bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

【推定・仮説】喘息の要因になってるもの、私の場合

今朝はずいぶんとイライラしてどうしようもなかった。なんかわからないけど、そういう時は周りもちょっと干渉的になっていて、人のやってることに注意をするものだから、素直に受け取れない状態のわたしは、余計にイライラしていた。

 

そんなとき、購読しているメルマガに怒りについて、OSHOの本の一節が紹介されており、まあ、ずいぶんとタイミングがいいことだ、と少し怒りを忘れてしまったのだが。

 

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その本は読んだことがないので、メルマガからの孫引きになるけど、少し紹介する。

犬のように喘ぎなさい

怒りに直接的に働きかけることが難しい。
なぜなら、それは深く抑圧されているかも
しれな いからだ。
だから、間接的に働きかけるがいい。…

メルマガではもう少し先まで引用されているが、半時間くらいできれいに流れていくという、この方法、読みながら、確かに怒りは自分でなだめようとしてうまくいったためしがないから、これはいい方法かもしれないな、と感じた。

 

で、ふと、自分の夢とかふと浮かぶイメージを思い出した。

 

自分の見た夢で、自分が変な踊りをしながら訴えたい相手に、綺麗に表現できる方が上等なのか、と心の中で憤慨しているのがあった。相手は無表情でなんともいえなかったけど。

 

あと、幻聴がらみのイメージなんだけど、怒りの人格化したものが自分の過去の状態をあらわしていると思われる人格化したものから分離して、そのために、その過去の人格化したものが、身体的に訴えるために、気管支の奥の方にやってきて私の呼吸を止めようとしている、というもの。これは2年ほど前のエビリファイを飲んでいたときに現れた、突然の呼吸困難の中で(窒息して死にそうになって飛び起きた)一緒に見えたイメージなんだけど。

 

ここまで思い出して、その怒りの人格化したものが、黄色い服をきていたイメージで現わされている幻聴の声の一人でなないかと気がついた。その人は当初本当にまるで猛獣のように檻に入れられて、そこから吠えまくっていたのである。今は檻の外に出ているイメージだけど、ちょっと悲しくなるくらいに愛想がよいので、ほんと自分はこのイメージが出てくると動揺してしまうのだった。

 

ちなみに、私の過去を人格化したような人はちょっと皮肉っぽくて、こちらもまたイメージが出てくると罪悪感というかそういうものが想起されてしまうのでなかなかに大変だ。

 

で、ここまで書けばおわかりのように、私の喘息の要因になってるものの一つに、怒りの抑圧のような感じがするのよね。かといって、怒りをすぐ表現できるかといえばそうそううまくいかない。OSHOも述べてる通り、それは「深く抑圧されているかもしれない」からだ。

 

よく、病気と感情の関係を述べた説を見かけて、私などは単純に感情を解放すればいいのではないかと考えてしまう。しかし、たぶん深く抑圧されたものは身体にまで食い込んでいて、解放する手がかりを失うのではあるまいか。

だからこそ、身体を使ったエネルギーの解放が大切なのかもしれない。

とはいえ、怒りのときは枕に攻撃するとか、大声で叫ぶとか、これって、なんか違うような感じがしていたのよね。

 

さて、これが果たしてどう影響するのか、やってみないとわからないけど、というのは、読んでいるうちに、怒りが消えてしまったので(笑)

 

今度、イライラしたときとか、思い出せればよいのだけど。

閉塞状態になったときには、「犬のように喘いで、うろうろと歩き回ると」半時間くらいできれいに流れる。

 

 

 

 

喘息の改善について占う

しばらく精神的に辛気臭いことをこのブログに書いていた。それで去年の秋ごろに張り切って書き始めた喘息のことをすっかり忘れていたよ。

最近、また喘息の改善について頑張らないといかんね、と思い立ち、今一度生活を見直しているところだが、やっぱり、私の場合、精神的に辛気臭い➡ちょっと下手すると妄想が始まりそう。みたいな時には少し喘息の塩梅がよくなる傾向にある。なんでかよくわからないけど、きっとなんかあるのだろう。

