bluerose’s diary

基礎疾患視点を中心に日々感じたこと

【私的】喘息のまとめ

喘息克服のための体質改善をいろいろ試み始めて、まだ数か月だが、ここで一度自分の喘息について体感したことと、自分の持っている知識の整理をしておこう。

(あくまでも私個人の体調の話で他の方にあてはまるかどうかはわかりません)

 

1.喘息のメカニズム

喘息が起こるのは気道に慢性的な炎症が起こっていることと、もう一つ気道自身が自律神経の不調で収縮してしまうことの2点が考えられる。前者は炎症を起こすしくみがあってこれが暴走する。自己免疫疾患といわれるゆえんだ。そこで免疫を抑制すること(ステロイド)と炎症物質を抑えること(抗アレルギー薬)が使われることになる。

 

喘息が炎症によるものだけならばこの二つの薬でよくなるはずだが、実際はステロイドが効かない人もいる。

昔からの喘息の薬としては気管支拡張剤がよく使われていた。これは自律神経に働きかけるものだ。喘息になりやすい人は副交感神経が優位だといわれる。副交感神経は気道を収縮させてしまうので、薬で気道の筋肉を緩めて広げようというのがこれらの薬だ。テオフィリン系の薬はカフェインに似ているし、発作止めと言われる吸入薬、吸入ステロイドと一緒に使われる長期型気管支拡張剤は、交感神経の気管支に関係あるところだけに働きかけるような成分が使われている。

 

以上のことは前から知識として持ってはいたが、今回、この数か月で喘息は2つの要因が複雑に交錯しているものだから、単純に薬を止めて我慢すればいいというものでもないらしいことに気が付く。もちろん、そうやって克服したひともいるであろうが、その方はもしかすると自分とはタイプが違う場合もあるかもしれない。

 

そう考えると、喘息ってボディとメンタル両方の不調和によって引き起こされていることがはっきりみえる病気ではある。

 

この間も、朝起きたときにPF値がぎりぎり危ないところまで下がっていて

「自分の頑張りはなんだったんんだ…」

と絶望したのだけど、そのあと集中して行う趣味の作業が入ってそれに熱中していると、夜のPF値はいつもと同じ体質改善生活なのに絶望の淵から浮かび上がるように100くらい上昇していたので、まあ、なんだかな、とか思ったわけです(笑)

 

2.どの薬を優先させるか?

そこまで考えがまとまっていたわけではなかったけれども、減薬するときに3種類の薬、ステロイド、抗アレルギー薬、気管支拡張剤のどれを優先させるかは結構自分の思い込みが激しかったことに気が付いた。

標準治療では抗アレルギー剤、気管支拡張剤と外していき、吸入ステロイドは最後の最後まで残すことになっている。今のようになる前は抗アレルギー剤と吸入ステロイド2本立てで、気管支拡張剤は使ってなかった。それが、今回のように低迷して、この機会に発想を転換してステロイドはずしを行ったらどうなるか、やってみたのだが、やはりステロイドにはかなわん。

抗アレルギー剤が効いているのもステロイドあってのことで単独のシングレアの弱いこと。これなら単独で気管支拡張剤を使っている方が短期的にはよい。

しかし、昔の気管支拡張剤オンリーの時代、喘息死が多かったのも事実だ。なぜかというとやたらに交感神経を刺激するから、身体の反応がおかしくなって、薬が効かなくなって発作が止められなくなることや、あと心臓への負担がかなりあるのだ。

喘息に身体的な鍛錬が必要と言われるのは、交感神経の弱さを克服していくためのものなのだろう。でも、その鍛錬から誘発されて発作を起こしてしまうことも多いので、こちらにも工夫が必要なのである。

 

 

3.特筆事項

喘息とパニック発作が同時に起こることがある。私はパニックもちではないが、薬でずっと発作がなかったものだから、今回自分の発作がどの程度のもので、どう対処したらいいのかわからなくなっていたことに気が付いた。この無知による焦りは喘息発作に悪影響を及ぼす。最初しばらくぶりの呼吸困難になりかかったとき、背中が寒くなり「死の予感」に慌ててシムビコートを使った。

そして、その時のPF値が、今「死の予感」状態になるかというと、ならないのである。ひとつには薬以外のさまざまなサプリや食べ物を摂取していることによる「信念の力」と呼吸法による緩和方法を学んだため、慌てなくてすんでいるということがある。

 

