bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

ウミセンヤマセン

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

おおさまのみみはろばのみみ、なとき。

 

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 最近ニコタのフリマの出品一覧表を眺めているんだけど、無料アイテムを出品して課金アイテムに変えようとする人が結構いて、なんというかちょっと違和感を感じたので、少しそういう話題を扱っているところの記事を読んだのだけど、いい年して人間不信になりそうだった(笑)

 

過去の人気品や限定品に高価な値段がつくのはわかるけど、それが高じて無料アイテムから課金アイテムへ、そして人気のアイテムに変えていくテクニックがあるらしく、出品するときのメッセージの書き方とか記事に載っていたりした。

 

そのなかに、課金アイテムに変えたい意図を隠すための文言というものがあって、それを読んだときに、思い出したのはそういう文言を真に受けて、応募したことである。その文言だけではその人の価値観とかわからないから、まず応募してみたんだけど、ことごとく不成立になって、さすがにちょっと落ち込んだ。

 

それで、自分から出品して、欲しいアイテムを書いたらきちんと成立したので、まあ自分がおかしいわけではなかったとほっとしたけど、そうやってフリマを見ているうちに自分の中の価値観がおかしくなっていくのがわかった。

それで、これではいかんとそういう話題のところを探して、冒頭のことを知り、少し嫌になったのでした…

 

まあ、そういうことを知ってから、思い出したことがある。

出品メッセージでたまに

「本気の応募お待ちしています」

とかいうのを見かけて、そんなにひどいので応募してくるのかなあ、と少し同情したりしたのだけど、もしかして、海千山千なフリマ利用者たちがお互い欲望を丸出しにして戦っておるだけの話だったかもしれぬ、とか、あほらしくなったり。

 

で、こういう話って、ニコタの中では書けないから、つい、お題に乗っかって書いてしまいました。

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危機的状況の前に起こること。

さっき、ぱらぱらと夢日記を見ていたら、去年の忘年会の前日に書いていたことに目が留まった。去年の忘年会の後で体調を崩して、その後また急性期状態のように幻聴や身体感覚がおかしくなった時期。この出来事は半年後の不眠と精神状態の悪さに繋がって、薬を再開する遠因ともなった出来事。

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その日、夢はほんの一行だった。そして珍しくタイトルがついていた。

(愛をおくる)

アイスホッケーで二人のゴールキーパーがパックを打ち合っている。

そして、その下には起きてすぐ思い浮かんだ文章が書きつけてある。

私たちが知らないのは、なぜ争うかということである。

右手と左手が争っても仕方がない。

心の声をきくのはやめてほしい。

愛を、愛を大切に。

私たちの愛を自分の中に感じてほしい。

愛を送りなさい。争ってもよいのだ。愛はあるか?

それは愛ですか?

答えは知らなくても愛だけはご存じ。

 

この時の気分はあまり覚えていないから、当時の意識状態の延長線上にあったのだろう。ただ、この思い浮かんできた文章がひどく印象的だったのですぐ書き付けたのだった。

この次の日に忘年会で飲み食いした後に、翌日ひどい頭痛と下痢、などを起こし、幻聴などがひどくなってもう散々だった。この書き付けがなかったら、また自分は取り乱していたかもしれない。

 

考えてみると、初発(十数年前)と、数年前の2度目の精神的な発作と、それが顕在化する前に、至高体験とまではいかないけど、今回のこの書き付けのようなまるで精神世界におけるメッセージようなものが意識上に浮かび上がってきていた。

まあ、浮かんできたこれらのイメージや文を認識したのちも、精神状態がまともであればよいのだが、すぐに混乱がやってきてしまうので、どうも自分の意固地さというかそういうものがなかなか外れないものだなあ、と今日、この夢日記を読んでそう思った。

 

余談だが、この書き付けをあとで通常の日記に書き起こそうとしたとき、文章を忘れてこんな風に書いた。

私たちはなぜ争うのか、その理由を知らない

 

そして、なんか違うなあ、と思って、夢日記のほうを読み返し、夢の中の意識と起きて活動しているときの意識でフォーカスしているものが違うと気がつき、そのことを日記に書いている。

すなわち、夢日記に書き付けた方は、(知らないこと)というものにフォーカスされているが、起きているときには(知らない理由)についてフォーカスされている。つまり、寝ているときはそのことを知らない、という事実だけだが、起きて活動している意識では理由を知らない、みたいなところ。なんか似ているようだけど、やっぱりこの違いが自分の中の分離を象徴しているのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

摂取物(嗜好品薬剤)に関する体感覚書

酒煙草などの嗜好品、あるいは飲んでる薬について自分の体感を書こうと思うが、こういう内容はデリケートで、だからこそ、最近消費庁が、サプリなどの宣伝で「個人の感想云々~」という表現に待ったをかけたわけで。

 

