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bluerose’s diary

15年間の向精神薬服用生活から断薬しました。

今朝の夢

最近、あまり夢見がよくない。よくない、という意味は、夢の中の感情がつらいものが多いということで、日常生活で吐き出されない感情が夢の中を通じて解放されるとか浄化されている、という感じなのかもしれない。

 

今朝の夢もまたそんな夢だった。

 

昔の家と今の家を混ぜたような自分の部屋に知人がいて、紙に何かやっている。私の部屋はカレンダーのような紙が大量に散らかっていて、知人はその紙に何かやっているのだ。

そのうち、部屋に母がいつの間にかいて、母はどこぞの芸能人からのプレゼントに応募したところ、当選して、その贈り物が私の部屋に運ばれてきたのである。

その贈り物が部屋いっぱいの大きさのキャンバスに描かれた絵なのだが、こちらからはどんな絵なのか見えない。私は母がそういう懸賞に応募していたことをまるで知らなかったが、部屋にいる知人がなぜか知っていて、私は少しショックを受けている。

また、部屋は散らかっていて、自分は知人にその部屋を見られていることが恥ずかしいと思う。

また、当選して送られてきたものが絵だということで、なにか自分が身にならないものばかりを追いかけているような気分(絵に描いた餅)になってうつろな気分で目が覚めた。

 

ここ1~2年自分なりにいろんなことをしながら生活を立て直したいと思っていたのだが、どうもうまくいってない、たぶんそんな気分をずっとごまかしていたのかもしれないなあ、と思う。

 

で、私は以前人に、「どんな風に感じますか?と聞いたときに、○○だと思う、という答え方をしている」と指摘されたことがある。

自分の気持ちを自分の考えたことと勘違いしているのかもしれない。

この夢で感じたことと質問してみると

「バカみたいに夢ばかりでかい」

という感じがする。それは自分でみると批判的な感じになるのだけど、たぶん誰かの意見をうのみにしているのに、自分ではそれに気が付いていなかった、という感じかもしれない。だから夢の中でそのことに気が付きなさい、というメッセージなのかもしれず。

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Remember me to bluerose

日常生活で何気なくしていることに、ある時ふと小さな嫌悪感を感じることがある。その気分はすぐに消えるのだけど、まるで自分の好きな習慣を好きな人に批判されたような気分なので、もしかしたらその好きな人のことと関係あるのかもしれない。

 

小さな嫌悪感を感じるとまるでエネルギーを奪われたように気力が失われてしまうように感じる。

ここで思い浮かぶのは、好きな人に自分が行ったつれない仕打ちを思い出して。ということなのか、いうことなのだけど…。

 

本当は

「好きな人に自分を合わせてしまったとき、なくした自分を思い出して」

ということなのかもしれない。

 

幻聴はどのような言葉遣いをするか

耳にラジオを埋め込まれたような機械的な幻聴が始まって、もう3年半になった。最初の1年は非常につらかったし、昨年から今年にかけての小発作みたいな時の幻聴もつらかった。

 

幻聴がつらいのは、所かまわず声がずっとしていることへのストレスが大きいが、もう一つ、自分とは思えない言葉遣いや話し言葉が、まるでいつも他人の話を聞かされて、自分でものが考えられなくなる感じがする、というストレスもある。

だから、今の私は、もしかしたら自分でものを考えておらず、半ば幻聴の「洗脳」に従って生きているかもしれないなあ、と思うことが多くなった。

 

さて、自分とは思えない言葉遣いの幻聴だけど、どうしてそうなってしまうのだろうか?まあ、陳腐なところでは他人に言われた言葉の反芻とか、霊に取りつかれているとか、私が初期に考えていたのは、夢の音声版だから、というのもあった。それのどれが正しいのかはわからない。

 

けれども、一つの傾向にちょっと気がついたかもしれない。

私の幻聴の中で、自分がふとあることについてこういう結論をだせばいいのかな?と思ったときに「殺人、殺人」と抗議してくる声があって、それがまたストレスになるのだけど、我ながらいいと思った考えがなぜそんな風になるのか?

その「殺人」という言葉について、今日イオンのテラスで空を見ながらランチしているときに、急にその連想が出てきたのよ。

 

その過程は今思い出せないのだけど、ドラえもんの漫画に出てくるオシシ仮面が敵につるされて「グエー」と叫んでいるシーンがあって、それに「殺人」と結びついた。

で、「なんで殺人がオシシ仮面の危機なの?」

と半ば笑いそうになったのだが、そのあとに、マンガではフニャコフニャオが「こんな終わらせ方じゃ、あとが困るじゃないか」と嘆くシーンが続いていたことを思い出し、「殺人」の意味は、このシーンのように、幻聴たちが困って嘆いているのではないか、という仮説に至ったのである。

 

