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bluerose’s diary

15年間の向精神薬服用生活から断薬しました。

四半世紀前の感情の清算

精神科にかかるきっかけとなった関係の人がいて、ずっと引きずっている。その人への感情の清算について、オーラソーマのミニリーディングをしてみた。

http://aura-soma.co.jp/reading-B111-B068-B073-B072.html

リーディングでは4本のボトルを選ぶ。2本目はチャレンジすること、ギフトなど活かされていない部分で必要なことを読む。

 

2本目は68番ガブリエルというボトル。

このボトルの気づきへのヒントを読んで大泣きした。まさに、私が当時感じていた、憂鬱で落ち込んで、私はこの人と一緒にいるのが悪いような気がして、という感じだったからだ。
当時、彼はきっとこのようなコメントのことをずっと考えていたのかもしれない、と思ったら、またやるせなくなるくらい、やさしい人だった。

 

私は、この感情を清算したら先に進めるのではないかと思っていたのだが、違うのかもしれない。悲しんで苦しんで、どうにもならなくなってしまった自分をそのまま認めること、それでも良いと認めること。できなくても、できても、それは過去の実際にあった出来事で、それを消すことはできない。できるとしたらそれは過去の自分を一緒に消すことになるのかもしれない。

 

も、日常生活が超スローモー。まるで重たい荷物を持つように。きっと頭の中にたくさんの重たいものがあって、考えることを困難にしている。ハートはきっとそれに心を痛めていると。だからもういいよと、そのままで傷ついて他の人も傷つけたかもしれないけれども、それももう終わる。完璧にいかない対人関係、そんなことは当たり前にあることで、自分だけが悪いわけでもないし、私だけが犠牲になっているわけでもない。
ハートはいつも許したがっているのに、マインドはそれを受け付けないでいる。他の人に迷惑をかけていて、その償いができない愚か者だと思い込んでいるのだ。

 

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百面相遊び

最近、鏡で変な顔をしては、鏡の中に向かって

「こんな私でも愛してくれる?」

とか独り言を言っては笑い、また別の顔をしてはそのセリフを吐く。

あんまりしつこくやっていると、自分でもうんざりしてきて

「あんた、もともとそんな顔じゃないでしょ」

とか切り捨てては笑う。

 

こんな遊びをしていると、人との交流も同じだなあ、と思う。

変な態度の人が、こんな私でも愛してくれる?的なことを言ってきたとき、その人のことをよく知っている間柄なら「あんたそんな人間じゃないでしょ?どうしたの?」とか言ってさ。

 

でも、あんまり知らない人だと、本当のその人のことを知らないものだから、その態度がその人だと思い込んで変な人、とか思ったりね。

 

なんかさ、自分が落ち込んだりへこんだり、不安だったり、怒ったり、そんなときは自分がどんな顔だったか忘れて、その変な感情の時の自分がすべてだと思ってしまう。

でも、そんな時こそ、自分がどんな顔なのか、思い出すために鏡を見るといいのかもしれない。

 

それにしても、変な顔をして遊んでいると、自分が過去いかに自分の感情を押し殺していたか、ということがわかる。

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ETAホフマン、というドイツの作家がいる。

くるみ割り人形の物語がよく知られている作品かな?

くるみ割り人形とねずみの王さま/ブランビラ王女 (古典新訳文庫) (amazon)

 

音楽を愛して、楽長として諸国を放浪していたり、役人のようなものになったり、その合間に怪奇小説幻想小説を書いていた。

友人の話によると、ホフマンはバーの隅のテーブルでよく一人で百面相をしていたのだという。

 

昔、その話を知った時は、変わった人だなあと思ったのだけど、今はちょっと彼がその一人遊びをしていた気もちを想像できそうな感じ。

 

幻想小説浪漫派の代表作は黄金の壺。

黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ (光文社古典新訳文庫)(amazon) 

 

ホフマンの小説はみんな好きだけど、悪魔の霊酒などはそんな百面相の一端はこんな心境なのかも、という雰囲気があって面白い。もう一人のわたし。

悪魔の霊酒〈上〉 (ちくま文庫)(amazon)

悪魔の霊酒〈下〉 (ちくま文庫) (amazon)

 

 

 

 

 

 

 

 

4月に入って気づかされたこと。

最近、なんとなくへこむような気分になることが多くて、あまりポジティブに考えられなくなることが度々ある。

これは、何だろうなあ、と考えてみたのだけどわからず、しょうがないので自分の日記や、ブログ(14日の記事もその一つだった)に取りあえず浮かんだことをなんとなく記録していた。

 

昨日、またかなり惨めな気分になってしまい、これじゃまた精神病に逆戻りだ、この季節は確かに注意しなくてはならないのだけど、なんだか参ったなあ、なんて思いつつネットを見ていて、ふっと4月に入ってからの一連の出来事が連なって浮かんできた。