4.おわりに

そうはいっても、薬を全く使わずに生活できているわけではない。どうしてもPF値が下がりすぎて、まるで高山病のような症状がでてしまったときは、やはりシムビコートを使わずにはいられなかった。まあ、自分の体の「いま」を感じるために薬をへらしたいとか豪語していたんだけど、こんなものです。

 

だから、つらい症状を乗り越えて克服した人はなんかすごいなあ、と思うわけで。

ということで、現在は体質改善メニューはこなしていますが、薬については一度保留にして、改めて対策を立てたいと思う。

からだと向き合うこと

喘息の調子の目安としているPF値は依然回復しないが、日常生活はまずますできている。

ところが、そのうち吸入ステロイドを使っていたころの動ける体調の記憶のままどこかでかけたりするとたちまち調子を崩して安静を余儀なくされるはめとなる。

つまり、自分のからだのことをすっかり忘れてしまうと、調子を崩してしまうからいつもいつも丁寧に自分のからだに向き合う生活を強いられている、というと自分に悪いかw

 

こんなことを考えたときに、ふとスポーツ選手のドーピングについて連想が浮かんできた。ドーピングがなぜ悪いかというと私が見聞きするところでは将来的に体を悪くするから、ということ。これは正論ではあろう。しかし短い競技生活で強くなりたいと思う気持ちは否定できないのではないか?

これが、慢性疾患持ちにおける薬の「長期連用」に似てなくもない、

ということ。

 

極力薬を減らしての生活は、以前の薬ありき、の生活とは違う視点を提供してくれる。私に関していえば、喘息で調子悪くなったときの体の感覚や、感情が、昔まだなにも持病を持っていなかったころの感情の動きや体調不全を思い出させてくれる。あのときは無理していたんだ、とか、別に自分が神経質ではなくて、体調の不安から神経質な感じ方になっていたのだ、ということが理解できるのだ。

 

実際、吸入ステロイドで「健康的な」体調を維持していたころは、これが「本来の自分だ」と錯覚していたかもしれない。体はよく動いてあちこち自転車で出かけていたから自分って結構運動好きなんだとか。

しかし、精神的にはどこか空回りしていたのではないか?

 

そうやって、自分の体を薬で補っているうちに、自分の本当の「いま」がわからなくなってしまう。

 

身体を極めることを仕事にしているスポーツ選手が自分のからだの「いま」を知ることができなくなったら、早晩その選手の肉体はどこかきしみはじめるのではないだろうか?

 

だからといって、わたしは薬やドーピングが悪いとは思っていない。

ドーピングがいけないのはただ、みんな「同じ条件」でなくなることがフェアでない、という意味程度にしかとっていないので。

 

しかし、今の生活から、薬やドーピングのわたしなりの意味を悟る。他の人は個人の趣味で薬を使ったりドーピングしたりすればいいけれど、やりきれないのは、その薬で上げ底された「体力・能力」でなければ社会生活や競技生活を送るのが難しい人間にそれを「強いる」環境が多すぎる、ということである。

 

人が「病気」に向き合う権利はそのまま自分自身と向き合う権利になるのだが、この権利が結構理解されていないよね、なんて思ったりした。

 

やりたいことができる、それと同じくらい

できない自分を味わう。

それは限りなく真の休息に近いものだと思うのだが。

 

 

最近の朝食

喘息改善のために食生活を見直している。まだ発展途上中であるが、覚書的に現在の朝食を記録してみた。

数日前(9月終わり)の朝食

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  • 左手前→発芽玄米と発芽押麦(冷凍保存してるものを解凍した)
  • 右手前→簡易味噌汁(鰹節と味噌を入れてお湯を注いだだけ)具材は冷凍した刻み葱、乾燥わかめ味噌汁の具(市販)、塩キノコ(常備菜
  • 左奥→目玉焼きとザワークラウト(市販)
  • 奥真ん中→早生ミカン
  • 右奥→りんごとローズヒップ&ハイビスカスティのゼリー(作り置き)

ほとんどが作り置きか市販のものなので、支度はそんなに手間ではない。市販のものはこういう管理をしていると使うのがためらわれるときもあるが、乾燥わかめは流石に手作りが難しい。あとザワークラウトは今まで食べたことがなかったので、どんな食物なのか試験的に購入して食べてる。

 

この内容はだいたいここ2週間くらいの基本的なメニュー。あとは冷凍ごはんがおじやに変身したり、ライムギパンになったり、ジャンクフードモードが炸裂したときは、市販のシリアルに変わる。目玉焼きも作ったり作らなかったり、肉があればちょこっとハーブ塩焼きにして食べる。