幻聴が、仮に私の意識に対する補償と考えるとするなら、私が出した結論に対し抗議するときに、「そんなの困る」と言っても、たぶん私はそれほど注意を払わないだろう。

しかし、「殺人」という言葉には世間で使っているエモーションが大きく、聞こえてくればまず動揺する。

幻聴は、(あるいは幻覚などもそうかもしれないが)なにか強調したいことがあるために、

「より感情的に、より刺激的な」言葉を選んでいく傾向があるのではないかと思ったのである。

 

 

社会的な言葉遣いにおいて、差別用語などの感情的にもつれた連想をもつ言葉に対してはより軽くて明るい言葉に言い換えられることがよくあるが、幻聴はその逆でより重たい言葉に置き換えられることが多いのかもしれない。

 

 

あら、そういえば、筒井康隆差別用語の話で、片輪と言えばなんの言葉かわからないが、「○○の不自由な人」と言ってしまうと、それが明確になってしまう、ということをどこかに書いていた。

少なくとも、私の聞いている幻聴は、これと逆のベクトルで言葉を変換しているように感じる。

 

 

現状確認

いろんなことに手を出しているうちに、そもそもの目的を忘れてしまうことがあるかもしれない。

 

食事のことやスピリチュアルなことを始めた目的はなんであったか?

もともとは、自分の生活を立て直したい、という願いがあった。

今、その願いは叶っているだろうか?

 

生活を立て直す、という基準が自分の中で確立していないかもしれない。普通は生計を立てることができる、という意味合いだけど、生計中心に考えると以前と同じ思考回路に落ちいるために、うまくいかないことはなんとなくこの1~2年で悟った。

 

では、何を中心に考えると良いのだろう?

スピリチュアル界隈では好きなことやりたいこと、感情の伴うものをやりましょう、と提案しているものが多いような気がする。御多分に漏れず、自分もそうしようとしたけど、なんかやってるうちにいつの間にかそれをしなくてはならぬ、という半ば修行僧みたいな思考回路になることに気がついた。最初は面白くてもいつの間にか義務感になってしまう。たぶん、通常の社会ではこの義務感に囚われる期間を忍耐で乗り越えていろんなことをマスターしていくのだろう。それがなかなかできない自分に対し、実は自分を否定しているのかもしれないと、感じ始めた。

 

今、すごいへこんでいるのよね。

自分が自主的に取り組み始めた、と思ったものについて、少し他人に話をしたら、なんと、「続くかどうか」とあしらわれてしまったのである。しかも、なんかその人あまり機嫌がよくないように見えて、わたしはどうしたらよいのか途方にくれてしまった。

 

自分軸がない、ということがこういう時に露呈してしまう。

でも、今ここまで入力して、その程度で自分のやっていることを他人の言葉で左右されてしまう自分、というものに対し、どう折り合いをつけていくか、という命題が上がってきてるのかもしれない、と気がついた。

 

今、気がかりなのは、取り組み始めたことに対しての情熱が薄れてしまうことと、話した人との関係性についてである。

 

自分の克服していないところなんだろうな。何回でもこういう場面がめぐってくる。

 

そういえば、子供のころ、飽きっぽい私に、親が似たようなことをよく言ってたことを思いだしたなあ。このあたり、自分の認めていないなにかに絡んでいるのかどうか、ちょっと気にかけておいたほうがいいのかもしれない。

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夢の意味を知る

最近、オーラソーマについて少し勉強している。といっても、メルマガのバックナンバーをこつこつ読んでいるだけだけど。

そのバックナンバー68号で、エルモリアと呼ばれるボトルについての記事があった。

このボトルについて、創始者のヴィッキーさんはこんなメッセージを残しているのだそうだ。

 

意識の王座の背後にあるパワー

このメッセージを目にしたとき、昔見た夢の意味が一気にわかった。

 

2012年2月5日に記録した夢だ。

顔に黒い網をかぶった男性と一緒に丸い(楕円か?)鏡に顔を映す。道化だけが王とともに鏡に映ることを許され、道化は鏡の中で王の力を得て自由に動く。

私は道化

そして見つめるポイントを知ればどんなものでも支配下における、ということを知り、また見つめられる方はそのことを知らないので気の毒に思っている。

この夢を見る数日前、私は突発性難聴になった。なぜだか知らないけれども、その時「これは治らないなあ」と思ったし、実際に治療してよくなることもなく、現在に至る。

この夢を見たときにはちょうど毎日病院に通って点滴を受けているとき。聴力検査をしては点滴を1時間半受ける。そして病院自体が混雑していたので、診察に待たされることもよくあった。

 

