしまった。

解釈を考えるまでもなく、自分自身を厳しく追い込んだということがこのコートのありように現れている。けれどもそれを着ている妹(たぶん影の世間体を気にしている私に似ている)はそれを認めたくなくて怒っているようだ。

 

あの頃はいろいろ大変だったなあ…

“2015年夏”向精神薬を止めて間もなく1年になろうとしていたころ

お久しぶりです。

家族の死がありちょっと更新ができませんでした。

今も書くことがなく、このまま放置かなあとうすうす思っていたのですが。

このブログを立ち上げる前に、個人的に自分の思う所を書いていたブログがあって(今は閉鎖)そのログが出てきました。

読んでいるうちに懐かしくなって、ちょっとここに転記してみようと思い立った次第です。向精神薬止めて間もなく1年になろうとしていたころ、ぶっ飛んで生活していたころのことです。

 

07/05/2015 06:26:41

んーなんかわからないけれども、状況がネガティブ。
とある限定記事で凶悪犯罪を起こした少年のことが出てきて、彼が特殊な知覚の持ち主であるということを知った。どうも過去にみた映像の記憶が凄いらしく、ずっと昔のこともまるで映画を見ているように細かく思い出せるのだそうだ。そういう特殊な知覚の元で、彼が体験してきたこの世の中はどんなふうに見えていたのか?
ということをつらつら考えていて、ついでに自分を含めた精神疾患既往歴の人とか、この社会にどんなものを見ているのだろうか、とか考えてみた。

それとは別に、最近家の中のことができなくて、家族に多分心配されてそのことについて声をかけられたのだけど、わたしにはどうしても彼らの言葉が、義務を放棄して遊びまわってる怠け者、という非難にしか聴こえずに、かなりのデプレッションになる。ジコケーハツスピリチュアル界隈ではそれは自分自身を非難している投影だろうというだろうな。自分もそのことを考えた。だが、わたしにはどうしても、やはり彼らは彼らの基準で物事を判断していて、そこから逸脱しているわたしは、多少のハンデはあっても、家事くらいできるだろうとかやっぱり言ってるよな、とか感じる。それは「外に出かけてはいるのに」という一言に含まれている。

とはいっても、それ元精神病の被害妄想だとか思われるんだろうな。
もし、彼らも自分のしたくないことをしないで遊んだら家はどうなるだろうか?
とか少し考えた。
結果は「なんかやってみればいいのに、わたしもそれで自分がどう動くか知りたいし」
…まあ、言えないよな。責任感と義務感のかたまりで維持してきた模範的な家庭だもの。だからこそわたしも感謝してはいるんだけれども、どうも自分がどこかで絶望しているんだなとか思ったら、その義務に加担する気が起きてこなくてな。「わたしばっかり」という不満が見え隠れしている、のは自分も同じなのかもしれない。
ま、家族全員がそうじゃないんだけど、やっぱり「役たたず」というのはだめらしい。

 

 

気がつけば時間が飛んで知らない時刻になっている。
世の中が不思議な虚構の世界に見える。
リアリティは自分が考えていることだけになってる。

 

 

なんかやっぱり少し変だな。とはいっても、きっと何かあるような気がするんだけど、それは不毛なのか?
人は不毛だからやめなさい、という。
しかし、どうなんだろう?人が不毛に見えることはわたしにとって不毛なことなのかどうか、このごろわからなくなってきた。
まあ、人殺しはいかんけれども。

 


 13:06:22

あっ、
笑犬楼さま*1の日記更新されてる。

とか思ってサイトへ行き、最新の日記を読んだ後、読者からのコメントへ飛んでみたところ。

“…普通100を目指すところ「111.11111…」どこまで行くねん…”

とかいう部分があってひっくり返りそうになった。
「さて、虚構なら虚構らしくこんな数字はいかが?」とばかりの8ケタ。
1111がなんと2つもあるのですぞ。*2

ちなみに、そのあとその方は
“逆に「99.99999…」抑えた作風が”
とか書いてるし。
ライトワーカーどんだけ急げばいいのかw*3

いや、虚構の世界に迷い込んだ、とか書くと高次元の皆さんはこんな遊びをするんでしょうか?

