bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

「フリマどく」を私はどう解釈したか

今朝、一つの夢を見た。

男が真っ暗な部屋でネットをやっていて「フリマどく」と書かれたアイコンをクリックするのだが、クリックしたとたんまずいことをしたのではないかと怖くなって、慌てて飛び出すところ。

 

夢の中で私はこの男であり、飛び出すや否や私はそれを見ているものに変わる。

なぜ、怖くなったのかというと、夢の中でクリックしたとき「フリマどく」の「どく」が「毒(ポイズン)」だと直感したからである。

 

ところが、目が覚めて、この夢を思い出したときに、夢の中の「どく」は意味が通じにくいにも関わらず、「独(独身)」を連想させた。

 

で、そのあと、前に似たような夢を見たことがあって、この夢をメモしておこうと、ノートに「フリマどく」と書いたとき、この「どく」は「読(読む)(リーディング)」ということが浮かんできた。この「読」にはただ単に文章を読むことから解釈することまで実に幅広い意味を持つことがあるが、こうやって時間が経過するせいなのか、あるいは感覚器官の受け取り方で印象が変わるのか、夢を見たときの直感とずいぶん離れてしまった。

 

夢を解釈するときには、なるべく夢の印象から離れないようにするのがいいのだけど、こうして、いくつかの感覚器官や時間、メディアを経過していくときに、哀しいかな、私の受ける印象はどんどん変化していくのだろう。

 

澁澤龍彦は「夢」というエッセイの中で、「覚醒した目で再構成する夢の現実は夢そのものとは、いつも微妙に違っていることを痛感する」と書いていたが、まさに今、この夢と夢の記憶の違いを実感して、その文章の意味を痛感したのだった。

 

 

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『世に棲む患者』という本

十数年前から数年前までずっと澱んだように単調な暮らしをしていた私に、希望の光をもたらしたのは、中井久夫さんの著作だった。みすず書房から出ている『最終講義』を初めて読んだとき、精神病(精神分裂病統合失調症と呼ばれているもの)の世界が治療者の見方によって、こんなにも人間の神秘と可能性に迫ることができるのかと感激したのである。以後、自分の体調の許す範囲で何冊か読んだ。

 

ちくま文庫の『世に棲む患者』は中井先生のエッセイや雑感などの文章を集めた著作であるが、表題の文章は患者と社会の関係について述べたものであって、「棲む」は「住む」という漢字ではないところに、中井先生のやさしい心遣いが現れていたように思う。

 

この本を初めて読んだのはもう5年以上も前であるが、今回ふとこの本のことを思いだす機会があって、少し本を開いたところ、こんな文章にあたった。

しかし、治療者と患者の共有しがちな「哲学」あるいは「固定観念」で患者、あるいは元患者が世に棲む妨げになってるものがある

と、いう前置きがあって、以下、次のような内容だった。

 

「治るとは働くことである」という「哲学」「固定観念」、これが容易に逆転されて「働くと治ったことになる」という命題になって患者を焦らすことであり、患者を「労働改造」させようとすること。

中井先生はあまりにも極端な労働改造は沈鬱な思想に思えて、患者を精神的委縮に結び付けかねない有害なものだという。この考え方は精神病に限ったことでなく、昔は結核、あるいは現在の発達障害うつ病などその時代によってターゲットになるものがあるようである。

また、この観念の別のバージョンとして

「治ったら薬はいらなくなる」が「薬を飲まなくなれば治ったことになる」という形で現れることもある。

このような逆転する命題を抱えてしまう患者の多くが治療に絶望しているのだが、多くは治療の方針などが十分知らされていないことが少なくない、ということだ。

 

もう一つ、これが私にはかなり絶望的に思えた指摘がある。

「健康人とは、どんな仕事についても疲労、落胆、怠け心、失望、自棄などを知らず、いかなる対人関係も円滑にリードでき、相手の気持ちがすぐ察せられ、話題に困らない」という命題は患者の中にはありがちだが、患者のもつこの「超健康人幻想」が精神科医の中にも分有されているかもしれない、ということだ。これが不毛な自己点検へと追いやってしまうこと。