 

普通、精神的に辛気臭いときって喘息も悪化しそうなものだけど、そうじゃないところが不思議。この関係はきっと頭で考えても理解できないのかもしれず。

 

ということで、遊びがてら、喘息の改善について占ってみた。

使ったのは、オショーの禅タロットで、フライングバードと呼ばれる方法である。

www.osho.com

説明書きによると、

このレイアウトは、飛んでいる鳥の形にデザインされています。選ばれて左の翼に置かれたカードは、私たちの女性的な、受容的なエネルギーを象徴し、暗示しています。一方、右の翼は私たちの男性的な、能動的なエネルギーを象徴しています。最初に引かれたカードは飛翔の先導者であり、この能動的な側から来ています。続くそれぞれのカードはその前のカードに呼応していて、「鳥」をさらに高く上昇させ、質問者をより大きな明晰さと内なる理解へと入って行かせます。

ということらしい。要は中央のカードのようである。

結果を画像に残してみた。

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これでいくと、人生を信頼して、明晰さをもって物事をみて、クリエイティブにエネルギーを使え、みたいな読みができるが、一方でヒーリングが起こっているのでそれに心を開くとか、ガイドの声を聴き信頼する、という感じのカードもある。

 

つまり、なるようにしかならん、という話でもあるみたいで。

 

じたばたしてもしょうがないのかもなあ。

けれども、喘息の改善を考えてる最中ってあまり辛気臭いことを思わないんだよね。

その代わり、気を付けないといつの間にかPF値が大幅に下がりだす。

意図的に喘息を改善してやろう、とかムキになるとダメなのかね。

 

 

 

 

今朝の夢

最近、あまり夢見がよくない。よくない、という意味は、夢の中の感情がつらいものが多いということで、日常生活で吐き出されない感情が夢の中を通じて解放されるとか浄化されている、という感じなのかもしれない。

 

今朝の夢もまたそんな夢だった。

 

昔の家と今の家を混ぜたような自分の部屋に知人がいて、紙に何かやっている。私の部屋はカレンダーのような紙が大量に散らかっていて、知人はその紙に何かやっているのだ。

そのうち、部屋に母がいつの間にかいて、母はどこぞの芸能人からのプレゼントに応募したところ、当選して、その贈り物が私の部屋に運ばれてきたのである。

その贈り物が部屋いっぱいの大きさのキャンバスに描かれた絵なのだが、こちらからはどんな絵なのか見えない。私は母がそういう懸賞に応募していたことをまるで知らなかったが、部屋にいる知人がなぜか知っていて、私は少しショックを受けている。

また、部屋は散らかっていて、自分は知人にその部屋を見られていることが恥ずかしいと思う。

また、当選して送られてきたものが絵だということで、なにか自分が身にならないものばかりを追いかけているような気分(絵に描いた餅)になってうつろな気分で目が覚めた。

 

ここ1~2年自分なりにいろんなことをしながら生活を立て直したいと思っていたのだが、どうもうまくいってない、たぶんそんな気分をずっとごまかしていたのかもしれないなあ、と思う。

 

で、私は以前人に、「どんな風に感じますか?と聞いたときに、○○だと思う、という答え方をしている」と指摘されたことがある。

自分の気持ちを自分の考えたことと勘違いしているのかもしれない。

この夢で感じたことと質問してみると

「バカみたいに夢ばかりでかい」

という感じがする。それは自分でみると批判的な感じになるのだけど、たぶん誰かの意見をうのみにしているのに、自分ではそれに気が付いていなかった、という感じかもしれない。だから夢の中でそのことに気が付きなさい、というメッセージなのかもしれず。