 

その中で自分は何に困らされているのか、とその時の自分の心境や状況を眺めてみる。

すると、いつも私は「望んだ結果にならない」つまり、結果ばかり気にして思い通りになっていないことに対して苦しんでいる。結果を得ようと努力しているのだし、自分なりに頑張っている、それでもどうも結果が出てこない、という焦りか苦しみ。

 

さて、これをどう解放していくかということ。

あ、今日イースターだね。

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小林麻央さん

闘病中の小林麻央さんが、昨日のブログに心境をつづっていた。

ameblo.jp

 

自分の病気がなかなか良くならない時に感じることというのは、共通しているのだなあ、と思った。特に悪い状態で安定してしまっている状況では、「どうして自分はよくならないのだろう」という意識にフォーカスしてしまいがち。

 

わたしは去年の秋に喘息を改善するために、いろんなことをやって、でも結果が出てこなかった。(といってもその時はたかだか3か月だったんだと今気づいたわ)

そして、なんでかなあ、と嘆いていたのだけど、年末から年明けに、頭痛と精神状態の悪化を経験したときに、

「自分はまた精神病に逆戻りしても自分を許せるか」

という命題に突き当たり、そこを許すことで自分の意識がリラックスしたらしく、なんとか急場をしのいだ。

 

そのあとで、喘息についても、自分はちょっと自分を責めすぎたかも、と反省し、今は、薬が増えたり、食べ物の制限を守れずに、ゆるくなってしまっても、あまり目くじらたてないで、「何か必要があるからこうなるんだろう」と思うことにしている。

 

向精神薬の問題は根深くて、減薬や断薬の難しさもよく見かける。

そんなときは、自分自身を責めてしまいがちであるけれども、麻央さんがブログ記事の締めに書いた「魂は壮大な浪漫飛行」という言葉を思い出して、希望をつないでほしいと願う。

 

 

 

 

 

わたしの「夢」

今回は、ほぼ幻想とか妄想の域の話になるが、ネット上で文章にしてみることで思考をまとめてみる作業を兼ねて、ここに投稿してみる。

 

 

以前、「夢の中の自分とふだんの自分が一致すれば解釈しなくても夢の意味がわかるのだろうか?」という疑問についての記事を書いた。

bluerose.hatenablog.jp

だが、そもそもなぜ自分の意識が乖離していることについて気にしたのだろうか?

このことをふと思い起こさせる文章をさっき読み、幼少期にさかのぼった。

すると、今思い出せる、人生最初に記憶に残った夢(すなわち、現在の私が人生初の夢を見た、と認識している夢)のことを思いだしたのである。小学校の低学年くらいの時だったと記憶する。

その夢の中身は割愛しよう。問題は初めて夢というものを見た、私のこころの動きである。私はこんなことを感じたのだ。

 

私が今体験したものはなんだったのだろう?

私は今このベッドの中にいる。

けれども、さっきまで私はここではないところにいた。

なぜこんなことが起こるのだろう?

 

もちろん、子供時代なのでこんな風な言葉で思ったわけではないが、思い出せばすぐによみがえってくる感覚で、ふとしたとき、夢と現実の乖離にちょっとした不条理を感じていた。それはどちらかが不満、とかそういうことではなくて、もっぱら一致していない、というところでの不条理感覚である。

 

この後の私の人生では、夢や人の意識について興味をもつような性格になっていくのだが、それはこの夢見のあとの感覚に依るところが大きいかもしれない。

 

まあ、そして現在の私の「夢」なのだが、人からは理解しがたいだろう、と思うことを書くと、夢見の世界と現実世界の一致が起こり、睡眠時の「夢」も、もはや現実と変わることなく、また現実生活もまた「夢」の続きであり、人生の「意識」が乖離することなく、継続していく感覚を身に着ける、というものだ。ああ、すいません、まさに「カルロス・カスタネダ」の世界。

 

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それがどのような形になるのか、それはこれから学んでいくことになるのだろう。

 

今朝の夢と、学生時代

今朝、夢をみた。

 

昔勤めていたと思しき事務所に出社するのだけど、自分の席だと思っていたところに、別の人の荷物が置いてあって、戸惑う。

それで、私は別の人の席が自分の席だったかな?と思ってその人のデスクへ行くんだが、そこにはやはりその別の人の荷物があって、私はどこに席があるのだろうと戸惑う。

取りあえず、上司に聞いてみようと思ったのだが、困ったことに上司の名前を思い出せないでいる。部長、という肩書だったことは覚えていて、その部長の席にはネット上で見かける心理関係の記事を書いてる人らしき雰囲気の男性がいた。きっとあの人が部長だろうと思って、私の席を聞いてみると、紙を渡されて、