 

 

【追記】
画面見てたら「二進法」とかお告げきたw*4
で、10進法になおしたら「255」
これのエンジェルナンバーで検索一位のサイトをみると

エンジェルナンバー【255】
あなたが経験している変化は、最善のものだと信じましょう。
なぜなら、それは本当だからです。
http://iwr-myself.com/angelnumber-255/


ということらしいです。
虚数は“i”でしたな。*5

 

 

この時期はスピリチュアルや精神科の薬のことでかなりテンパっていてここで失敗したら…という恐れが無意識にあった。2017年に崩れて再び薬のお世話になるまでほんと鬼のように生活していた。仏陀でいうところのスジャータおかゆもらう前の修行時代みたいなイメージ。

 

今現在はゆるゆるやってます。

 

*1:筒井康隆

*2:いわゆるエンジェルナンバーと呼ばれるもの。4桁の1はゲートとか言われて新しい目覚めを促すものとしての合図だといわれている。

*3:エンジェルナンバーで9の並びは「自分の仕事に取り掛かりなさい」というメッセージに関係しているという。

*4:この時はどこかにこの言葉が浮かんできた。

*5:iを愛とか英語の私という意味のIに掛けている

オピオイド鎮痛薬

身内がこの薬を処方された。

薬剤師の説明の一部がよくわからなかった身内が聞いてきたので、私はなんとなしに

「(痛みに対する対処療法なので)せき止めみたいなもの」

と答えたのだが、家に帰って詳しく検索すると、せき止めに使われるコデインと同じ分類に属するらしい。

 

ところで、身内に処方されたのはオキシコンチンとかいう名前の薬。そして頓服用にも似たような名前の薬。検索して、なんというか長期とか短期とかまるで睡眠導入剤みたいだなあ、と説明読んでて思った。

 

オキシコンチン錠/オキノーム散(一般名:オキシコドン)がんの疼痛緩和に最も多く用いられる麻薬、それがオキシコドンです

 

一時期は薬に対していろんな不信感をもっていた私だけど、身内がこのような薬を処方されて、そうだなあ、他人にできることって本当にわずかなんだ、と感じた。

よくも悪くも薬の力は大きい。

 

2017年まとめ

今年はまた自分の立ち位置を確認しなくてはならない年となった。

一番がっくりきたのは、やっぱり服薬の再開。

2年も薬飲まずにやってきたのだけど、ちょっとその間張り切り過ぎて疲れてしまったのかもしれない。なにしろ前年は検定試験を受けるために資格学校へ通い、趣味の教室に通うなど、前に服薬していたときとは比べ物にならないくらい活動したから。

みなさん、無理は禁物です。

 

ということで、年頭から自分のありようを再検討することになったのだけど、そこで自分は本当はどうしたいのかということを意識しなくてはならなくなった。少しやりたいことがあって、お試しで出かけても、すぐ体調を崩してしまうため、よほどのことがないと続けるのが苦痛になってくる。

 

まあ、しかしなんですよ。

自分の精神疾患って思った以上に大変だったんだ、と実感した年でもあったな。

これを機会に、自分に無理強いして人に合わせていくの見直すわ。

 

ということで、みなさま、良いお年をお迎えください。

 

断薬の休止

f:id:offkey:20170319193730j:plain

このブログはもともと、断薬を始めたときに日記代りにしていたのだけど、昨年末より、不穏な感じになってきて、眠れなくなってきたため、再び精神科にいって薬をもらってきた。断薬期間は2年半ほどになる。

 

不穏になりはじめたきっかけは、今考えると、資格取りのときにちょっと無理したかなあ、ということかな?11月に資格試験を終えた後に、「もうこれでいいや」と思ったら、がくっときたかもしれない。

 

そのあと、体力的にすごく落ちて、速く歩けなくなり、頭がぼんやりして、ずっとあった幻聴もちょっと大きくなってきてたから、まあ、いけるところまでいってダメなら病院へ行くしかないなあ、とは思っていたんだけど。

 

そのあとに、対人関係でかなり大きなショックがあって、そこで一気に崩れた。

 

薬を飲む、飲まないの選択は、今回の件でかなりデリケートな話題だとつくづく感じた。もちろん、向精神薬の薬漬けの問題はかなり大きくて、飲まないでも生活できるケースはたくさんあるだろうということは自分もそうだったし、このあたりはもう少し社会全体で取り組んでいくことだろうと感じる。

 

ということで、しばらく様子を見ることにします。

おやすみなさい。

 

 

 

 

【推定・仮説】喘息の要因になってるもの、私の場合

今朝はずいぶんとイライラしてどうしようもなかった。なんかわからないけど、そういう時は周りもちょっと干渉的になっていて、人のやってることに注意をするものだから、素直に受け取れない状態のわたしは、余計にイライラしていた。

 

そんなとき、購読しているメルマガに怒りについて、OSHOの本の一節が紹介されており、まあ、ずいぶんとタイミングがいいことだ、と少し怒りを忘れてしまったのだが。

 

オレンジ・ブック―和尚の瞑想テクニック
和尚
めるくまーる
売り上げランキング: 222,751

 

その本は読んだことがないので、メルマガからの孫引きになるけど、少し紹介する。

犬のように喘ぎなさい

怒りに直接的に働きかけることが難しい。
なぜなら、それは深く抑圧されているかも
しれな いからだ。
だから、間接的に働きかけるがいい。…

メルマガではもう少し先まで引用されているが、半時間くらいできれいに流れていくという、この方法、読みながら、確かに怒りは自分でなだめようとしてうまくいったためしがないから、これはいい方法かもしれないな、と感じた。