ということで、自分はこんな風に感じて、それが持続したり反復しているが必ずしも他の人に当てはまるかどうかは、わたしの責任の範囲ではないです。

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…そもそも、自分は身体のことに無頓着で、美容にも気を遣わなかったから、今思えばかなり身体の調子は悪かったように思う。肌荒れはひどいし、便秘ではなかったが、お腹が緩いほうで、ちょっとストレスがかかるとすぐお腹をこわした。成人になると酒やたばこをたしなむ機会が多くなるが、酒の方は無理がきかず、すぐに飲まないようになるが、たばこはほどなく愛煙家、という形になる。

 

そんな若いころを過ごして、それから精神科通いになり療養生活。そのころもたばこはやめられなかったが、転機がきたのは喘息になってからだ。

 

喘息の治療薬を手にしたわたしは、喘息の薬を使いながらたばこを吸うのは不自然だからもうたばこをやめようと決意した。そしてそれからもう11年になるから早いものだ。

 

さて、たばこを本格的に吸わなくなって、あるとき、洗髪していて髪の毛が非常に柔らかくなってるのに気がついた。たばこをやめると肌が綺麗になると聞いていたので、もしかしたら髪の毛にも影響があるのかなあ、と思った。でもあまり深くは考えなかった。

 

それから、数年後の話だが、精神科の薬の種類を減らし始めたころ。

ロヒプノールを外してからしばらくして、また洗髪しているときに髪の毛が柔らかくなっているのに気が付いた。このときはたばこのときの記憶があって、「もしかすると髪の毛というのは薬などの摂取物に反映するものなのだろうか?」とちょっと考えた。

 

それから一度断薬したときのこと。やっぱりしばらくしてから洗髪のときに髪の毛が柔らかくなってるのを感じた。さすがに3回目なので、後で思い起こしてみると、いずれも1か月くらい経過したときに、髪の毛に変化を感じていることを思いだした。

 

 

さて、今なぜこの話を書いているかというと、また今減薬していて、昨日洗髪しているときに髪の毛が柔らかく感じたので、ハッとしたのだ。そしてそれまでのことを思いだして、減薬を始めてからの期間を考えると、やっぱり1か月くらい経過していた。

 

今回4回目なので、自分の体調としては、たばこと抗精神薬については、やめて一か月くらい経過すると髪の毛に変化が感じられるということはいえるな、と思った。そしてさらにその後どうなったか考えると、肌の調子が改善している。反対にこのところ肌の調子が不調だったけど、今はその不調が改善してきていると気がついた。

 

ところでわたしはカフェインも今摂取しないようにしているんだけど、こちらはそういう髪の毛の変化を感じなかった。知覚もあまり変化を感じなかったのだけど、たまにコーヒーとか飲むと、明らかに自分は高揚するのがわかるようになってきた。コーヒーを飲むのは集まりで出されたときに飲むのだけど、そういういろんな集まりに顔を出してるうちにカフェインを摂った時と摂らない時の比較ができるようになって、そういう精神状態の変化が見えたのである。

 

カフェインは喘息の症状を和らげる、と聞いたことがあるけど、(テオフィリンと構造が似ているため)これは交感神経を刺激するためらしい。

昔は毎日コーヒーを飲んでカフェインを摂取していたから、いつも交感神経が刺激されてるのが当たり前の状態になっていて、気が付かなかったのかもしれない。

 

となると、自分が精神症状で急性期になったときに、喘息が改善している理由もなんとなくわかってくるような気がする。急性期には興奮しているから、それが交感神経を高めているのかも、という説が成り立ちそうだ…

 

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ということで、あくまでも個人的な体感の覚書でした。

 

 

アールブリュット

新聞でアールブリュット作品を紹介している連載があって、何回か読んでいるが、本日は版画家の娘で知的障がいを持つ女性の作品が紹介されていた。

言葉で説明するとイメージがわかないかもしれないが、一応説明しておくと

ステンドグラスやタイル画のような色とりどりのモザイクが不規則な列をなして広がっている、という感じのものだ。ステンドグラスやタイル画というと、宗教画的なものを思い浮かべてしまいがちなので、ちょっと説明に困るのだが、どちらかというとデジタル的で機械のメーターとかああいう感じのものが抽象画になっている、という印象。

 

紹介している学芸員は、意識と無意識の境界みたいな感じと言っていたけど、なんかドロドロに溶けたようなものが境界領域に見えるのではないか、と普段思っていた自分は、学芸員さんの印象を読んで、自分の精神病の急性期のことを思いだした。

 

急性期には現世のいろんな物質化したものが押し寄せて、秩序が見いだせないカオスな状態だったり、自分が苦しくなるようなイメージをたくさん見たのだけど、精神科に行くきっかけとなる始まりに、幾何学模様のイメージが目の前に広がるのを見ていたのだ。むしろドロドロに見えたり、何かのイメージが見えているうちはまだ意識側の秩序を持ち込んで捕捉しているのであって、それを超えるとたぶんこういうモノの形をとらない図形や幾何学になってゆくのかもしれない。なにせ、そのイメージからは具象化されたこの世のイメージを連想することはかなり難しいからだ。

