bluerose’s diary

精神疾患のこと、その他持病についても少し

人は間違う

まあ、うっかりすると忘れてしまいがちだが、人は間違う生き物だと思う。

何が間違いなのか人によって違うだろうけれども、私も間違うし、他の人も間違う。

だからこそ、謙虚に生きなくては、と感じる。

 

今、私の祈りは

 

神様、変えられることと変えられないことを見分ける力をお授けください。

そして、変えられないことを受け入れられますように助けてください。

変えられることを変える勇気をお授けください。

 

聖フランチェスコの祈りなのだが、正確な文章を思い出せず、どこに書いてあったかも忘れてしまったので、自分なりに考えた言葉。

f:id:offkey:20170809203725j:plain

 

ほんとに繊細になってるときはネットなど自粛したほうがいいのだが、ついやってしまう。そしてちょっとだけセンチメンタルになったりする今日この頃。

今回の不調と夢の話

休止していたが精神活動が少しできるようになったので、今のうちに。

f:id:offkey:20170801083114j:plain

 

去年末から今年にかけて起こっている今回の精神的な不調だけど、過去のネットの文章を読んでいるうちに、キーポイントとなる文章を見つけた。

facebookに載せてた文章。

その中で簿記検定に受かったけれども、なんか求人雑誌を見ても気が乗らず見るのをやめた、という文章から始まり、その日の未明にみた夢のことを記している。

こんな夢だ。

未明に、子供連れの女性が運転する車が転倒して穴に落ち込む、という夢を見る。私はその女性に話しかけるのだが、女性は助けを呼ぶのは明日にしてほしいという。そこへ背の高いがっちりしたルーマニアの女というのがやってきて、子供を連れ去っていく。車の女性はいつも誘拐されるのです、というのだ。
私はルーマニアの女のところへいき、子供を返してもらおうとするのだが、彼女と向かい合ってみると、なんか圧倒されてどうしていいものやら、という感じで目が覚めた。

これを書いた当時は社会の壁とルーマニアの女と関係してるのだろうなあ、みたいな感じで思っていたのだけど、漠然としていてはっきりとはしなかった。

 

 

この不調で、自分が最初に発生した思い付きや感動、こういった純粋な気持ちがどんどん変節していく様子を観察することができた。そのあとで、facebookのこの文章を見つけたわけだが、つまり、赤ん坊に象徴される純粋な気持ちが、どんどん時間を経てある時純粋な気持ちを守ってる自分が転んでしまって赤ん坊を連れ去られてしまう。

ルーマニアの女、というのは、個人的な夢の解釈になるが、どうも社会に適応するためにやむおえず自分の生命力とか情熱を犠牲にしてしまっている部分、ということになるかな。

 

これを観念的な文章に直すと、自分自身の情熱や感動をそのまま自分のやりたいことへと成長させることができない(転んでしまう)ということと、社会適応するためにそういったものを犠牲にしてしまいがちな自分が大きくなりすぎている、というところかもしれない。

 

書いたのは去年の6月終わりころである。検定試験が終わって合格し、なんか燃え尽き症候群っぽくなっていたのかなあ、と思う。それに気が付かず、そのあともなんか社会に復帰しようとしていて、とうとう倒れてしまったのだろうなあ。

 

この先どうするか、なんか別の角度から見ないと大変だな…

 

【追記】

記事アップしてから気が付いたが、このルーマニアの女、というのは社会適応という考え方のほかに、自分の意識していないが自分自身に負担になっている欲望、という負の面としてとらえることもできるかもしれない。(この欲望をストレートに動かせるようになるとまた違ってくるのかも)

 

 

断薬の休止

f:id:offkey:20170319193730j:plain

このブログはもともと、断薬を始めたときに日記代りにしていたのだけど、昨年末より、不穏な感じになってきて、眠れなくなってきたため、再び精神科にいって薬をもらってきた。断薬期間は2年半ほどになる。

 

不穏になりはじめたきっかけは、今考えると、資格取りのときにちょっと無理したかなあ、ということかな?11月に資格試験を終えた後に、「もうこれでいいや」と思ったら、がくっときたかもしれない。

 

そのあと、体力的にすごく落ちて、速く歩けなくなり、頭がぼんやりして、ずっとあった幻聴もちょっと大きくなってきてたから、まあ、いけるところまでいってダメなら病院へ行くしかないなあ、とは思っていたんだけど。

 

そのあとに、対人関係でかなり大きなショックがあって、そこで一気に崩れた。

 

薬を飲む、飲まないの選択は、今回の件でかなりデリケートな話題だとつくづく感じた。もちろん、向精神薬の薬漬けの問題はかなり大きくて、飲まないでも生活できるケースはたくさんあるだろうということは自分もそうだったし、このあたりはもう少し社会全体で取り組んでいくことだろうと感じる。

 