 

初めて読んだ当時はあまりピンとこなかったのだが、今読み返してみると、この種の絶望に私がさらされていたのだとわかる。だからこそ、この数年間いろいろ試行錯誤して、結局疲れ切ってしまった今がある。

 

一方で、このような「固定観念」は病気で余裕がないから、ともいえそうだけど、余裕がないときにそういう「固定観念」が現れるのはなぜだろう?これこそ社会の「固定観念」なのではないかなあ、と感じる。

 

この中井先生の書いてたこと、なんとなく今の社会で問題になってる労働の在り方にも言えないだろうか?

勤労感謝の日も近いけど、「健康で普通の人並みの生活」とは一体どういうことなんだろうかな、と思う。いろんな事情で労働が困難な人々も「世に棲める」には、何か今の社会の方法ではきつそうだな、と感じる。それは単に労働だけの問題でなく、ライフスタイル全体にも及ぶようなこと。

 

 

 

ウミセンヤマセン

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

おおさまのみみはろばのみみ、なとき。

 

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 最近ニコタのフリマの出品一覧表を眺めているんだけど、無料アイテムを出品して課金アイテムに変えようとする人が結構いて、なんというかちょっと違和感を感じたので、少しそういう話題を扱っているところの記事を読んだのだけど、いい年して人間不信になりそうだった(笑)

 

過去の人気品や限定品に高価な値段がつくのはわかるけど、それが高じて無料アイテムから課金アイテムへ、そして人気のアイテムに変えていくテクニックがあるらしく、出品するときのメッセージの書き方とか記事に載っていたりした。

 

そのなかに、課金アイテムに変えたい意図を隠すための文言というものがあって、それを読んだときに、思い出したのはそういう文言を真に受けて、応募したことである。その文言だけではその人の価値観とかわからないから、まず応募してみたんだけど、ことごとく不成立になって、さすがにちょっと落ち込んだ。

 

それで、自分から出品して、欲しいアイテムを書いたらきちんと成立したので、まあ自分がおかしいわけではなかったとほっとしたけど、そうやってフリマを見ているうちに自分の中の価値観がおかしくなっていくのがわかった。

それで、これではいかんとそういう話題のところを探して、冒頭のことを知り、少し嫌になったのでした…

 

まあ、そういうことを知ってから、思い出したことがある。

出品メッセージでたまに

「本気の応募お待ちしています」

とかいうのを見かけて、そんなにひどいので応募してくるのかなあ、と少し同情したりしたのだけど、もしかして、海千山千なフリマ利用者たちがお互い欲望を丸出しにして戦っておるだけの話だったかもしれぬ、とか、あほらしくなったり。

 

で、こういう話って、ニコタの中では書けないから、つい、お題に乗っかって書いてしまいました。

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危機的状況の前に起こること。

さっき、ぱらぱらと夢日記を見ていたら、去年の忘年会の前日に書いていたことに目が留まった。去年の忘年会の後で体調を崩して、その後また急性期状態のように幻聴や身体感覚がおかしくなった時期。この出来事は半年後の不眠と精神状態の悪さに繋がって、薬を再開する遠因ともなった出来事。

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その日、夢はほんの一行だった。そして珍しくタイトルがついていた。

(愛をおくる)

アイスホッケーで二人のゴールキーパーがパックを打ち合っている。

そして、その下には起きてすぐ思い浮かんだ文章が書きつけてある。

私たちが知らないのは、なぜ争うかということである。

右手と左手が争っても仕方がない。

心の声をきくのはやめてほしい。

愛を、愛を大切に。

私たちの愛を自分の中に感じてほしい。

愛を送りなさい。争ってもよいのだ。愛はあるか?

それは愛ですか?