 

このメニューがどのくらい自分の体に合っているのかまあよくわからないのだけど、健康と称して自分がおいしくないと思うものは食べてないので、まずまず味的には満足している。

 

参考までにまだ食事を改善するまえのメニューをあげておくと

  • 食パン(ホームベーカリーで焼いたもの)
  • ココアミルク(砂糖なし、冷たいままで飲んでた)
  • 目玉焼き(岩塩で食べてた)
  • 季節の果物(季節ごとに変わる、今時期ならリンゴかみかんだが、夏だとキウィや家で獲れるラズベリーなどになる)

品目が少なくてこちらのほうが少なく感じるが、今考えるとココアミルクが結構お腹いっぱいに感じられたんだよね。あと、朝はあまり食欲がないからつくるのも面倒でこんなメニューになってる。

 

 

 

覚醒時意識と睡眠時意識

夢はしばしばあり得ない情景や普段とは違う自分の在り方が出てきて、解釈するのはなかなか難しいことがある。夢の中の自分といつもの自分が一致すれば解釈などしなくても夢がわかるのだろうか?

 

長年夢日記をつけてきて、もどかしいと感じていたことはいつもそれなのであった。夢がなにを言っているのかわかる方法はないだろうか?と外へ向かって個別の意味を調べては「そうなのかな?」「そうかも」「なんか違う」と一喜一憂していた時代がかなり長かった。

 

その、長年の疑問が解けるかもしれないというヒントが見えてきた。

数年前にまたあった精神病的変性意識に突入する少し前に、夢がなんか知らないけど言葉で説明できないんだが、なんかわかる、という感じがし始めていた。言葉が思いつくものはメモしてみたりしたりした。自分どうしたんだろう、それとも長い事夢日記つけていたから、少しはわかるようになってきたのだろうか、と急に始まったこういう感じ方に最初は首をかしげていた。そのうち変性意識がすごくなって、夢どころではなくなったのだが、そこから断薬してその断薬も落ち着いてきた最近に、起きているときの自分と夢の中の自分についての、ある直感が浮かんできた。

それが正しいのかどうかは証明のしようがないのだけど、その方式で過去の夢を読み返してみると、自分の中でとてもうまく説明できるものがたくさんあるので、自分の場合はたぶんこれだろう、という気がしている。

 

わたしの場合、その方式とは、

起きている自分→頭での思考

睡眠時夢の中の自分→身体感覚からの思考

 

という図式。いわば夢の中の自分は頭と身体の主導権が逆転していて、身体が感じたことで思考して行動しているようなのであった。

 

この考え方である夢を検証した。

ずっと前、30代になるかならないかのころだと思ったが、こんな夢をみた。

わたしが横たわっているとお坊さんがやってきて

「かわいそうに、首がない」

というのでショックで目が覚めた

 起きてから考えて、私はどちらかといえば頭でっかちの人間なので首がない、と言われるのが意外だった覚えがある。意表を突かれた感じ。でも先のことを当てはめてみると起きているときの自分に変換した場合は

「身体がない=身体を無視している」となり、身体の意識体である自分からすると「頭=身体がない、自分どうやって生きているんだ?」という話になるんだろうと思う。

 

よく、夢の種類には重要なものとそうでないもの、日常的なものがある、と言われるが、私にはその区別がつかなくて、見た夢をほとんど記録していた時期もあった。だが、この方式だとすると、確かに重要なものとそうでないものがあるという意味がわかる。人は日記をつけるとき、自分が重要だと思ったことを書くわけで、そのほかの部分は経験しても書かない。それと同じことなのだろうと思う。

 

そう思ったら、見た夢をいちいち記録しなくてもいいな、となんだか肩の荷がおりた気分になった。ということで最近は朝夢を覚えていてもよほどでない限りあまり記録していない。

 

ただ、起きているときと夢をみているときの意識の違いを見るために資料として丹念に普通の日記と夢日記をつけていたら、さぞかし「私」という人間の意識の傾向がはっきりするだろう。実際、そこを目指して両方詳しくやろうと思ったのが、共時性に関する本を読んだ2010年ころのことだった。その願いは叶ったのかどうか、ある意味そうなのかもしれない。

変性意識に突入するときの感じというのがある程度あぶりだされたから。

 

とはいっても、自分自身のことを知るのは難しい。いまだに読んでもわからないもの。あと夢予知もよくわからないなあ、あるのかもしれないがパターンが読めないし、そもそも自分は夢予知に興味がないから覚えていなかったかも、というのがあるかもしれないな。

 

 

ムーブメントのせいだった?