当時、この夢の意味は全くわからず、ただ、ずいぶん不思議なイメージだなあ、と思って書き留めていたのだった。

その後、この突発性難聴で聞こえなくなった耳が、まるで内側にラジオを浸けられたかのようにたくさんの人の話し声が聞こえるようになった。当然精神的にやられて、薬を増やしたりしたが、結果的に、このことが向精神薬から脱却できるきっかけとなるのだから、今思えば、かなり重要なゆめだったのに違いない。

 

エルモリアのボトルナンバーは50番。わたしの今の年齢と同じである。

そして、ボトルのメッセージ(紹介するときに通常示されているもの)はこうである。

これからずっと「大いなるものすべて」と調和し、人生を生きていくための準備

オーラソーマ イクイリブリアム B050 エルモリヤ<オーラソーマ総合情報サイト>

 

 

 

 

 

 

 

四半世紀前の感情の清算

精神科にかかるきっかけとなった関係の人がいて、ずっと引きずっている。その人への感情の清算について、オーラソーマのミニリーディングをしてみた。

http://aura-soma.co.jp/reading-B111-B068-B073-B072.html

リーディングでは4本のボトルを選ぶ。2本目はチャレンジすること、ギフトなど活かされていない部分で必要なことを読む。

 

2本目は68番ガブリエルというボトル。

このボトルの気づきへのヒントを読んで大泣きした。まさに、私が当時感じていた、憂鬱で落ち込んで、私はこの人と一緒にいるのが悪いような気がして、という感じだったからだ。
当時、彼はきっとこのようなコメントのことをずっと考えていたのかもしれない、と思ったら、またやるせなくなるくらい、やさしい人だった。

 

私は、この感情を清算したら先に進めるのではないかと思っていたのだが、違うのかもしれない。悲しんで苦しんで、どうにもならなくなってしまった自分をそのまま認めること、それでも良いと認めること。できなくても、できても、それは過去の実際にあった出来事で、それを消すことはできない。できるとしたらそれは過去の自分を一緒に消すことになるのかもしれない。

 

も、日常生活が超スローモー。まるで重たい荷物を持つように。きっと頭の中にたくさんの重たいものがあって、考えることを困難にしている。ハートはきっとそれに心を痛めていると。だからもういいよと、そのままで傷ついて他の人も傷つけたかもしれないけれども、それももう終わる。完璧にいかない対人関係、そんなことは当たり前にあることで、自分だけが悪いわけでもないし、私だけが犠牲になっているわけでもない。
ハートはいつも許したがっているのに、マインドはそれを受け付けないでいる。他の人に迷惑をかけていて、その償いができない愚か者だと思い込んでいるのだ。

 

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百面相遊び

最近、鏡で変な顔をしては、鏡の中に向かって

「こんな私でも愛してくれる?」

とか独り言を言っては笑い、また別の顔をしてはそのセリフを吐く。

あんまりしつこくやっていると、自分でもうんざりしてきて

「あんた、もともとそんな顔じゃないでしょ」

とか切り捨てては笑う。

 

こんな遊びをしていると、人との交流も同じだなあ、と思う。

変な態度の人が、こんな私でも愛してくれる?的なことを言ってきたとき、その人のことをよく知っている間柄なら「あんたそんな人間じゃないでしょ?どうしたの?」とか言ってさ。

 

でも、あんまり知らない人だと、本当のその人のことを知らないものだから、その態度がその人だと思い込んで変な人、とか思ったりね。

 

なんかさ、自分が落ち込んだりへこんだり、不安だったり、怒ったり、そんなときは自分がどんな顔だったか忘れて、その変な感情の時の自分がすべてだと思ってしまう。

でも、そんな時こそ、自分がどんな顔なのか、思い出すために鏡を見るといいのかもしれない。

 

それにしても、変な顔をして遊んでいると、自分が過去いかに自分の感情を押し殺していたか、ということがわかる。

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ETAホフマン、というドイツの作家がいる。

くるみ割り人形の物語がよく知られている作品かな?

くるみ割り人形とねずみの王さま/ブランビラ王女 (古典新訳文庫) (amazon)

 

音楽を愛して、楽長として諸国を放浪していたり、役人のようなものになったり、その合間に怪奇小説幻想小説を書いていた。

友人の話によると、ホフマンはバーの隅のテーブルでよく一人で百面相をしていたのだという。

 

昔、その話を知った時は、変わった人だなあと思ったのだけど、今はちょっと彼がその一人遊びをしていた気もちを想像できそうな感じ。

 

幻想小説浪漫派の代表作は黄金の壺。

黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ (光文社古典新訳文庫)(amazon) 

 

ホフマンの小説はみんな好きだけど、悪魔の霊酒などはそんな百面相の一端はこんな心境なのかも、という雰囲気があって面白い。もう一人のわたし。

悪魔の霊酒〈上〉 (ちくま文庫)(amazon)

悪魔の霊酒〈下〉 (ちくま文庫) (amazon)