bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

去年の今頃(2018年夏)

今年父が亡くなった。

 

去年の今頃、父は大学病院から重大な病の可能性があると告げられて、病名を確定するために検査入院を繰り返していた。

健常者でも傍で見ていて大変な検査をつらい体調の中黙々と受けていた姿は今でも慙愧の念とともに現れる。

 

去年といえば、7月にサリン関係の受刑者の刑執行が行われたが、実をいえば、ちょうどそのとき、私は父と母とともに病院の待合室にいて、そこでテレビを見ていて知った。

地域の個人病院から大学病院を紹介されて初診の日だったのだ。

待合室のテレビで流される刑執行のニュースを父はどんな思いで見ていたのか。

 

そんな父の思い出だけど、

いつだったか、父はこんなことをしゃべっていた。

父が幼いころ、日本はまだ戦争をしていて、一番上の父の兄は出兵していた。

いつか父自身が大人になったとき、戦争に行かなくてはならないのかと思うとすごくいやだったそうだ。

終戦時、父は小学校の低学年だったので、そのいやだなあ、と思った時期は小学校に上がる前のことだろう。

 

去年の終戦記念日、父のことでいっぱいで、何をやっていたのかまるっきり覚えていないけど、父は令和を知ることなく旅立っていった。

 

 

こころのやまい

詭弁になるかもしれないが、こころのやまいはクスリではなおらない。

精神科が対象にしているのは、こころではなくて精神だ。

精神と肉体は密接に関連し合っているので物理的なアプローチも可能にしている。

けれども、こころはその二つとは別の次元にある。

 

わたしが考える、あるいは感じる、こころとは

「信頼」のことである。

そしてそれは盲信ゆえにではなく

体験による実感のみによって治癒が可能となる。

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ボディに関する連想

この間、車が列をなして流れていく普段の道路の様子を見ているうちに、車がなにかの生き物の社会に見えてきた。ちょうど例えていうならアリの隊列のような。

 

それで、もし知らない意識体がこの様子をみたら、この車もこの星の生き物に見えるのかなあと思ったらちょっと面白くなった。

 

今は自動運転の車もできつつあるけど、普通は運転席に人間がいて車を操作している。もし車が壊れるような事故が起こった場合、当然のごとく人間が優先されて壊れた車から脱出するわけだ。この考えはちょっと発展されるとロボット操作のアニメの話に感覚が似てくる。

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そこで連想されることがある。

人間の生きている仕組みをいわゆる入魂するとか魂が離れるとかいう考えで見てみるとその魂が優先するのは当然魂で肉体はいずれ捨てられていくということ。

もう一つは車を運転している人間は車から生み出されたわけではないこと。言い換えれば、運転している間は車の調子に左右されることもあるが、最初に動かすのは人間であり、車が人間を生み出すわけではない。(これを生まれてから死ぬまで、と人生にたとえることもできそう)

 

あと、車に乗ってる時って道路全体の流れにのっていて、流れの中で自分の行動を決めていくけど、車から降りて、車とは別に道路を走っている車の流れをみると、ちょっとばかりその場から切り離されているような感覚がある。それが全体を見渡すような俯瞰の感覚へと結びつくか、孤独の感覚と結びつくかはさておき。

 

この頃、神は観念的なものなのかどうか、ということについて、今述べた車と人との関係のことを思いだし。やっぱり車が神様ってなんかおかしいよなあと思った次第で。

リアル 現実 real

私たちは夢や空想や想像といった意識の中の物語を知覚できるが、そういう物語の中の存在とコンタクトを取っていたときのこと。

 

空想の中の女の子は昔腹が立ったこと、そういうものを一生懸命しゃべっている。

気が済むまでしゃべった後に、こちらを確認するように

 

「リアルは私を大切にしてくれるのかしら?」

 

と呟いた。

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おひめさま

 

 

世間では生きていくことに対していろんな考え方があるけれども、わりと支持される考え方の一つに

「現実を大切にする」

というのがあると思う。

わたし自身も物事がうまくいかなくなってるなあ、と感じたときはこの言葉を思い出す。

 

だから、件の女の子がいきなりそういう言葉を語った時、わたしはちょっとハッとして、現実を大切にしようと思ったとき、自分の中の夢や想像をどう扱っていたかまるっきり覚えていないことに気がついた。

 

一方で、リアルという言葉には「あるがまま」「現実感、実感」という意味がある。

女の子はもしかすると、現実生活を自分自身をあるがままに生きようとしたときに感じるあの不安を私に教えてくれたのかもしれない。

言葉は一体どのくらいたくさんの意味を持つのだろう?

先日、とある場所で雑談を聞くともなしに聞いていたときのことである。

ある人が、家族の話をしていて

「私の言うこと聞いてくれない」

という言い方をしていた。

 

あ~、話聞かない人なのかな、その人の家族って、

みたいなことをぼんやり思っていた、その時。

 

「家族が私の言ったことをやってくれない」

という意味が浮上してきた。

 

すなわち

「私の言うこと聞いてくれない」

という時、

どういう基準で話を聞いてくれたかどうかという判断をするんだろう、という疑問がちょっと湧いてきたのである。

 

自分の言ったことに相手が相槌を打てば聞いてくれたことになる、

というレベルから

自分の言ったことをやらなければ、聞いてくれたことにならない。

というレベルまで。

 

大抵は話の流れで、そのあたりのことを判断しながら会話は進んでいくのだろうけど、最近私はそのあたりの判断がちょっとわからなくなっている。

 

それで、なんかちょっと自分の感じたことを人に言うのが怖くなっている。

誤解ってそういう食い違いから生まれるから。

 

 

自閉症とか発達障害のことはよくわからないけれども、「表面的なことだけで判断して行間が読めない」という類の不具合をもつ人、もしかしたら、話を聞いたときに、上記のようなたくさんのレベルの解釈がいっぺんに出てくるものだからフリーズするのではないだろうか?だから行間でなく表面的な言葉で判断することがあるのかもしれない。

 

へこむこと

自分が怠慢だといわれること

自分が天狗だといわれること

自分が低い波動を出してるといわれること

だんだんむかつくことになってきてる。

自分が悪いといわれること

自分がジャッジメントしているといわれること

説教されること

自分はこうやったとありきたりの常識をいわれること

イライラすること

自分が本で読んだことなどでもううんざりしていることをいわれること

びくびくすること

手抜きだなあと思ってるときに母に名前呼ばれること

わかってるふりをして去勢をはっていること

拒絶したくなること

特別なことやってないのにほめられること

本来は自分でやれるのにたまたま私がやったことで結果的にそうなったことに関して過度に感謝されること

違和感は岩感?ごめん、過度に意味付けしていると頭や顔が熱くなってくる。

感謝されるかなあと思って親切にしたことがそれほどでないときはがっかりして自分を呪いたくなる。

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“食べ過ぎは毒になります”

コインの裏側

ひきこもりの話題が注目を集めている。

ひきこもりは共同体から身を隠している状態だけど、社会復帰、ということに焦点を当てる時、わたしはつい別のことを考えてしまう。

 

日本における、過労死のこと、そして自殺の多さのことである。

この人たちが、一時的にでも共同体を抜けて身を隠したら、助かった命なんじゃないかな、とかつい思ってしまうのだ。

 

ケン・ウィルバーがどこかで書いてたけど、こんな趣旨の文章を昔読んで思い出したよ。

“社会適応をさせるには、例えば精神安定剤などを飲ませればそれは可能なことであるけれども、その社会が社会適応するに値するものかどうかはまた別の話。”

 

 

まあ、ひきこもりみたいな人間の述懐でございました。