ということで、しばらく様子を見ることにします。

おやすみなさい。

 

 

 

 

なにが幻聴を変化させているのか

自分は幻聴もちなんだけど、最近あることに気がついた。

 

例えば、なにか選ぼうとして画面をずっと見ていると、最初はなんでもなかった幻聴がだんだん不穏な言葉に変わっていく。

私の感覚としては、別にイライラしているわけでもないし、まだ決まってないからずっと画面を見ているんだけど、いつの間にか不快な幻聴に変わっていることに気がつくと、我ながらどうして自分は乖離しているのだろう、と愕然とする。

 

これは何かを選ぼうとするだけでなくて、ただ、ネットをやっているときにも起こることがある。自分としてはそれほど変なところを見ているつもりはないのだけど。

 

それで、なんとなく、自分の意識が捕捉していないだけで、自分自身の飽きっぽさや疲れやすさが出てきてこういう不快な幻聴にかわっていくのかなあ、と考えた。

 

そんな折、ある考えがあって、それを文章にしようと入力をはじめ少しまとまらなくなったときに、しばしどうまとめたらよいかなあ、と考え出したのだが、結局試行錯誤して入力しているうちに、その文章はとりたてて発表しなくてもいいなあ、と感じ始めたので、文章書くのを止めた。

 

それで、ふと気がついたのだけど、その文章考えているときも結構時間がかかっていたのに、幻聴が不快に変わることがなかったのよね。何かを選ぶことだって頭を使うのだけど、この違いはなんだろうと思う。

 

で、今そのことについて考えてみようと、文章を打って、結論らしきものの文章を考え出したら、また幻聴が不快に変わっていったから、どうも自分は迷いが出てくると幻聴に影響がでるのではないかと推測している。

 

あくまでも推測だから、まだわからない部分はたくさんあるけど。

f:id:offkey:20170620201722j:plain

 

【推定・仮説】喘息の要因になってるもの、私の場合

今朝はずいぶんとイライラしてどうしようもなかった。なんかわからないけど、そういう時は周りもちょっと干渉的になっていて、人のやってることに注意をするものだから、素直に受け取れない状態のわたしは、余計にイライラしていた。

 

そんなとき、購読しているメルマガに怒りについて、OSHOの本の一節が紹介されており、まあ、ずいぶんとタイミングがいいことだ、と少し怒りを忘れてしまったのだが。

 

オレンジ・ブック―和尚の瞑想テクニック
和尚
めるくまーる
売り上げランキング: 222,751

 

その本は読んだことがないので、メルマガからの孫引きになるけど、少し紹介する。

犬のように喘ぎなさい

怒りに直接的に働きかけることが難しい。
なぜなら、それは深く抑圧されているかも
しれな いからだ。
だから、間接的に働きかけるがいい。…

メルマガではもう少し先まで引用されているが、半時間くらいできれいに流れていくという、この方法、読みながら、確かに怒りは自分でなだめようとしてうまくいったためしがないから、これはいい方法かもしれないな、と感じた。

 

で、ふと、自分の夢とかふと浮かぶイメージを思い出した。

 

自分の見た夢で、自分が変な踊りをしながら訴えたい相手に、綺麗に表現できる方が上等なのか、と心の中で憤慨しているのがあった。相手は無表情でなんともいえなかったけど。

 

あと、幻聴がらみのイメージなんだけど、怒りの人格化したものが自分の過去の状態をあらわしていると思われる人格化したものから分離して、そのために、その過去の人格化したものが、身体的に訴えるために、気管支の奥の方にやってきて私の呼吸を止めようとしている、というもの。これは2年ほど前のエビリファイを飲んでいたときに現れた、突然の呼吸困難の中で(窒息して死にそうになって飛び起きた)一緒に見えたイメージなんだけど。

 

ここまで思い出して、その怒りの人格化したものが、黄色い服をきていたイメージで現わされている幻聴の声の一人でなないかと気がついた。その人は当初本当にまるで猛獣のように檻に入れられて、そこから吠えまくっていたのである。今は檻の外に出ているイメージだけど、ちょっと悲しくなるくらいに愛想がよいので、ほんと自分はこのイメージが出てくると動揺してしまうのだった。

 

ちなみに、私の過去を人格化したような人はちょっと皮肉っぽくて、こちらもまたイメージが出てくると罪悪感というかそういうものが想起されてしまうのでなかなかに大変だ。

 

で、ここまで書けばおわかりのように、私の喘息の要因になってるものの一つに、怒りの抑圧のような感じがするのよね。かといって、怒りをすぐ表現できるかといえばそうそううまくいかない。OSHOも述べてる通り、それは「深く抑圧されているかもしれない」からだ。

 

よく、病気と感情の関係を述べた説を見かけて、私などは単純に感情を解放すればいいのではないかと考えてしまう。しかし、たぶん深く抑圧されたものは身体にまで食い込んでいて、解放する手がかりを失うのではあるまいか。