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Remember me to bluerose

日常生活で何気なくしていることに、ある時ふと小さな嫌悪感を感じることがある。その気分はすぐに消えるのだけど、まるで自分の好きな習慣を好きな人に批判されたような気分なので、もしかしたらその好きな人のことと関係あるのかもしれない。

 

小さな嫌悪感を感じるとまるでエネルギーを奪われたように気力が失われてしまうように感じる。

ここで思い浮かぶのは、好きな人に自分が行ったつれない仕打ちを思い出して。ということなのか、いうことなのだけど…。

 

本当は

「好きな人に自分を合わせてしまったとき、なくした自分を思い出して」

ということなのかもしれない。

 

コレステロールって2週間で28も下がるものなの?

今年の1月に血液検査を2回行った。なぜかというと、当初喘息で通ってる病院で食事を変えたことによって、なにか変わったことがあったかどうか、血液検査をしようと予約していた。ところが、年末に精神的な不調でそれが体にまで及んだものだから、喘息の病院での検査日が来る前に、精神科を受診して自分で甲状腺についての血液検査を依頼したからなのだった。

 

具体的には、精神科での血液検査の2週間後に喘息の病院で予約していた血液検査を行った。

 

精神科のほうの結果は検査から2週間後に聞いて、まあなんでもないです、という話だったのでひとまず安心した。その時にコレステロール値が以前検査(この時より2年ほど前に喘息の病院で検査したもの)より下がっていて、

「おお、食事療法が効いてるかな」

とうれしく思ったのを覚えている。ずっとコレステロール値が基準より若干オーバーしていて、2年ほど前の検査でようやく基準値の範囲内に収まったからなのであった。

ちなみに、2年前は216mg/dL 精神科で測ったのは206mg/dLであった。

 

さて、現在喘息の病院へは2か月に1度なので、1月の検査結果を先日聞いたばかりである。

この時のコレステロール値がなんと、178mg/dLだったのである。結果を聞いたとき、ずいぶん下がったな、という印象だったが、精神科の数値を覚えていなかったので、どういうことが考えられるか、お医者さんに聞くことができなかった。

 

ほぼ2週間で28も下がったことになるのだが、これはよくあることなのか、それとも急激な何かが起こったのか、わからず、検索してみたのだが、どうもうまく探し当てることができなかった。

 

体重は毎日測っておらず、この時もどこかで1回測って「やせたな」という印象はあったのだが、よくわからない。

 

食事日記はつけていたので、見ると、2週間の間で変わったことといえば、血液検査の前には昼食に、シリアルを多用していたが、2回目を行う間の2週間は昼食にも玄米を食べていた。大きいところはそのくらいだが、ただ、ストレスで、この2週間に今まで自重してきたチョコレートをドカ食い。このチョコレートだが、高カカオと謳われているものである。ネットではHDLコレステロールを増やす、とかあるけど、これも関係あるのかどうか。

 

もし、この高カカオチョコが効いているとしたら、まあ、続けていくのもよいのかもしれないが、ほどなく、このチョコレートがまた中毒的になってきたので、辞めた。

 

だが、甘いものを食べてしまう癖がここでついてしまい、最近、ずっとかりんとうやら芋けんぴなどを食べてしまっている。体重はそれほど変わらないが、3月に入ってから、PF値が下がってきて、薬を少し増やしてしまっているので、病院帰りにとぼとぼ歩きながら、

「あ~やっぱり甘いもの辞めないといかんね」

とぼんやり思った。

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今回も画像はイメージですw

 

 

とか、思ってるのに…

今日も家族の買ってきたチーズケーキを食べてしまったな。(´・ω・`)

 

19にまつわる話

今日は3月19日。

特になにか期するところがある日付ではなかった。

 

先ほど、ここには載せてない自分の娯楽ブログで、健康について書かれた他の人のブログ記事をリンクしたのをメモ書きとして記事をアップしたら、

3月19日の19時19分という日付になっていた。

ここで、おおっ!