 

急性期の本当の始まりに見た、この幾何学模様は、情動を伴わないだけに自分自身に何が起こったのかわからなかった。その幾何学模様はしばらく私の意識を覆うように時折顔を出し、それが消えたころ、本当の、精神病的恐怖が襲ってきたのだった。

 

作品の彼女は睡眠生活が不規則で、一定しないという。

なんか、他の人々が意識活動をしないような時間帯を選んで自分の意識生活を送っているようなイメージが浮かんだ。

それは人間たちの思考のおしゃべりが静まって、自然界の物音が聴こえてくるような時間を待っているが如くに。

 

アールブリュットと障碍者がどうして結びつきやすいのか、というとやっぱりこのあたりにヒントがありそうな気がする。

 

 

 

 

 

16Personalities性格診断テスト

とあるメンタルヘルス関係のページで紹介されていた性格診断テスト。

無料性格診断テスト、性格タイプ詳細説明、人間関係およびキャリアのアドバイス | 16Personalities

お遊びでやってみて、このような結果になりました。

 

あなたの性格タイプ:
“提唱者”
(INFJ-t)

 

ネットでの簡易テストなので正確性はよくわからないけれども、やってみると面白い結果になったので、紹介してみました。

正確なテストは日本MBTI協会というところが行っている。

MBTIとは

人は間違う

まあ、うっかりすると忘れてしまいがちだが、人は間違う生き物だと思う。

何が間違いなのか人によって違うだろうけれども、私も間違うし、他の人も間違う。

だからこそ、謙虚に生きなくては、と感じる。

 

今、私の祈りは

 

神様、変えられることと変えられないことを見分ける力をお授けください。

そして、変えられないことを受け入れられますように助けてください。

変えられることを変える勇気をお授けください。

 

聖フランチェスコの祈りなのだが、正確な文章を思い出せず、どこに書いてあったかも忘れてしまったので、自分なりに考えた言葉。

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ほんとに繊細になってるときはネットなど自粛したほうがいいのだが、ついやってしまう。そしてちょっとだけセンチメンタルになったりする今日この頃。

今回の不調と夢の話

休止していたが精神活動が少しできるようになったので、今のうちに。

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去年末から今年にかけて起こっている今回の精神的な不調だけど、過去のネットの文章を読んでいるうちに、キーポイントとなる文章を見つけた。

facebookに載せてた文章。

その中で簿記検定に受かったけれども、なんか求人雑誌を見ても気が乗らず見るのをやめた、という文章から始まり、その日の未明にみた夢のことを記している。

こんな夢だ。

未明に、子供連れの女性が運転する車が転倒して穴に落ち込む、という夢を見る。私はその女性に話しかけるのだが、女性は助けを呼ぶのは明日にしてほしいという。そこへ背の高いがっちりしたルーマニアの女というのがやってきて、子供を連れ去っていく。車の女性はいつも誘拐されるのです、というのだ。
私はルーマニアの女のところへいき、子供を返してもらおうとするのだが、彼女と向かい合ってみると、なんか圧倒されてどうしていいものやら、という感じで目が覚めた。

これを書いた当時は社会の壁とルーマニアの女と関係してるのだろうなあ、みたいな感じで思っていたのだけど、漠然としていてはっきりとはしなかった。

 

 

この不調で、自分が最初に発生した思い付きや感動、こういった純粋な気持ちがどんどん変節していく様子を観察することができた。そのあとで、facebookのこの文章を見つけたわけだが、つまり、赤ん坊に象徴される純粋な気持ちが、どんどん時間を経てある時純粋な気持ちを守ってる自分が転んでしまって赤ん坊を連れ去られてしまう。

ルーマニアの女、というのは、個人的な夢の解釈になるが、どうも社会に適応するためにやむおえず自分の生命力とか情熱を犠牲にしてしまっている部分、ということになるかな。

 

これを観念的な文章に直すと、自分自身の情熱や感動をそのまま自分のやりたいことへと成長させることができない(転んでしまう)ということと、社会適応するためにそういったものを犠牲にしてしまいがちな自分が大きくなりすぎている、というところかもしれない。

 

書いたのは去年の6月終わりころである。検定試験が終わって合格し、なんか燃え尽き症候群っぽくなっていたのかなあ、と思う。それに気が付かず、そのあともなんか社会に復帰しようとしていて、とうとう倒れてしまったのだろうなあ。

 

この先どうするか、なんか別の角度から見ないと大変だな…

 

【追記】

記事アップしてから気が付いたが、このルーマニアの女、というのは社会適応という考え方のほかに、自分の意識していないが自分自身に負担になっている欲望、という負の面としてとらえることもできるかもしれない。(この欲望をストレートに動かせるようになるとまた違ってくるのかも)