だからこそ、身体を使ったエネルギーの解放が大切なのかもしれない。

とはいえ、怒りのときは枕に攻撃するとか、大声で叫ぶとか、これって、なんか違うような感じがしていたのよね。

 

さて、これが果たしてどう影響するのか、やってみないとわからないけど、というのは、読んでいるうちに、怒りが消えてしまったので(笑)

 

今度、イライラしたときとか、思い出せればよいのだけど。

閉塞状態になったときには、「犬のように喘いで、うろうろと歩き回ると」半時間くらいできれいに流れる。

 

 

 

 

喘息の改善について占う

しばらく精神的に辛気臭いことをこのブログに書いていた。それで去年の秋ごろに張り切って書き始めた喘息のことをすっかり忘れていたよ。

最近、また喘息の改善について頑張らないといかんね、と思い立ち、今一度生活を見直しているところだが、やっぱり、私の場合、精神的に辛気臭い➡ちょっと下手すると妄想が始まりそう。みたいな時には少し喘息の塩梅がよくなる傾向にある。なんでかよくわからないけど、きっとなんかあるのだろう。

 

普通、精神的に辛気臭いときって喘息も悪化しそうなものだけど、そうじゃないところが不思議。この関係はきっと頭で考えても理解できないのかもしれず。

 

ということで、遊びがてら、喘息の改善について占ってみた。

使ったのは、オショーの禅タロットで、フライングバードと呼ばれる方法である。

www.osho.com

説明書きによると、

このレイアウトは、飛んでいる鳥の形にデザインされています。選ばれて左の翼に置かれたカードは、私たちの女性的な、受容的なエネルギーを象徴し、暗示しています。一方、右の翼は私たちの男性的な、能動的なエネルギーを象徴しています。最初に引かれたカードは飛翔の先導者であり、この能動的な側から来ています。続くそれぞれのカードはその前のカードに呼応していて、「鳥」をさらに高く上昇させ、質問者をより大きな明晰さと内なる理解へと入って行かせます。

ということらしい。要は中央のカードのようである。

結果を画像に残してみた。

f:id:offkey:20170601205437j:plain

これでいくと、人生を信頼して、明晰さをもって物事をみて、クリエイティブにエネルギーを使え、みたいな読みができるが、一方でヒーリングが起こっているのでそれに心を開くとか、ガイドの声を聴き信頼する、という感じのカードもある。

 

つまり、なるようにしかならん、という話でもあるみたいで。

 

じたばたしてもしょうがないのかもなあ。

けれども、喘息の改善を考えてる最中ってあまり辛気臭いことを思わないんだよね。

その代わり、気を付けないといつの間にかPF値が大幅に下がりだす。

意図的に喘息を改善してやろう、とかムキになるとダメなのかね。

 

 

 

 

今朝の夢

最近、あまり夢見がよくない。よくない、という意味は、夢の中の感情がつらいものが多いということで、日常生活で吐き出されない感情が夢の中を通じて解放されるとか浄化されている、という感じなのかもしれない。

 

今朝の夢もまたそんな夢だった。

 

昔の家と今の家を混ぜたような自分の部屋に知人がいて、紙に何かやっている。私の部屋はカレンダーのような紙が大量に散らかっていて、知人はその紙に何かやっているのだ。

そのうち、部屋に母がいつの間にかいて、母はどこぞの芸能人からのプレゼントに応募したところ、当選して、その贈り物が私の部屋に運ばれてきたのである。

その贈り物が部屋いっぱいの大きさのキャンバスに描かれた絵なのだが、こちらからはどんな絵なのか見えない。私は母がそういう懸賞に応募していたことをまるで知らなかったが、部屋にいる知人がなぜか知っていて、私は少しショックを受けている。

また、部屋は散らかっていて、自分は知人にその部屋を見られていることが恥ずかしいと思う。

また、当選して送られてきたものが絵だということで、なにか自分が身にならないものばかりを追いかけているような気分(絵に描いた餅)になってうつろな気分で目が覚めた。

 

ここ1~2年自分なりにいろんなことをしながら生活を立て直したいと思っていたのだが、どうもうまくいってない、たぶんそんな気分をずっとごまかしていたのかもしれないなあ、と思う。

 

で、私は以前人に、「どんな風に感じますか?と聞いたときに、○○だと思う、という答え方をしている」と指摘されたことがある。

自分の気持ちを自分の考えたことと勘違いしているのかもしれない。

この夢で感じたことと質問してみると

「バカみたいに夢ばかりでかい」

という感じがする。それは自分でみると批判的な感じになるのだけど、たぶん誰かの意見をうのみにしているのに、自分ではそれに気が付いていなかった、という感じかもしれない。だから夢の中でそのことに気が付きなさい、というメッセージなのかもしれず。

f:id:offkey:20170529102647j:plain