と思った私は、にわかになんか19に意味でもあるんだろうかと思った。そんなことを思いつつ、タロットを引くと、これが太陽さんのカードで数字では19である。むむ?と思いつつ、欲しいものを今買うべきか後でもいいか、易を立てると、これがまた19番目の卦という。

 

どっひゃ~と思って、取りあえず買い物は即座に注文したが。

 

そういえば、先月の2月24日には、なんかしらん、24にまつわる数字をよく見かけた。

と思い出して、今このブログの記事を調べたら、その日はインナーチャイルドの願いという記事を書いているんだなあ。何かしてほしい事あるのかもしれない。

 

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道化と龍の耳

 

この間、初めての場所へ行った。

どうしようかちょっと迷っていたのだけど、この際だから行ってみようと思ったのだ。

でも、なんとなく落ち着かなくて、当日易なんぞを立ててみたら、また困難の卦が出たりして、やらなきゃよかった、とかへこんだり。

 

そう思いつつも出かけて、用心したおかげか、ちょっとした失敗はあったもののなんとか無事終わった。そのあと帰り道でその場所で一緒だった人と少し話をしたのだが、この方と話をしているときに、自分の道化性というかそういうものを自覚して、帰ってきてから、なぜか

「まあ、今この道化をやりたいんだろうから飽きるまでやるがいいさ」

と思った。

 

そこで、初めて私は、少なくとも人と人との関係性においては自分の本質などと思っているものはその持っている特性の一部にすぎず、これを人によって使い分けているだけなんだな、と気がついた。

そして、人の本質というのは、「無」というものそのものではないかと思った。(空とか虚という言い方も当てはまる)

 

なぜそんなことがすらすらと思い浮かんできたのか?

 

思いつくのは自分がずっとここ数年聞き続けているラジオ番組のような「幻聴たち」の声である。

この声はもしかすると多重人格の一つの表現なのではないか、そして、分離された「わたし」の意識や性格のうち自覚したものが「道化」みたいだなと思った。そしてそれは私自身というには少し他人事のように思えたのである。

 

この幻聴たちは声も老若男女が入交じり、さらに同じ声の持ち主が幼くなったり、オクターブを変えて裏声になったりと、なんだか一見(一聴?)カオスのようでわけがわからなかったのだ。

けれども、ずっと聞かされていくうちに虹のように秩序だった部分が見えてきて、そこに現実の人との出会いで、それが何を意味するかわかったのである。そして、「彼ら」が虹だとすると、聞いている私はプリズムで分離されていない「光」そのものではないだろうか?と感じた。それが上記の人格についての解釈へと繋がっていったように思えるのである。

 

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(拾った画像。こんな感じじゃないけど、なんか笑ったので貼り付けてみた…3/19追記)

 

 

実は、このことがある数日前に、耳をマッサージしていると、ふいに、聞こえない方の耳(この耳は幻聴が聞こえる耳でもあるのだ)たぶに真珠のような光の珠がイメージされた。

以前、初めて幻聴が現れたときには耳の上にまるで耳かけ式の補聴器のように黒い箱がイメージされたが、もうそのようなものはなくなっていた。

 

耳が聞こえないことを漢字で「聾」と書く。

筒井康隆さんがどこかで書いていたがこの字は「龍の耳」と書く。

そして、その時は私を触発してくれた方と龍の話を少しだけしたのであった。

 

ところで、道化のことだが、どうやらこの性格は「インナーチャイルド」にも関係しているらしく、自分はこの部分を出したいのだけど、過去にこれをやっていつも最後に傷ついていたかもしれない、と思った。そして傷つけているのは他人ではなく、その振る舞いを心のどこかで苦々しく思っている私なのであった。

 

 

ただ、これがわかったからといって、にわかに生活が変わるわけでもないけど、まあ、無理しないでいこうと思います。

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