答えは知らなくても愛だけはご存じ。

 

この時の気分はあまり覚えていないから、当時の意識状態の延長線上にあったのだろう。ただ、この思い浮かんできた文章がひどく印象的だったのですぐ書き付けたのだった。

この次の日に忘年会で飲み食いした後に、翌日ひどい頭痛と下痢、などを起こし、幻聴などがひどくなってもう散々だった。この書き付けがなかったら、また自分は取り乱していたかもしれない。

 

考えてみると、初発(十数年前)と、数年前の2度目の精神的な発作と、それが顕在化する前に、至高体験とまではいかないけど、今回のこの書き付けのようなまるで精神世界におけるメッセージようなものが意識上に浮かび上がってきていた。

まあ、浮かんできたこれらのイメージや文を認識したのちも、精神状態がまともであればよいのだが、すぐに混乱がやってきてしまうので、どうも自分の意固地さというかそういうものがなかなか外れないものだなあ、と今日、この夢日記を読んでそう思った。

 

余談だが、この書き付けをあとで通常の日記に書き起こそうとしたとき、文章を忘れてこんな風に書いた。

私たちはなぜ争うのか、その理由を知らない

 

そして、なんか違うなあ、と思って、夢日記のほうを読み返し、夢の中の意識と起きて活動しているときの意識でフォーカスしているものが違うと気がつき、そのことを日記に書いている。

すなわち、夢日記に書き付けた方は、(知らないこと)というものにフォーカスされているが、起きているときには(知らない理由)についてフォーカスされている。つまり、寝ているときはそのことを知らない、という事実だけだが、起きて活動している意識では理由を知らない、みたいなところ。なんか似ているようだけど、やっぱりこの違いが自分の中の分離を象徴しているのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

摂取物(嗜好品薬剤)に関する体感覚書

酒煙草などの嗜好品、あるいは飲んでる薬について自分の体感を書こうと思うが、こういう内容はデリケートで、だからこそ、最近消費庁が、サプリなどの宣伝で「個人の感想云々~」という表現に待ったをかけたわけで。

 

ということで、自分はこんな風に感じて、それが持続したり反復しているが必ずしも他の人に当てはまるかどうかは、わたしの責任の範囲ではないです。

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…そもそも、自分は身体のことに無頓着で、美容にも気を遣わなかったから、今思えばかなり身体の調子は悪かったように思う。肌荒れはひどいし、便秘ではなかったが、お腹が緩いほうで、ちょっとストレスがかかるとすぐお腹をこわした。成人になると酒やたばこをたしなむ機会が多くなるが、酒の方は無理がきかず、すぐに飲まないようになるが、たばこはほどなく愛煙家、という形になる。

 

そんな若いころを過ごして、それから精神科通いになり療養生活。そのころもたばこはやめられなかったが、転機がきたのは喘息になってからだ。

 

喘息の治療薬を手にしたわたしは、喘息の薬を使いながらたばこを吸うのは不自然だからもうたばこをやめようと決意した。そしてそれからもう11年になるから早いものだ。

 

さて、たばこを本格的に吸わなくなって、あるとき、洗髪していて髪の毛が非常に柔らかくなってるのに気がついた。たばこをやめると肌が綺麗になると聞いていたので、もしかしたら髪の毛にも影響があるのかなあ、と思った。でもあまり深くは考えなかった。

 

それから、数年後の話だが、精神科の薬の種類を減らし始めたころ。

ロヒプノールを外してからしばらくして、また洗髪しているときに髪の毛が柔らかくなっているのに気が付いた。このときはたばこのときの記憶があって、「もしかすると髪の毛というのは薬などの摂取物に反映するものなのだろうか?」とちょっと考えた。

 

それから一度断薬したときのこと。やっぱりしばらくしてから洗髪のときに髪の毛が柔らかくなってるのを感じた。さすがに3回目なので、後で思い起こしてみると、いずれも1か月くらい経過したときに、髪の毛に変化を感じていることを思いだした。

 

 

さて、今なぜこの話を書いているかというと、また今減薬していて、昨日洗髪しているときに髪の毛が柔らかく感じたので、ハッとしたのだ。そしてそれまでのことを思いだして、減薬を始めてからの期間を考えると、やっぱり1か月くらい経過していた。

 

今回4回目なので、自分の体調としては、たばこと抗精神薬については、やめて一か月くらい経過すると髪の毛に変化が感じられるということはいえるな、と思った。そしてさらにその後どうなったか考えると、肌の調子が改善している。反対にこのところ肌の調子が不調だったけど、今はその不調が改善してきていると気がついた。