 

で、ふと、自分の夢とかふと浮かぶイメージを思い出した。

 

自分の見た夢で、自分が変な踊りをしながら訴えたい相手に、綺麗に表現できる方が上等なのか、と心の中で憤慨しているのがあった。相手は無表情でなんともいえなかったけど。

 

あと、幻聴がらみのイメージなんだけど、怒りの人格化したものが自分の過去の状態をあらわしていると思われる人格化したものから分離して、そのために、その過去の人格化したものが、身体的に訴えるために、気管支の奥の方にやってきて私の呼吸を止めようとしている、というもの。これは2年ほど前のエビリファイを飲んでいたときに現れた、突然の呼吸困難の中で(窒息して死にそうになって飛び起きた)一緒に見えたイメージなんだけど。

 

ここまで思い出して、その怒りの人格化したものが、黄色い服をきていたイメージで現わされている幻聴の声の一人でなないかと気がついた。その人は当初本当にまるで猛獣のように檻に入れられて、そこから吠えまくっていたのである。今は檻の外に出ているイメージだけど、ちょっと悲しくなるくらいに愛想がよいので、ほんと自分はこのイメージが出てくると動揺してしまうのだった。

 

ちなみに、私の過去を人格化したような人はちょっと皮肉っぽくて、こちらもまたイメージが出てくると罪悪感というかそういうものが想起されてしまうのでなかなかに大変だ。

 

で、ここまで書けばおわかりのように、私の喘息の要因になってるものの一つに、怒りの抑圧のような感じがするのよね。かといって、怒りをすぐ表現できるかといえばそうそううまくいかない。OSHOも述べてる通り、それは「深く抑圧されているかもしれない」からだ。

 

よく、病気と感情の関係を述べた説を見かけて、私などは単純に感情を解放すればいいのではないかと考えてしまう。しかし、たぶん深く抑圧されたものは身体にまで食い込んでいて、解放する手がかりを失うのではあるまいか。

だからこそ、身体を使ったエネルギーの解放が大切なのかもしれない。

とはいえ、怒りのときは枕に攻撃するとか、大声で叫ぶとか、これって、なんか違うような感じがしていたのよね。

 

さて、これが果たしてどう影響するのか、やってみないとわからないけど、というのは、読んでいるうちに、怒りが消えてしまったので(笑)

 

今度、イライラしたときとか、思い出せればよいのだけど。

閉塞状態になったときには、「犬のように喘いで、うろうろと歩き回ると」半時間くらいできれいに流れる。

 

 

 

 

喘息の改善について占う

しばらく精神的に辛気臭いことをこのブログに書いていた。それで去年の秋ごろに張り切って書き始めた喘息のことをすっかり忘れていたよ。

最近、また喘息の改善について頑張らないといかんね、と思い立ち、今一度生活を見直しているところだが、やっぱり、私の場合、精神的に辛気臭い➡ちょっと下手すると妄想が始まりそう。みたいな時には少し喘息の塩梅がよくなる傾向にある。なんでかよくわからないけど、きっとなんかあるのだろう。

 

普通、精神的に辛気臭いときって喘息も悪化しそうなものだけど、そうじゃないところが不思議。この関係はきっと頭で考えても理解できないのかもしれず。

 

ということで、遊びがてら、喘息の改善について占ってみた。

使ったのは、オショーの禅タロットで、フライングバードと呼ばれる方法である。

www.osho.com

説明書きによると、

このレイアウトは、飛んでいる鳥の形にデザインされています。選ばれて左の翼に置かれたカードは、私たちの女性的な、受容的なエネルギーを象徴し、暗示しています。一方、右の翼は私たちの男性的な、能動的なエネルギーを象徴しています。最初に引かれたカードは飛翔の先導者であり、この能動的な側から来ています。続くそれぞれのカードはその前のカードに呼応していて、「鳥」をさらに高く上昇させ、質問者をより大きな明晰さと内なる理解へと入って行かせます。

ということらしい。要は中央のカードのようである。

結果を画像に残してみた。

f:id:offkey:20170601205437j:plain

これでいくと、人生を信頼して、明晰さをもって物事をみて、クリエイティブにエネルギーを使え、みたいな読みができるが、一方でヒーリングが起こっているのでそれに心を開くとか、ガイドの声を聴き信頼する、という感じのカードもある。

 

つまり、なるようにしかならん、という話でもあるみたいで。

 

じたばたしてもしょうがないのかもなあ。

けれども、喘息の改善を考えてる最中ってあまり辛気臭いことを思わないんだよね。

その代わり、気を付けないといつの間にかPF値が大幅に下がりだす。

意図的に喘息を改善してやろう、とかムキになるとダメなのかね。