「7階に行ってもらうから」

という。

その場所には、書道の先生だと思われる人が二人いて、私を含めると3人になる部屋だ。

そういうことで、事務所を出ようと歩き出すと、向こうから昔の会社の同僚がやってきて、ああ、私の席だと思ったのは、彼の席だったんだ、と思った。

 

7A というのが、私の行く部屋である。さびれた場所にエスカレータがあってそれを使うと、一瞬崩れたように感じた。けれども、エスカレータは動いて、上の階へ登ることができた。ついたところに、ロープが渡してあり、壁も雰囲気も廃墟のようで、実はこのエスカレータは使用禁止だったのだろうか、と感じたのだが、とにかく廊下を右に向かって歩き出す。

この廃墟のような建物は、大学の建物を思い起こさせた。この建物は、大学の古い校舎かもしれず、今、残っているのだろうか、と思う。

そう思いながら、歩いていくと、椅子やテーブルが置いてある休憩コーナーに差し掛かり、学生たちが何人かそこで談話していた。

その奥に、暗く階段があって、そこを登っていくと、7Aという部屋へ行けるのだろうと、わかった…

 

起きてから、まるで時間を遡行しているようだな、と感じた。会社の事務所は新卒で入社した会社である。

ならば、7Aとは幼少期までさかのぼる、ということなのかもしれない。

 

ところで、大学の建物が、半ば廃墟のようになっていたことに、少々戸惑った。

私はそれほど偏差値の高くない地方の私立大学に通っていたが、その大学は今はたくさんあるが、当時はまだ珍しかった学部があって、その学部へ入学したのだった。

私はその学問を勉強できることを大変うれしく感じていて、5月病などというものは全くなかった。

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もちろん、画像はイメージです(^^ゞ

 

が、学年が進み、就職が視野に入ってくる3年生ごろから、私は自分の今いるところに現実感を持てないような感覚がでてきた。「離人症的」といってしまえばそうなのだけど、どこかに相談してもそれは収まらず、1年くらい経過して、4年生になって、卒論や就職活動に忙しく過ごしていくうちにそれらはいつしか忘れ去られていた…

 

就職先は学部と関係あるようなないような感じのところ。文系だったので大学の知識を活かそうと思えばなんらかの形で生かせる、という程度の関連性。

その後の人生は、まあ、このブログの過去記事に書いた覚えがあるかもしれないので、省略する。

 

今朝の夢をぼんやり反芻していた。

7Aのことはともかく、大学の建物が廃墟みたいになっていたこと。

実をいえば、専攻したものが、本当に勉強したい分野と若干ずれていたのだけど、自分はそれが世間的なものだろうと思って講義やゼミに出ていたのであった。

 

もしかしたら、夢はそのときの違和感を伝えてきているのかもしれない。

少し前に、私は「もし、自分がなにをやってもいい人生を送るとしたら」という仮定の質問に対して、「おしゃれしていろんなことを学びたい」みたいな感じのイメージを考えた。で、なにを学びたいのか?と具体的なことを考えるのだが、どうも今一つしっくりこないのであった。

 

そんなときに、今朝の夢。

私はやっぱり、10代のころ、知りたい、と思った勉強を今でもしてみたい、と思う。

それは年老いて、死に向かう、今だからこそ深く学べそうな、そんな学問。けれども大人になって世間の様子を見ると、それは宗教や迷信にも似ていて、いま、ここに書こうとすることも、ためらいがあるようなこと。

 

私は、知識としてそれを勉強したいのではない。体験できる形での勉強をしたい。

 

4月なので、なんとなく春の陽気に誘われて、そんな夢を見たのかも。

 

 

 

イチブトゼンブ 個人的に世界平和のうた

近所の古本屋(某ブコフとか)にいくと、時々B'zの曲がかかっていていることがある。私は音楽をあまり聞かないので、それがなんの曲か知らないのだけど、出だしの「あなたはわたしの~」という歌詞に惹かれてしまい、棚を見るふりをしてしばらく聞きほれたりしてしまう。

 

最近はほとんど古本屋に行っていなかったのだが、先日、断捨離でマンガ本を売却しにいったときに、またこの曲がかかっていたので、気になって曲名を調べたら、「イチブトゼンブ」というタイトルだった。

イチブトゼンブ 歌詞

まあ、いいよね、なんとなく。

 

それで思い出したのだけど、昔、好きな人に告白する前に、トートタロットというタロットを一枚引いたんだ。そうしたら、ソードの2が出た。これは「和平」とか「和解」とかそういう意味をもつ。

別に、喧嘩したわけでもないのに、なんだ?このカードは?と思ったけど、それからずーっと年月が経過して、このソードの2に価値観の対立を統合する、というような意味があるのを知って、ああ、なるほどなあ、と理解した。

 

ほんとにいろいろ琴線に触れる言葉がいっぱいだわ。

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