知る人ぞ知るからかなり有名になられた山川夫妻の講演会に行ってきた。この講演会を聞きに行こうと思ったのは、紘矢さんが精神世界のことをやる直前くらいの時期にぜんそくになったけれども、薬を使わずに治した、という話をどこかで読んでいたからなのである。それで秘訣などを探せないかと思って出かけた。

 

講演会の内容は主にスピリチュアルな内容なので省略するが、ぜんそくの話がちらりと出た。それによれば、精霊と繋がっている時期で、精霊が薬は飲まないように、というのをご本人もそれを受け入れて3年ほど養生したのだそうだ。まあ、知らない人が聴くとほんと無謀だと思うのだけども、私はこの話少し理解できた。

というのも、私の向精神薬の断薬が、違う形だけれども「何かに守られているという根拠なき確信」がどこかにあって、だからこそエビリファイの猛攻(?)にも耐えることができたところがある。確信がなかったら止めるに止められなかっただろうと思う。

しかし、私自身の喘息についてはこの根拠なき確信がこないし、どうも自分の自主性というか、喘息にかこつけてやりたいことをやってはおらんか?実は、みたいな部分に気がついた。ありがたいことである。

 

もう一つ、亜希子さんのお話の方では、精神世界のことを広めた、シャーリーマクレーンの翻訳本のことが出た。初版が1986年ということで、そのころは精神世界について日本でもブームがあったそうだ。その話で私自身少し思い出したことがあった。

そのころ、私は10代で少しはオカルト本や雑誌ムーなど読んでいたが、それ以上にSFや心理学の方に傾倒していて、シャーリーの本などは全く知らなかった。で、丁度自分がなんかしらん、急に周りから浮き出して、友人や人間関係ががらりと変わった時期だったのである。

この出来事は今までありふれたことだと思っていた。

しかし、この間、自分と全く同じ同年同月同日、つまり同じ誕生日の人のブログを発見し、その中で、同じ時期にその人は精神世界に関わる自身の変化をつづっていた。それで、自分も丁度環境ががらりと変わった時期なので、

「やっぱり同じ誕生日だと似たような時期に似たような出来事が起こるものだな」

と面白く思っていたのである。

 

しかし、亜希子さんのその時代の話を聞いて、この80年代半ばというのは少なくとも日本において精神世界のムーブメントが起こっており、集合意識とか集団思念というものを信じている私には、自分の境遇の変化が、これに影響されていたのではないかと思ったのである。

そのときも周りから浮いていやだなあ、とか思っていたのだけど、環境の変化が終わってみると、結構楽しい友人ができたりしたので、今思えば悪いことではなかった。しかもそのとき、私は自主的に子供のころ探していたものに出会ってそれをやっている。そのときはすぐやめてしまって、またあとで苦しくなったけどw

 

今年、スピリチュアル界隈ではまた変化の年だという。

そういう集合意識があるということは、私のこの49歳という特別な年もそれに影響されているかな、と感じた。すると2回目。というか若いころが往路だとするとこれは復路であるのかな?いや、しかし前回はほぼ無意識、今回はそう予想したけど先々楽観できるかといえばよくわからない。このあたりは今の過ごし方に関わってくるのだろう。

 

お二人は今年金婚式になるのかな?結婚して50年になるかな?とかおっしゃっていたので。これもまた自分の年齢にほぼ同じ長さで勝手にシンクロ感じてますが。

うん、夢を見るのは楽しいよね。

病気のメリット

向精神薬のお世話になりはじめたころからいろんな疾患を体験した。

一つ一つはそれほど重篤なものではないのだけど、

やっぱり気になることは気になるんだよね。

そんな中で中核になっていたのは

精神病でなく喘息だったということ。

そして、それはずっと意識して向き合ってこなかったところ。

向き合わなかったということすら気が付かなかった。

それにようやく気がついて

じゃ、少しやってみようかと始動させた現在。

 

 

病気のメリットって

新しい自分の可能性の扉だったということに気がついた。

いつも、自分は病気になるたびに

右往左往して知らなかった世界へと足を踏み入れていたのだ。

 

 

そして今また喘息が

今まで見過ごしていたような世界へ

行くことをためらうような場所へ

試してみても仕方ないと考えていたような方法へ

私を導いている。

 

薬(吸入ステロイド)の残留期間って?