 

ところでわたしはカフェインも今摂取しないようにしているんだけど、こちらはそういう髪の毛の変化を感じなかった。知覚もあまり変化を感じなかったのだけど、たまにコーヒーとか飲むと、明らかに自分は高揚するのがわかるようになってきた。コーヒーを飲むのは集まりで出されたときに飲むのだけど、そういういろんな集まりに顔を出してるうちにカフェインを摂った時と摂らない時の比較ができるようになって、そういう精神状態の変化が見えたのである。

 

カフェインは喘息の症状を和らげる、と聞いたことがあるけど、(テオフィリンと構造が似ているため)これは交感神経を刺激するためらしい。

昔は毎日コーヒーを飲んでカフェインを摂取していたから、いつも交感神経が刺激されてるのが当たり前の状態になっていて、気が付かなかったのかもしれない。

 

となると、自分が精神症状で急性期になったときに、喘息が改善している理由もなんとなくわかってくるような気がする。急性期には興奮しているから、それが交感神経を高めているのかも、という説が成り立ちそうだ…

 

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ということで、あくまでも個人的な体感の覚書でした。

 

 

アールブリュット

新聞でアールブリュット作品を紹介している連載があって、何回か読んでいるが、本日は版画家の娘で知的障がいを持つ女性の作品が紹介されていた。

言葉で説明するとイメージがわかないかもしれないが、一応説明しておくと

ステンドグラスやタイル画のような色とりどりのモザイクが不規則な列をなして広がっている、という感じのものだ。ステンドグラスやタイル画というと、宗教画的なものを思い浮かべてしまいがちなので、ちょっと説明に困るのだが、どちらかというとデジタル的で機械のメーターとかああいう感じのものが抽象画になっている、という印象。

 

紹介している学芸員は、意識と無意識の境界みたいな感じと言っていたけど、なんかドロドロに溶けたようなものが境界領域に見えるのではないか、と普段思っていた自分は、学芸員さんの印象を読んで、自分の精神病の急性期のことを思いだした。

 

急性期には現世のいろんな物質化したものが押し寄せて、秩序が見いだせないカオスな状態だったり、自分が苦しくなるようなイメージをたくさん見たのだけど、精神科に行くきっかけとなる始まりに、幾何学模様のイメージが目の前に広がるのを見ていたのだ。むしろドロドロに見えたり、何かのイメージが見えているうちはまだ意識側の秩序を持ち込んで捕捉しているのであって、それを超えるとたぶんこういうモノの形をとらない図形や幾何学になってゆくのかもしれない。なにせ、そのイメージからは具象化されたこの世のイメージを連想することはかなり難しいからだ。

 

急性期の本当の始まりに見た、この幾何学模様は、情動を伴わないだけに自分自身に何が起こったのかわからなかった。その幾何学模様はしばらく私の意識を覆うように時折顔を出し、それが消えたころ、本当の、精神病的恐怖が襲ってきたのだった。

 

作品の彼女は睡眠生活が不規則で、一定しないという。

なんか、他の人々が意識活動をしないような時間帯を選んで自分の意識生活を送っているようなイメージが浮かんだ。

それは人間たちの思考のおしゃべりが静まって、自然界の物音が聴こえてくるような時間を待っているが如くに。

 

アールブリュットと障碍者がどうして結びつきやすいのか、というとやっぱりこのあたりにヒントがありそうな気がする。

 

 

 

 

 

16Personalities性格診断テスト

とあるメンタルヘルス関係のページで紹介されていた性格診断テスト。

無料性格診断テスト、性格タイプ詳細説明、人間関係およびキャリアのアドバイス | 16Personalities

お遊びでやってみて、このような結果になりました。

 

あなたの性格タイプ:
“提唱者”
(INFJ-t)

 

ネットでの簡易テストなので正確性はよくわからないけれども、やってみると面白い結果になったので、紹介してみました。

正確なテストは日本MBTI協会というところが行っている。

MBTIとは