今日、少し激しい運動(自転車)をしたら軽く発作が出た。今まで普通に乗ってた距離で発作などでなかったのだが、PF値がそのときより低い今、普段は前と変わらないように思えても、負荷をかけるとたちまち浮かび上がる不調。

これを喘息の薬でないもので収めようとしても収まるものではない。まあそれで結局シムビコートで収めたのだけど、こういうときに現代医学の薬は強みを発揮する。これがあるからこそ、悪名高き喘息死が吸入ステロイドの標準治療化で大幅に減ったのであった。

 

このことはこの10年間でいやというほど体に染みついている。だからこそ意識改革である。それというのも、一つの疑問が出てきたからなのである。

 

今回調子を崩したきっかけは宿泊をともなう航空機での旅行だったのだが、それより半年ほど前にも同じく宿泊をともなう航空機の旅行をしたことがある。向精神薬を服用し始めて10年以上旅行にいったことがなかった。そして断薬後初の旅行、約10年以上ぶりの航空機利用だったのである。

その時に、宿泊先でのどが痛くなり、カゼをひいたようになった。しばらくぶりで喘息発作が出た。それで帰ってきてから病院へ行き、また新しく出た吸入合剤レルベア100を処方してもらったのである。これがよく効いた。ずっと前、アドエアを処方されたときに、かつてないほどPF値が上がったが、このレルベアもその時のアドエアと同じくらい高い値をはじき出した。

換算量はわからないが、宮川病院さんの比較によれば、ステップ2において、シムビコート1日2回とレルベア1001日1回が同じである。

http://miyagawaiin.nzjp.net/adoair.html

しかし、私の身体ではシムビコート朝夕1回でレルベアと同じくらいのPF値は出したことがない。それくらい気道の改善力が優れていた。今までパルミコートとシングレアのペアもレルベア中はシングレアなしでも大丈夫なのであった。で、レルベアを1か月ほど続けてなくなった後に、またパルミコートに戻したけど、シングレア飲まなくてもPF値をしばらく維持できたので、また1か月後にためしに喘息の薬を全部やめてみた。そうすると2週間くらいで風邪のような症状が現れて、再び吸入薬を始めている。

 

この時はああ、吸ステやめるとだめだなあ、くらいにしか思っていなかったが、今回また旅行で調子を崩して、今度は吸ステ以外で喘息が改善するのかどうかやってみたいと感じ、こうして最小限死なない程度の処方薬を使っているが、そういう現在、ちょっと吸ステを外してみるとすぐ死にそうなくらいのPF値になってしまう。ただ、こうやって気道を敏感にしてみると、アレルギー物質以外の、運動したとか、あれをやったとかこんなストレスがあった、というところで随分PF値が変わるので、喘息はかなりいろんな要素があって、複雑なものだな、と改めて思った。

 

ところで、何が疑問か?

レルベアを使った後しばらく薬を減らしてもそれほど落ちなかったことである。

私はそのことを自分の喘息が小康状態になったのだと思っていたのだが、今回の体験をしてみると、なんか、自分の体力が、というより

レルベアしばらく残ってたのではないか?

という考えが浮上してきたのである。

いや、全身に回るわけじゃないし、残留期間のことなどネットで検索しても見つからない。ただ、発作で初めてステロイド点滴を受けたときにどんなものかインターネットで調べてみると1か月くらいは残留しているというような書き込みを見かけたので、一か月間は自分の体がよくなったのでなく、ステロイドで抑えている可能性が大きいな、と思ったことがあるからで、今回のレルベアがその期間ちょっと似ていたから…

 

いやあ、わたしもさ、今のところたいして不都合を感じていない、どころか恩恵すら受けてる標準治療なんだから、このまま続けて健康を維持して、自転車もバリバリ乗ってあちらこちらいろいろ出かけて人生もっと満喫すればいいじゃないか、とか思わないでもないんだけど、なんか心地よくないんだよね。それこそ向精神薬を服用していた時代、悪くないんだけどなんか意気揚々とならない、みたいな。それは自分の精神病のせいかと思っていたのだけど、向精神薬を断薬してみると、とりあえずできなかった就職をしてみるわ、遠距離の旅行をしてみるわ、資格取りに出かけてみるわで、たがが外れたように活動しだして、それが一つ一つは続かないのだけど、かれこれそろそろ断薬も2年。その間わたしは自分を取り戻すためにいろんなことを試している。もちろん喘息の薬は向精神薬と同じには考えられない。しかし、薬からの自立を目指すことで一体なにが見えてくるのか、向精神薬を断薬した経験が、そんな期待を生み出している。